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23  暗殺未遂事件簿~ロイ回想(2)

03 09 *2010 | 未分類

ロートリンゲン家という家名だけで、命を狙われることはこれまでにも度々あった。身代金目的の誘拐未遂はそれこそ枚挙に遑が無く、ルディに至っては一時誘拐され、大変な目に遭ったことがある。屋敷が過激派に狙われたことも何度かある。

一番よく憶えているのは、俺が物心ついた頃の――三歳の頃の出来事だった。

あれは春先の休日だった。ロートリンゲン家のリビングルームは片側全面が窓ガラスで覆われ、外からの陽が燦々と降り注ぐ構造になっている。子供の頃、ルディはあまり外に出ることが出来ない身体だったから、せめて外の様子がよく見えるようにと改築したと聞いている。

しかし、健康優良児の俺は家のなかだけでは遊び足りなくて、よく外に出ていた。外といっても邸の敷地内から、両親の許可為しに出ることは禁じられていた。俺が庭で遊ぶ様子を、ルディは家の中――リビングルームからよく見ていた。リビングルームには母も居た。二人に時折手を振りながら、俺は父と木登りをしたり駆け回ったりして遊んでいた。
あの日も――。

「ハインリヒ。その小枝ではお前の体重は支えきれんぞ」
木をよじ登っていると、下から父が苦笑混じりに言った。もう少し高いところに登りたかったが、父にそう言われて諦めた。そろそろ家のなかに入ろう――父に促され、俺は頷いた。
「父上、受け止めてね」
木の枝に立ち、下にいる父にそう言うと、父は頷いて手を広げてくれる。それに向かってジャンプし、父の腕の中に飛び込む。父の大きな腕が俺を確りと抱き止める。
「さあ、部屋に行こう」
父は俺を下ろしてから、促した。
木々の生い茂るその場所は庭の端の方にあって、此処からリビングルームまでは結構な距離がある。木に登る前に見つけた虫を手に持って歩き、半ばまで来ると、リビングルームの中の様子が見えてくる。ルディが此方に手を振っていた。
「ルディ!」
ルディに虫を早く見せてやろうと、ぱたぱたと駆け出した。
この時、俺の視界には窓越しに立つルディの姿しか入っていなかった。

「ハインリヒ!!」
父が俺の名を呼び、俺を抱きかかえて跳び上がった時も、俺は何が起きたのかよく解らなかった。ただ何か父の背後で光り、その瞬間に身体がふわっと浮き上がるような感じがして、地面に強く叩きつけられた。
「父上……」
俺は父の腕に守られていた。怪我は無いな――と父は俺に言ってから、すぐ部屋に入るよう告げた。
「フランツ!」
「来るな!」
窓が開き、母が此方に駆け寄ろうとした。父は俺を立たせて、背を押す。駆け寄ろうとした母に言い放った。
「ユリア。フェルディナントとハインリヒを連れて、避難しろ。早く!」
「早く、貴方も!」
「私よりも先に子供達を。行け! フリッツ、早く連れて行け!」
父はすぐさま窓を閉め、俺達に背を向ける。いつのまにか部屋に来ていたフリッツによって、母と共にすぐ避難させられた。その直後、バンバンと銃声が轟いた。


俺が生まれて初めて銃声を聞いたのが、この時だった。
銃声が聞こえた時、母は振り返り、部屋に戻ろうとした。それをミクラス夫人が制したのを憶えている。

邸には地下がある。其処は万一の時の避難場所と決められていた。扉は銃弾が打ち込まれようとびくともしない強固なもので、此処に避難しさえすれば身を守ることが出来る。また、ロートリンゲン家の者しか知らないことだが、この地下から外に出る道もある。フリッツは俺達を避難させるとすぐに父の許に向かった。母とルディと俺と、使用人達は其処で暫く身を隠していた。母は青ざめた顔をしていた。
その時の俺は気付かなかったが、父は俺を庇った際に負傷していた。


この日の事件の詳細を知ったのは、もう少し大きくなってからのことだった。

あの日、過激派の一派が庭に向けて手榴弾を投げ込んだ。俺はまったく気付かなかったが、父は塀を越えてきた飛来物に気付いて、すぐに俺の身を庇った。父に抱かれながら、身体が浮き上がったように感じたのは爆風だったのだろう。

