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38  喧嘩騒動~父の裁断(6)

03 25 *2010 | 未分類

家でのハインリヒの様子は、特に変わった様子も無かった。フェルディナントと語らったり、庭で身体を動かしたりして過ごしていた。

一週間の自宅謹慎期間が明けた日に、ハインリヒを連れ学校へ謝罪に赴いた。士官学校に足を踏み入れるのは、卒業以来のことだったが、校舎も寮も何も変わっていなかった。

まずハインリヒの担任の許に行って謝罪をし、それから学校長のカルナップ大将の許に行った。喧嘩を仕掛けられたとハインリヒが言っていたが、そのことを周囲に居た者が証言したようで、怪我をした相手側にも処分が下ったらしい。

ハインリヒは二度とこのような問題は起こさないことを約束し、始末書を提出した。帰りの車中で、ハインリヒはごめんなさい、と私とユリアに向かって再び謝った。その時こそ落ち込んでいたものの、翌日からはいつも通りの元気を取り戻し、フェルディナントと街に出掛けることも度々だった。


「心配していましたが、すっかり元気を取り戻したようですね」
「あまり元気が良すぎるのも困ったものだがな。まったくフェルディナントと一歳しか違わんのに、未だ落ち着きが無い」
「ルディがあの年頃にしては大人しいんですよ」
ユリアは笑って言ってから、あの一件はどうなりました――と尋ねて来た。
「一件?」
「惚けないで下さいな。ロイが怪我をさせた相手の方のことです。貴方一人で何かなさったのでしょう?」
ユリアが心配するからと思い、相手側からの連絡は全てフリッツから直接私に報せてもらうことにしていた。フリッツには前もって、ユリアや子供達に気付かれないように処理するように告げておいた。
「治療費と慰謝料は第三者が見ても充分なほど支払っている。後のことは弁護士を通じて頼むことにしたまでだ」
「相手の方は何と?」
「先日のことだが、息子が軍に入ったら昇級の際の推薦人になってほしいと言ってきた。これはきっぱりと断った。それとこれとは別問題だ、と」
「そうでしたか……。相手の方の怪我の具合は?」
「医者の方から聞いた話では、もう傷跡も無いらしい。念のために先日、精密検査を受けてもらったが、何も異常は無いそうだ」
ユリアは安堵した表情を見せる。医者はもともと大した傷では無かったと教えてくれた。此方が相手に手渡した治療費も高額すぎると言っていたが、元はといえばハインリヒが悪いのだから、仕方が無い。

「しかし……、学校が始まったら一度士官学校に行ってみるつもりだ」
「……そうですね。ルディがロイから聞いた話は私も気に掛けています。……でもフランツ、貴方が行くと却って話を拗らせてしまうのでは……?」
「私もそう考えたが、どうも根が深い問題のようだ」
「親として学校に行くということなら私が参ります」
「いや、軍関係者として行ったほうが対策を講じてもらえるだろう。アントン中将と話して考えた末の結論だ。それにユリアが行けば、却ってハインリヒを特別扱いしかねない。旧領主家から苦情が来たから処理をしなければならない、と思われるだけだ」
私が行き、たとえハインリヒを優遇しても、私は何の配慮もしないことを明言する必要がある。そしてせめて士官学校内では、旧領主家であれ差の無い対応をするように言い添えたい。

休暇が終わり、ハインリヒは士官学校へ戻っていった。短気を起こすのではないぞ――と注意したら、はい、と笑って応える。この分なら大丈夫か――と思った。

それから十日経って、半日休暇を取り、士官学校へと出向いた。カルナップ大将はにこやかに出迎えてくれた。
「お話があるとのこと。御子息のことでしょうか?」
「ええ。実は聞き捨てならないことを聞きまして……」
これまでのことを纏めて話すと、カルナップ大将の表情から笑みが消えていく。改善すべき点は改善する――と彼は言った。特に試験問題の件は厳重に教官に注意してくれることになった。

