log

20  フランツ結婚編(12)

03 06 *2010 | 未分類

「ユリア……。話があって此方に来た。少し時間をくれないか」
「……閣下。お戯れはもうお止め下さい。失礼ですが、このままお帰り下さい」
「君に身分を明かしていなかったことは悪かったと思っている。だが、告げてしまうと君は離れてしまいそうで言えなかった」
「閣下にはフォン・シェリング家のクリスティン様という方がいらっしゃるではないですか。私は旧領主層の出身ではありませんし、閣下とは身分が違いすぎます。閣下のご身分を知れば、身を引くのは当然のこと」
「クリスティンとの縁談は疾うに断っている。俺は君以外の女性を、妻に迎えるつもりはない」
ユリアは俺を見つめ、それから眼を伏せた。
ちょうどその時、玄関の扉が開き、老いた男性が何かあったのかとユリアに近付いて来た。この男性がユリアの父親か。
「コルネリウス卿。私はフランツ・ヨーゼフ・ロートリンゲンと申します。先触れもなく来訪してしまい申し訳ありません。ユリアと少し話をさせて下さい」
コルネリウス卿は一瞬呆気にとられていたが、すぐに門を開けるようユリアに促した。ユリアが渋ると、コルネリウス卿が門を開いてくれ、部屋の中に入るよう促した。


家の中にはユリアの母親も居て、俺の突然の来訪に酷く驚き慌てていた。
俺に出来ることは兎に角、ユリアにこれまでのことを謝ることだった。名と身分を隠していたこと、だがそれは悪意を持ってそうしたのではなかったことを説明した。
この日は謝罪に徹した。そして、明日もう一度話をさせてほしいと言い残して、コルネリウス家を去り、翌日また同家を訪ねた。

結婚を前提に付き合ってほしい――そう告げると、ユリアは身分が違いすぎると言って、ひたすら固辞した。なかなか首を縦に下ろしてくれなかった。
どのような状況でも必ず支える、何事からも必ず守る――、俺は誠心誠意、それを伝えた。
ユリアの頑なな表情から涙が零れたのはその時だった。愛している――その俺の言葉に、ユリアは私も愛していますと返してくれた。

そして、ユリアと俺は、両家の承諾を得、結婚を前提に付き合うことになった。

「ユリアさんの説得に成功したそうよ」
電話口での様子がいつになく明るい調子だったから、そうなのだろうとは思っていたが――。
エルフリーデは微笑を浮かべながら、そう告げた。
「やれやれ。いくつになっても手のかかる息子だ」
皇帝陛下の祝賀会が無ければ、いつまでも自分の正体を明かさないつもりだったのではないか――そんな気さえする。普段は度胸が座っている癖に、今回のフランツときたら、情けないことに度胸の欠片もない態度だった。
「誰に似たのかしらね」
「……私はお前と一緒になるために、一度はロートリンゲン家を捨てたのだぞ。フランツとは違う」
「新居の契約の仕方も解らなくて、私が全部準備したような記憶があるけれど」
「……それは」
仕方無いではないか。そういう雑事は今迄執事がやってくれていたのだから。
話が私にまで及ぶとは、エルフリーデは一体何を考えているのだか。
「まあそれは兎も角、ユリアさんを迎えることになると、彼女付きの侍女が一人欲しいわね。それから部屋も用意しないと」
「随分話が早いではないか」
「フォン・シェリング家がそう簡単に諦める筈は無いと貴方も解っている筈よ。ユリアさんとフランツの仲を裂こうとするでしょう。そればかりか、婚約ともなればユリアさんの身に危険が及ぶかもしれない。ハンブルクの彼女の家にも警備が必要となるでしょう」
「……否定は出来んな。ルートヴィヒはどうも妙なことを考えている。……小耳に挟んだことだが、次女のベアーテを皇弟殿下と結びつけるつもりらしい」