父は手榴弾の爆発によって右肩を負傷した。その後、塀を越えてきた男達が邸の庭を占拠した。父は銃弾を三発浴びながらも、防戦した。駆けつけたフリッツが父に拳銃を渡し、フリッツやパトリックと共に応戦したらしい。

父は利き腕を負傷していたが、左手で拳銃を扱い、男達を倒した。15分後には警官隊がやって来て、その場で全員が射殺された。

騒動が落ち着いて、地下から一階に戻ると、母は走ってリビングルームへと向かった。その母の後をついていくと、リビングルームの窓際に座り込んだ父の姿を見つけた。

血塗れの父の姿を見たのは一瞬のことだった。父の身体は赤く染まり、フリッツとパトリックがソファにかけてあった薄掛で、父の肩を抑えていた。
「ハインリヒ様、いけません!」
ミクラス夫人が俺の目を覆い、すぐに部屋から引き離した。同じようにルディもミクラス夫人に連れられて、別室へと連れて行かれた。

父は重傷を負っていた。肩の損傷は骨まで達し、そればかりか三発の銃弾のうちの一発が、傷の中に埋まっていた。さらに一発は頭を掠め、もう一発は右足を貫通していた。
その状態で暴漢と戦っていたのだから、まったく頭が下がる。父だけではなくフリッツやパトリックも負傷していた。
俺は父に庇われて、掠り傷ひとつ負っていなかった。
父はまさしく身をもって俺達を守ってくれた。

21:26

22  暗殺未遂事件簿~ロイ回想(1)

03 08 *2010 | 未分類

誰かにつけられているな――と、家を出た時から気付いていた。五人の男が後をつけていた。

今日は休日で、特に何もすることがなかったから、書店にでも出掛けようと思って邸を出た。ルディは読みたい本があると言って外出を控えた。一緒に来なくて良かったかもしれない。

この男達は初めから俺に狙いを定めていたというよりは、ロートリンゲン家の誰かを狙っていたのだろう。待ち伏せて、邸の外に出て来たのが俺だった。身代金目当てかそれとも過激派か。

一応、邸に連絡をいれておこう。邸の警備を強化するよう伝えておいた方が良さそうだ。

携帯電話を取り出す。その時、男達が一斉に側に駆け寄った。両横と背後を取り巻く。此処はまだ大通りで人目に付きやすいというのに――。

「ロートリンゲン家次男、ハインリヒ・ロイ・ロートリンゲンだな」
背後に立った男が問う。腰には固い感触を押しつけられていた。拳銃だろう。
「このような人目につく場所で堂々と誘拐か?此処から少し先には交番もある。銃声が聞こえたらすぐに警官がやって来るぞ」
「警官が実際に助けに来るかどうか試してやろうか?」
男は冷静に言い放つ。拳銃の音が鳴らないよう細工してあるのか、それとも交番の警官達を既に制圧しているのか。

これは素人ではないな。少し様子を見た方が良さそうだ。
彼等は俺にそのまま歩くよう告げていた。そうしながら観察していると、彼等の巧みな様子がよく解る。俺の両横と背後に位置付けながら、行き交う人々の視線に異様に映らないよう、注意を払っている。横に二人、後ろに三人。拳銃を持ち俺の身体に押し当てているのは真ん中の男なのだろう。そしてその両側を歩く男達が拳銃の影を隠している。

彼等は次の角を曲がって、路地裏に入るよう告げた。さて、彼等は俺を殺害することが目的なのか、それとも単なる捕縛か――。

捕縛が目的ならば路地裏に車が用意してある筈だ。それか彼等のアジトがその付近にあるか。
殺害が目的ならば、路地裏に入った一瞬の隙に五人を倒さなければならない。彼等の凶器は拳銃だけだろうか。拳銃を持っているのは一人だけか。それとも他に何か持っているのだろうか。

路地裏に一歩足を踏み入れる。さらに奥に進むよう彼等は告げる。腰に感じていた拳銃の圧迫感がすっと放れる。
今だ――、身体を反転させて男の手をめがけて蹴りを繰り出した。拳銃が空を飛ぶ。パン、と風船が破裂するような音と共に拳銃が砕け散る。衝撃を与えたことで、暴発したのだろう。