その後、折角だからと促されて、ハインリヒの授業の様子を見ることにした。カルナップ大将が手許の操作盤上に指を走らせて、スクリーンにハインリヒの教室を映し出す。数学の授業中だった。
数学の授業ということは、この教官が問題の教官なのだろう。
「優秀な学生だと教官も評しています」
カルナップ大将には不正を行った教官の名前を挙げなかったが、この教官であることは間違いなかった。先日、アントン中将が折り返し連絡を呉れて、名前を教えてくれた。その名前と一致している。現在、少将で、本部転属を望んでいるという。

ハインリヒは教科書を広げ、ノートを取りながら、教官の話を聞いていた。家での様子とは全く違い、熱心に授業を受けている。そんな姿を見て安堵した。

その時、ハインリヒが問題を当てられた。数学はそれほど得意な科目でもなかったが、きちんと答えられるだろうか――。まるで自分が当てられたような気分になっていると、ハインリヒが前に出て、解答を書いていく。教官はそれを見て、満足げに笑み、正解だと言った。

「流石は大将閣下の御子息。実に模範的な解答だ。皆も見習って勉強するように」

成程、こういう風な褒め方をする訳か。
ハインリヒは何も言わずに席に着く。カルナップ大将は困ったような顔をして、後程、あの教官に注意をしておきます――と恐縮しながら言った。

だが――、こんなことは良くあることだ。特にこれから学校を卒業し、軍に所属したら毎日のように言われるだろう。正面と向かって言われるか、陰口をたたかれるかどちらかだ。
ハインリヒもそれを解っているのか、特に変わった様子もなく、授業を受けていた。

21:39

37  喧嘩騒動~父の裁断(5)

03 24 *2010 | 未分類

視界にふとフェルディナントとハインリヒの姿が映る。本を読んでいるフェルディナントにハインリヒが語りかけている。天気が良いから庭に出ているようだった。

「アントン中将、息子達を紹介します。少々、お待ち下さい」
扉を開け、フリッツを呼んで二人を部屋に連れて来るよう告げる。一礼してフリッツは外へと出て行った。
「以前、此方にお邪魔した時にはまだお二人とも小さい砌でしたが、もう随分大きくなられたでしょう」
「フェルディナントは17歳、ハインリヒは16歳になりました。フェルディナントはグリューン高校に、ハインリヒは士官学校に通わせています」
「16歳……。では幼年コースに?」
「ええ。実はそのことでご相談したかったのです」

その時、扉を叩いてフェルディナントとハインリヒが姿を現した。アントン中将を紹介し、挨拶をするように告げる。アントン中将は表情を緩ませて、これは立派に成長された――と言った。
アントン中将が前にロートリンゲン家を訪れたのはフェルディナントが9歳、ハインリヒが8歳の頃で、確かあの時はハインリヒがジュニアスクールに行っている時だった。

挨拶だけさせて二人を下がらせると、御長男は身体が良くなったのですな――と中将は言った。以前、アントン中将が来訪した時にフェルディナントには挨拶をさせておいたから、フェルディナントのことを憶えていたのだろう。

「今もよく風邪をひいては学校を休んでいますが、幼い頃と比べれば格段に良くなりました」
「それは幸いでした。……しかし、御次男が幼年コースに入学なさっていたとは……。16歳というと二年目ですか」
「ええ。そのハインリヒが、恥ずかしながら、このたび士官学校で問題を起こしてしまいまして……。上級生と喧嘩をして怪我をさせてしまったのです。今は休暇期間ですが、一週間の自宅謹慎中でもあります」
「上級生と喧嘩ですか。元気が良くて結構なことだ」
アントン中将はくすりと笑う。笑い事ではないのですよ――と告げると、彼は失礼と言いながら、笑みを収めた。

「上級生と喧嘩をしたということを問い詰めて話を聞きましたが、何となく要領が掴めずにいたところ、兄のフェルディナントが私の許にやって来まして……」
フェルディナントから聞いた話をアントン中将に話すと、アントン中将は渋面をして考え込んだ。