最近、ルートヴィッヒに関して良い話を聞かない。旧領主家のなかでも抜きんでようと画策しているようだと噂されている。
だからフォン・シェリング家との縁談は、当初からあまり気が進まなかった。しかしフランツももう来年には30歳となることを思うと、あまり暢気に構えてもいられない。
旧領主家にはフランツと年齢の近い女性は少なくて、フォン・シェリング家を除いては皆、結婚してしまっていたから、私としても少し焦っていた。

「初めはクリスティンと結ばれれば良いと思ったけれど、こうなるとそうならなくて良かったと思っているわ。警備の件はコルネリウス家とも話した上で決めましょう。それから、侍女の件で思いついたのだけど」
エルフリーデは持っていたカップを置いて言った。
「パトリックのお嫁さん、アガタと言ったかしら?彼女が適任だと思うのだけど」
「それはお前に任せよう」
「ユリアさんと年齢も近いし、ちょうど良いでしょう。明日にでもパトリックに聞いてみましょう」
エルフリーデは嬉しそうに話す。フランツを結婚させなくては――と、私以上に気にかけていた。出来るだけ、本人の意向を大切にしたいとも言っていた。そのどちらも叶ったのだから、エルフリーデにしてみれば今は踊り出したい気分に違いない。
それに今思い出したことだが、エルフリーデはずっと娘を欲しがっていた。しかし、私達の間に、子供は一人しか授からなかった。エルフリーデにすれば、漸く娘が出来たと考えているのかもしれない。
加えて、ユリアの印象も良かった。フランツが惹かれた気持が解る。クリスティンよりユリアを選んだことには、眼が高かったと褒めてやりたくなる。尤も、あれだけ露骨なクリスティンの態度には誰もが興ざめするだろう。そのせいで、ユリアが余計に際立って見えた。
「……警備の件も早い方が良さそうだな」
「そうですよ。なるべく早く手配して下さいな」

月の終わりが近付いた頃、フランツはユリアを連れて来た。ユリアはフランツには勿体ないほどの美しい女性だった。ユリアは丁寧に挨拶をして、フランツは少し気恥ずかしそうにユリアを紹介した。
フランツは終始嬉しそうだった。ユリアと顔を見合わせ、微笑む様子からも、二人の絆は深いのだろう。

翌月になってフランツとユリアは正式に婚約し、翌年の春に二人は結婚した。
盛大な結婚式となり、美しいユリアを称賛する声が四方八方から聞こえて来た。
ロートリンゲン大将は妻まで第一級の芸術品を選んだ――と。
確かにユリアは美しい。だが外見の美しさだけではない。心意気が美しいとでもいうのか、話をしているとそれを感じる。コルネリウス家の人々の人柄を考えれば、ユリアもそれに違わなかったということだろう。
二人の姿を見ていると、次代の展望が少し見えたような――そんな気がした。

21:40

19  フランツ結婚編(11)

03 05 *2010 | 未分類

両親に強く背を押される形ではあったが、翌朝、帝都を経ち、ハンブルクへと向かった。ハンブルクに向かう列車のなかで、ユリアに何と言おうか、ずっと考えていた。どうやったら俺の気持を伝えられるか――。
否、下手に言葉を並べ立てるより、俺の正直な気持ちを伝えた方が良い――。

一般女性との結婚など両親が許してくれないだろうと思っていたが、両親ともに許してくれた。そればかりか――、今朝、食事を摂りながら母が言った。

『ユリアさんから承諾を得たら、此方も準備を進めます。コルネリウス家の方ともきちんと話をしないとね。ユリアさんにそうお伝えして』
父も母も俺がクリスティンでなくユリアを選んだことについて、何も苦言を漏らさなかった。もしかしたら、ユリアから話を聞いた時から、いずれそうなると解っていたのかもしれない。
それにしても母の洞察力には感嘆する。あの時の俺の様子で全てが解るとは、流石というか――。