「殺せ!」
男が命じると他の男達が拳銃を取り出す。
誰がそう容易く殺されてやるものか。銃口が一斉に此方に向けられる。すぐに駆け出す。止まれば、銃弾があたる。少しでも命中率を下げるために、右に左に動きながら、まずは一人を殴り飛ばす。

弾が俺の身体を掠めていく。身を低くして、別の男の足を薙ぎ払う。盛大に転んだ男の身体を踏み台にして飛び上がり、俺の真正面で拳銃を構えた男の顔を蹴り上げる。弾が逸れて、すぐ背後のビルに当たる。
落ちかかった拳銃を拾い上げ、最後の男に銃口を向ける。その男の拳銃めがけて発砲する。拳銃が男の手から落ちる。
「残念だったな。形勢逆転だ。全員壁に並べ」
「……は。勝ったつもりか」
一人の男が鼻で笑いながら言う。どういうことだ――と聞き返すと、今頃邸は占拠されていると笑って言い放つ。
「……それは残念だったな。それこそ失敗しているだろう」
「何?」
「邸には父と兄がいる。軍を退官したとはいえ、父は有り余る力を持てあましているし、兄に至っては外交官とはいえ腕は滅法強い。我が家をそう容易く占拠は出来ん」
拳銃の防音装置を解除して、居並ぶ男達の身体すれすれに拳銃を発砲させる。この音に気付いて、警官がじきにやって来るだろう。
男達は俺を睨み付ける。いくつか質問したが、彼等は何も答えなかった。

発砲して10分が経過した頃、警官が何事だとやって来た。拳銃を捨てるように俺に告げる。
「私は軍務省軍務局所属、ハインリヒ・ロイ・ロートリンゲン大佐だ。此処に居る五人の男達に命を狙われたので、彼等の身柄を確保した」
警官は一瞬驚いて俺を見、それから敬礼して失礼しました、と告げる。彼等の捕らえるよう告げ、全員に手錠と縄がかけられるのを確認してから、携帯電話を取り出した。
気付かなかったが、ルディから連絡が入っていた。すぐにかけ直す。三回の呼び出し音の後、ロイか――と、ルディの声が聞こえた。
「皆、無事か?」
俺が尋ねると、知っているのか、とルディもまた尋ねてくる。後をつけられ一騒動あった旨を手短に告げると、ルディは邸にも暴漢が入ったんだと応えた。防犯システムすら突破してきたから、父と二人で倒したのだという。
「そうか。解った。すぐに戻る」

21:49

21  フランツ結婚編(13)

03 07 *2010 | 未分類

ユリアと結婚して3年目に長男のフェルディナントが誕生し、その翌年には次男のハインリヒが誕生した。フェルディナントの身体が弱いことを、ユリアと共に思い悩んだこともあった。
そのフェルディナントも成長し、外交官として宮殿に勤めている。ハインリヒも一昨年、軍に入隊した。漸く私の荷も下りつつある。
それを考えると、今度は二人の息子達にこういう話が度々持ち上がるのも不思議ではない。

「あら。また縁談ですか?」
「まあな。ハインツ家から、フェルディナントに婿に来てほしいと。身体が弱いから無理だと一度は断っているのに、今度はこうして手紙で申し出が来た」
ユリアは私の前に珈琲を置いて、隣に腰を下ろした。
「ルディはまだ結婚するつもりは無いようですよ」
「今は仕事しか眼に入っていない。あれにも困ったものだ」
「公使となったばかりですもの。暫くは仕事に専念することでしょう。大学の頃から付き合っていた女性とも別れてしまったようですよ」
「女よりも仕事を選んだのだろう。フェルディナントらしい。……しかし何故そのようなことまで知っているんだ?」
「この間、ルディから聞きました」
「……ユリアにはそのような話もするのか」
「ルディもロイも何でも話してくれますよ」
フェルディナントとハインリヒは――、とくにフェルディナントは、私とはあまり話をしたがらない。厳しさ故に煙たがれているのだろう。仕方が無いことだが。
「一度ゆっくり話してみれば良いのに」
「……また今度な」
「いつもそればかり。縁談の話をしながらルディと向き合ってみては?」
「フェルディナントに報せるまでも無い。これは私から断っておく」
手紙を畳むと、ユリアは話すきっかけになるではないですか――と私を見つめる。