「士官学校は軍の縮図でもありますから。……それに幼年コースとなると親の期待のかかった子供も多い。私も本務の傍ら、戦術の講義を受け持っておりますが、昨今では子供の親が挨拶に来る始末です」
「……まさか、昇級を頼みに?」
「昇級もありますが、配属先を良いところにしてほしい、と。賄賂も日常的に横行しています。先日、私の所にやって来た学生とその親が金を渡そうとしたので、断ったところです。悲しいことに、一年に一度二度はそういうことがありますよ」
「そんなことが……。軍のなかでもそうした話は聞きますが、まさか士官学校でもそうだとは……」
「ええ。親達にも困ったものですが、私が何よりも憤りを感じるのはそれを許してしまっている教官達に対してです。御子息に事前にテスト内容を教えたその教官も、教官として恥ずべき行為を行っている。幼年コースの数学教官でしたな。それでしたら調べはつきますし、それに……、私も見当が付きます」
「中将は幼年コースにも戦術を?」
「いや、幼年コースの戦術は別の教官が担当していますが、以前、幼年コースの数学担当教官が私の許に来て、昇級したいと言っていたことがあるのですよ」
「……まさか同一人物と……」
「まだ解りませんが、その可能性は充分に高いかと。彼以外にも昇級の推薦をしてほしいと言い寄ってきた教官が何人もいます。カルナップ大将にも教官と学生の質が落ちていると進言したことがあるのですが、カルナップ大将は変化を望まない方だからなかなか難しいこともあります」
「私の時代とは随分変わってしまったようですな」
「同じ制度が長く続くと、間隙を狙って得をしようとする者が必ず出て来ます。士官学校も同じですよ」
「私自身、軍に所属している身ですから、子供のことでは出来るだけ表に出たくはなかったのですが……。アントン中将が進言しても改善されないのなら、カルナップ大将と少し話をする必要がありそうですな」
「そうして下さると私も助かります」

その後もアントン中将と談話し、夕食も共にした。話は多岐に亘り、尽きなかった。アントン中将は、フェルディナントやハインリヒにも興味を持ったようだった。

「お二人とも行く末が楽しみだ」

そう言って、眼を細めて二人を眺めていた。

21:27

36  喧嘩騒動~父の裁断(4)

03 23 *2010 | 未分類

「士官学校の上級士官コースを首席卒業という輝かしい経歴を持っていますが、幼年コースには在籍しておらず、一般の高校に通い、帝都大学を受験した男でしてな。文学部を突然閉鎖することになった年があったでしょう――あの時、受験して合格していたのです。試験の上位優秀者のみ士官学校への入学を許可することになって、彼はそれで士官学校に入ったのですが……」
「それはまた数奇な。しかしそんな人物が首席でしたか」

士官学校の首席は幼年コース出身者の場合が多い――というよりも、それしか聞いたことが無い。おそらく前例の無いことだろう。相当な切れ者なのかもしれない。

「ええ。その男が卒業後、私の支部に所属となったのです。仕事の飲み込みも早ければ、戦略や戦術にも長けている。実に有能な男なのです。……が、ひとつ欠点がありまして」
興味津々と聞いていると、アントン中将は苦笑混じりに言った。
「世の中を渡るのが下手というか……。御存知の通り、昇級には試験があるといっても上官の推薦が必要となる。推薦となると、旧領主層の力が働く部分が多分にあります。私が閣下の推薦もあって中将の地位を得たように」
「陛下が試験での昇級を可能にしたとはいえ、まだまだ問題は山積しておりますな」
「ええ。有能な者こそ昇級すべきものだと思いますが……。少将以上であれば昇級の推薦人となるのは可能となりますから、私はこれまでずっと彼を推薦してきました。最短で准将までは昇級させています。出来れば、少将までは私が何とかしたかったのですが、彼の昇級と同時に私の方が転属となってしまいましてな。彼は支部に残り、其処で3年間、経験を積んだのです。……が、私の後任としてやって来た中将と折り合いが悪く、転属願いを出しましてね」
「成程……。では今その人物はどちらに?」
「それがまた面白いことに、現在は本部に所属しているのです。彼と折り合いの悪かった中将が本部への転属を希望していたようですが、本部が選んだのがその男の方でして……」
「陸軍本部に?」
本部に居たら出くわしても良いだろうに、そのような人物とは会ったこともない。私が大抵、自分の執務室に居るからだろうか。
「軍務局で総務参事官を務めています。先日、彼と会って話をしたのですが、彼自身は大将の姿を見かけたことがあると言っていましたよ。尤もお話しした通り、要領よく世の中を渡る人間ではないので、用の無い限りは大将の許にも行かないでしょうが」
「総務参事官……。そうでしたか……」