ハンブルクまで電車で半日かかる。夕方に漸く到着して、そのままハンブルク美術館へ行った。其処でユリアの姿を探したが、何処にも見えなかった。

「……閣下!」
後ろから呼び掛けられて振り返ると、ユリアの兄、オスカー・コルネリウスが立っていた。此方に歩み寄って来る。
「コルネリウス卿、ユリアは今、何処に……?」
俺は挨拶すら忘れて、ユリアの居場所を尋ねた。彼は驚いた様子で俺を見つめ、それから肩を竦めて言った。
「コルネリウス卿と呼ぶのはお止め下さい。オスカーで結構です。……閣下はユリアに会いにわざわざハンブルクまで?」
「はい。ずっと……、電話にも出て貰えないのですが、どうしても彼女と会って話をしたいのです」
「……ユリアからフランツという名の帝都に住む男性と付き合っているという話を聞いた時には、まさかロートリンゲン家の御子息だとは思いませんでした。皇帝陛下の生誕祝賀会でお会いして、ユリアから話を聞き、私もとても驚いた次第です。元帥閣下からも奥様からもお優しい言葉を頂きましたが、ユリアの意志は固いようです。私もその方が良いと申しました」
「……私から謝りたいのです。謝った上でもう一度、話をさせて下さい」
「閣下。僭越ながら、閣下にはフォン・シェリング家との縁談も持ち上がってらっしゃるとのこと。ご身分の上でも、フォン・シェリング家のお嬢様と御結婚なさった方が宜しいかと思います」
「フォン・シェリング家のクリスティンとの縁談は疾うに断っております。それでも、あの祝賀会の場でユリアに不快な思いをさせたこと、これまで身分を明らかにしていなかったこと、全て私の不甲斐なさが招いたことです。どうしてもそのことだけはユリアに謝りたい……!」
オスカー・コルネリウスは私を暫く見つめていた。そして、ユリアの兄としてひとつ確認して宜しいですか――と前置いて言った。
「……ユリアとのことはお遊びではなかったと……、ユリアを愛人ではなく、妻として迎え入れるおつもりで付き合っていたと受け取って良いのですね?」
私と両親はそれを一番心配していました――と、オスカー・コルネリウスは真剣な表情で言った。

そのような誤解を受けていたとは気付かなかった。
だが、そう受け取られても仕方の無いことを、私はしでかした。

「ユリアをロートリンゲン家に迎え入れたい。だから、こうして説得に来ました」
すると、オスカー・コルネリウスは表情を緩め、御無礼を失礼しました、と告げ頭を下げる。それから顔を上げて言った。
「閣下の御言葉を聞いて安心しました。ユリアは今、自宅に居ます」
「自宅に……。そうですか」
「フォン・シェリング家から再三に亘り、閣下と別れるよう此方に電話が来たため、ユリアは仕事を休んでいるのです」
「……すみません……」
そのような事態になっているとは思わなかった。もっと早く此処に来れば良かった……!
「自宅は此処から少し距離があります。車を呼びますので、少々お待ち下さい」
「いいえ。歩いて行きます」
「30分程かかりますよ?」
大丈夫だと告げると、彼は地図を書いた紙を手渡してくれた。

ハンブルク美術館から自宅に行くまで、オスカー・コルネリウスの言っていた通り、30分かかった。確か、ユリアも毎日歩いて通っていると言っていた。道端に季節折々の花が咲くのだと話していた。
今は冬だったから、花の姿は見えず、影にはうっすらと雪が積もっている。
コルネリウス家は住宅街の一角にあった。地図をもう一度確認してから、呼び鈴を鳴らそうとしたところ、庭先から声が聞こえて来た。ディモ、あまり跳ねては駄目よ――と。この声はユリアの声だ。ワン、という犬の鳴き声も聞こえる。
真っ白い大きな犬が此方に向かって駆けてくる。ディモ、とユリアの声がまた聞こえた。そして、ユリアの姿が見えてくる。
ユリアは俺を見て、立ち尽くした。

21:23

18  フランツ結婚編(10)