「私は厳しい父親のままで良い。二人のためにもな」
煙たがられるぐらいがちょうど良いんだ――と告げると、ユリアは呆れた表情で、嘘ばかりと呟いた。
「ユリア、縁談の話の続きだがな……」
「はい?」
「フェルディナントにもう一件寄せられている。フェルディナントの身体のことも全て理解した上での話だ」
「まあ、どちらから?」
「……陛下から。次女のエリザベート様との縁談だ」

これには流石にユリアも言葉を失って、眼を見開いて私を見つめていた。
私も皇帝にそれを告げられて酷く驚いた。先日、皇帝に呼ばれ宮殿に赴いた折にそれを告げられた。フェルディナントは身体が弱いからとその場で伝えたにも関わらず、皇帝は言った。
『承知の上で話をもちかけている。お前の長男が優秀であることを聞き及んでの話だ。少し考えてみてくれないか』
長女のフアナでなく次女のエリザベートだ。これが何を意味するかは、私が言わずともお前には解っているだろう――。

言葉を失った。
第一皇女フアナはフェルディナントと同じく身体が弱く、フェルディナント以上に症状は深刻だと聞いている。昨今では人前に出て来ることもない。第二皇女のエリザベートは健康で利発であり、ゆくゆくはこの帝国初の女帝となる方だと皆が噂している。
つまり、その皇女エリザベートの縁談ということは、フェルディナントを皇族の一員と迎えたい――もっと言えば、事実上の皇太子としたいということと同義であって――。

「ですが、エリザベート様はまだ16歳ではありませんか」
「ああ。陛下のお考えでは、早めに婚約しておいて、フェルディナントを宮殿に入れるつもりらしい。陛下と二人きりになった場でその話を持ちかけられた。まだ内々のことだ。誰にも……、フェルディナントにも話してはならぬぞ」
ユリアは解りましたと頷いて、ひとつ息を吐いた。
「……どうなさるのです?」
「折を見てお断りする。フェルディナントには重責すぎる話だ」
漸く成人を迎えて、フェルディナントの症状も落ち着いてきたと安心していたところだった。今度は縁談の話で悩まされるとは。
「……このままで居られたら一番良いのにな」
「フランツ……」
自分自身の言葉に笑い、ユリアの肩を抱き寄せる。ユリアも私に身体を寄せてきた。
「私も今のままで充分幸せです」
微笑むユリアに顔を近付け、口付けを交わす。もう何百回も、否、千回以上もそうしてきたというのに、ユリアという女性はいつまでも私を惹きつける女性だった。

「母上!」
突然、ばたんと扉が開き、慌ててユリアから離れる。この乱暴な扉の開け方は振り返るまでもない。ハインリヒだ。
「ハインリヒ!ノックと声をかけてから扉を開けるのは常識だろう!」
「し……、失礼しました」
出直します、と言って扉を閉めようとするハインリヒにユリアが立ち上がって呼び止める。
「待ちなさい。ロイ。何か話があったのではないの?」
「……邪魔じゃない?」
「ええ、ちっとも」
この時になって振り返り、ハインリヒの姿を見た。軍服のままだった。どうやら本部から帰宅してそのままこの部屋に飛び込んできたようだ。
「少将に昇級が決まったんだ」
ハインリヒは嬉しそうにそう言った。そういえば、先週末に昇級試験を受けたと言っていた。こんなに早く昇進するとは思わなかったが。
「そうか。おめでとう」
「軍務局艦隊総司令課副官付という職名も貰ったよ」
「少将で副官か。少し職が重いような気もするが……」
「ポストが空いてたみたいで……。あ、そうだ。ルディは今日少し遅くなるって」
ハインリヒはそれだけ言うと、部屋を出て行った。たった一歳の差なのに、落ち着いたフェルディナントとは違い、ハインリヒはまだまだ落ち着きのない男だった。
「アガタに言って今日は御馳走にしなくてはね。ワインも多めに用意しておきましょう」
ユリアはそう言って私の方を見、微笑んだ。それから部屋を後にする。

「願わくばこの平穏が続いてほしいものだ」
フランツ・ヨーゼフ・ロートリンゲンは一人呟いて、テーブルの上にあった絵画の本を開いた。

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