軍務局といったら、参謀本部の隣ではないか。私自身もよく足を運んでいる。私に与えられた執務室から参謀本部が離れているとはいえ、一日一度は軍務局の隣の参謀本部に足を運ぶのに――。

「変わり者と軍の内部では言われていますよ。確かにそうかもしれないが、彼には誰にも代え難い才能と実力がある。……旧領主層に諂えば昇級出来ると考えている士官達と違い、彼は実力で此処まで上り詰めた。もう少し世渡りが上手ければ、彼はもう大将となっているでしょう」
「アントン中将が其処まで評価する人物ですか」
「正統な評価を受ければ、彼は長官にまで上り詰めるでしょう。……尤も彼はそれを望んでおらず、昇級も准将までで良いと先日もぼやいておりましてな。ですが帝国のために、彼にはこのまま本部に留まり、上層部に名を連ねてほしいと考えているのです」
興味が沸く。このアントン中将がこんなにも評価する人物に会ってみたくなった。
「閣下にお願いしたいのはこの男のことです。率直に申し上げれば、昇級時の推薦人になっていただきたいのです。お話しした通り、上官に挨拶回りをするような男ではなく、間違ったことは上官であっても食いつくような男ですが……。彼が長官となれば必ず軍を変えてくれます」
「軍務局の上官は当てにならないということですか」
「軍務局の将官は現在、フォン・シェリング大将の派閥に属しています。彼の許での昇級は難しいでしょう。……私は本当は大将のいらっしゃる参謀本部に行かせたかったのですが、参謀本部が充足数に達していましたので」
「仰って下されば一人ぐらい融通しましたのに」
「閣下はそう仰ると思い、黙っておりました。それでは彼の反感を買ってしまいますので……。そういう男なのです」
アントン中将は苦笑する。どうやら随分生真面目で一辺倒な人物のようだ。軍の上層部の人間としては珍しい。
「既にフォン・シェリング大将には嫌われているようでしてな。私も迂闊だったのですが」
「フォン・シェリング大将か……。これからますます彼の力が強くなるでしょうな」
「私としては、閣下が長官となられるのを期待していたのですが……」
苦笑を返すと、勿体ないことです、とアントン中将は嘆息を漏らした。

私を長官へとの声はこれまでにも何度もあった。父も一度は長官となったことがあったし、ロートリンゲン家の歴代の当主は必ず一度は長官を経験している。だから、私自身もその心積もりはあった。

だが、過去に皇帝の不興を買ったことがあり、その時、お前のような人間が軍の頂点に立ってもらっては困る――と言い放たれた。それはちょうど、長官の指名を受け、試験も突破した直後だった。そのため、私は長官の資格を得ながらにして、辞退した。以後もたびたび長官への要請があったが、陛下との約束を守るために、私は何ずっと固辞し続けていた。

「その人物の名前を教えてもらえますか?」
「ジャン・ヴァロワ准将と言います。現在29歳――、おそらく大将もお気に召すかと思います」

ジャン・ヴァロワ准将――。
記憶の糸を辿っても、名を聞いたことも無い。まあ軍務局は隣の部屋だから、時間がある時にでも顔を覗かせてみるか。

16:52