03 04 *2010 | 未分類

パーティが終わり帰宅してからすぐにユリアの許に連絡を入れたが、ユリアは電話にさえ出てくれなかった。メールを送っても返信もない。
連絡の取れない状態がひと月も続いた。
最悪な形で、俺達は終わりを迎えてしまったのかもしれない。

休暇が近付いていた。ハンブルクに行こうと思っていたが、この状態ではユリアは会ってもくれないだろう。
俺が何も話していなかったことを、酷く怒っているに違いない。
きちんと伝えておくべきだった。考えてみれば、俺が躊躇していただけで、話をする時はいつでもあった筈だ。
俺が――悪かった。

「フランツ、このひと月の間、黙ってみていたけれど何て情けない」
休暇が始まる前日、いつものようにリビングルームで父母と珈琲を飲んでいた時に、母はいきなりそう切り出して俺を叱咤した。
情けない?俺は何か母に失礼なことをしただろうか。
何のことか解らなくて、母を見返した。
「母上……?」
「あのパーティの日に全て聞きましたよ。貴方の行動は詐欺と言われても仕方の無いことです」
「詐欺……?俺が……?」
全て聞いたというのは、もしかしてあの後、ユリアから話を聞いたのか。
「自分のことを名乗らず、将官であることも告げず、これが詐欺と呼ばずにいられますか。可哀想にユリアさんはショックを受けていましたよ。でもそれを気丈に振る舞って……」
「ユリアが話したのですか……?」
母は鷹揚に頷いて、珈琲を一口飲んだ。眉根に皺が寄っている。これは相当機嫌が悪い。
「ユリアさんが来てからどうも貴方が貴方らしくない。これはおかしいと思って、私がユリアさんから聞き出したのです。彼女は恐縮しながら全て話してくれましたよ。ハンブルクで貴方と初めて出会い、その後帝都で再会したと……。あの場で貴方から全て打ち明け、ユリアさんに謝罪するならまだしも、貴方は逃げてばかりではありませんか」
母は俺の眼を見つめて説教を始めた。

だが、母の言葉は尤もなことだった。何も反論出来ない。クリスティンに強引に連れて行かれたとはいえ、俺はあの場でユリアに説明しなければならなかった。

「そのように覚悟が無いのなら、彼女に謝った上で別れて、クリスティンと一緒になってしまいなさい」
「母上……」
母の一言はきつかった。だが、それは自分の不甲斐なさが招いたことだということも充分に解っている。
「フランツ。クリスティンは諦める様子が無い。どうやらルートヴィヒがそう仕向けているようだからな。おそらくお前が結婚するまでは諦めないだろう」
それまで黙っていた父が俺を見据えて言った。


俺はどうすべきなのか――。
母の言う通り、ユリアと別れクリスティンと結婚した方が良いのか。
だが――。
だが、俺は――。


「今の状態は一番情けないですよ。どちらとも決められないのですから」
母が溜息混じりに言う。
否、もう俺の中で結論は出ている筈だ。

「クリスティンかユリアか。どちらを選ぶのもお前自身だ。この休暇の間に、よく考えて決断しなさい」
「……もう結論は出ています」
父は少し眉を上げて俺を見つめた。
俺の心は決まっていた。最初から――。

「俺はユリアをロートリンゲン家に迎え入れたい」

父は暫く俺を見つめた後、ふと笑みを漏らした。今の言葉はもしかして不適切だっただろうか。
「だったらフランツ、何をもたもたしているの。早く説得して迎えに行ってらっしゃい」
「え……?」
「あの時、彼女はロートリンゲン家となると自分には不相応だから、身を引くと言ったのよ」
「ユリアがそんなことを……」
「確かに重圧はあるし大変だけど、貴方と二人で乗り切るという道もあるということを伝えたわ。ユリアさんも貴方のことを想っているようだし……。でも泣きそうな顔で身を引くと言っていたの。私達が説得出来るのは此処までよ。あとは貴方次第でしょう」
「でもユリアと連絡が取れなくて……」
「電話やメールで何が伝わりますか。会って話してらっしゃい」

22:33