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41  学校編【1】~ルディの切望(1)

04 15 *2010 | 未分類

「よくお似合いですよ、フェルディナント様」
ネクタイをぴしりと締めて、真新しいブレザーを羽織る。鏡に映る自分の姿がまるで自分ではないように思えた。ミクラス夫人の褒め言葉に少し照れてしまう。母も私を見てにっこり微笑した。
今日、高校の制服が届いた。黒いブレザーにスラックス、白いストライプのシャツ、黒を基調として灰色のストライプの入ったネクタイ、ブレザーとシャツの胸元にはグリューン高校の校章がつけられていた。

生まれて初めて、制服を着た。
何だか気恥ずかしい。
「アガタ、裾が少し長めだから直してもらえる?」
「ええ、解りました。内側に折って縫っておきますよ。フェルディナント様はちょうど伸び盛りの時期ですから、切ってしまわない方が良いでしょう」
「そうね。去年から随分伸びているし……。今はロイより少し高いんじゃない?」
「2㎝だけ。まだ伸びるかな?」
先日、計測してもらった時に、私が178cmでロイが176cmだった。これまではロイの方が高かったから、私に追い越された――と、ロイは嘆いた。しかし多分、一過性のことでまたすぐにロイに抜かれるだろう。
「お父様が高いから、あと10cmぐらいは伸びるでしょう」
確かに父上の身長は190cm近くある。子供の頃は見上げるのが大変だった。今でも見上げなければならないが――。
「でも……、本当に大きくなったわね」
母上は眼を細めて私を見る。
母上の身長を追い越したのは一昨年のことだった。その頃からぐんぐん背が伸びてきて、まだ止まっていない。
それに――。
成長と共に、身体が丈夫になってきた。母上はきっとそのことを喜んでいるのだろう。
「その姿、今日お父様がお帰りになったら、見せてさしあげなさいね」
頷き応えると、母上はそれから、と付け加えて言った。
「体調が悪い時は無理をせず休むこと。そして必ず月に一度、病院で検診を受けること。お父様との約束をきちんと守るのよ」
「うん、解ってる。月末になったら、学校帰りに病院に寄って来るよ」
高校の入学試験に合格してから、父上と約束をした。その二つの約束を破ったら、学校を辞めさせる――とも言われた。どちらとも無理難題ではない。私がきちんとその約束を守れば良いことだ。
再来週から、私は学校に行く。子供の頃からの願いだった。
それが漸く叶った――。

ロイは学校に通えるのに私は通わせて貰えなかった。
身体が良くなったら学校に行かせてくれる――と、両親は言った。だから、毎年、新学期が始まる時期になると、今年から通うことが出来るかもしれないとずっと胸を高鳴らせていた。
ジュニアスクールに入学出来る年齢になってから、毎年毎年、両親に頼み込んだ。だが、許して貰えなかった。両親だけでなく、侍医のトーレス医師にも反対されていた。確かに私は寝込むことが多かったが、短い距離なら走ることも出来たから、許してもらえないのが納得出来なかった。5年前まではこの時期が近付くと学校に行きたいと頼み込んでいたが、4年前からは一切それを口に出来なくなった。

4年前には絶望していた。
学校に行くことは、無理だと自分でも解った。

4年前――。
私は突然、ある病気を発症し、自力で呼吸さえ出来ない状態にまで陥った。絶望の淵に立たされた。死が日に日に眼の前に迫ってくるようで、それが怖くて、逃げ出したくとも逃げられなくて――。
病気による苦痛以上に、元気なロイが羨ましくて――。
口惜しくて、妬ましくて――。
今でもあの頃のことを、鮮明に思い出すことが出来る。

21:50

40  喧嘩騒動~父の裁断(8)

03 27 *2010 | 未分類

「お帰りなさい。お疲れでしょう」
士官学校からそのまま本部に向かい、執務に専念して、帰宅したのは日付が変わる刻限だった。
「教室まで見せてもらったよ。懐かしかった。ユリア、ブランデーを持って来てくれるか」
ユリアが一旦部屋を出ていく。その合間に軍服から部屋着に着替える。扉がノックされ、フリッツがやって来た。
「フリッツ、休んで構わんぞ」
「ありがとうございます。弁護士からの手紙が届きましたので、御報告を」
ハインリヒの件だろう。フリッツから手紙を受け取り、開封すると示談が成立した旨が記されていた。相手側が漸く納得したとのことだった。
「一段落といったところだ。御苦労だった、フリッツ」
「旦那様こそ、お疲れ様でした」

手紙をテーブルの上に置き、ソファに腰掛ける。程なくしてユリアがブランデーとチーズを持って来てくれた。
「フェルディナントはもう寝たのか?」
「ええ。今日は少し調子が悪いようで早めに。貴方に報告があったみたいで、起きて待ちたかったようだけど」
「報告?何かあったのか?」
ユリアは手に持っていた数枚の紙を開いて、私の前に出した。フェルディナントのテストだった。全て9割以上の点数で、満点が3枚ある。
「此方は全く心配する必要が無いな」
「勉強に関しては。ルディも色々悩みがあるようですよ。それからもうひとつ報告がありますから、それはルディから聞いて下さいな」
「もうひとつ?何だ?」
「良い報告です。褒めてあげて下さい。……ルディもクラスにあまり馴染めていないみたいですから」
「フェルディナントも官吏になるつもりなら、勉強と思うしか無いな」
ブランデーを一口飲み、その芳香に一息吐く。ユリアはフェルディナントのテストを丁寧に畳み、貴方の言うことも尤もですが、と言った。
「多感な年頃です。それに、ルディもロイも良い子達ですが、傷つきやすい節があります。貴方は時にその傷を抉ることがあるから気を付けて」
「……随分手厳しい言葉だな」
ユリアはくすりと笑う。子供達に厳しすぎると言いたいのだろう。とくにフェルディナントに。
「叱ってやれるのは私達だけだ。私達以外の誰もあの二人を叱りはしないだろう。間違った行いをしても、叱ってもらえないことのほうが余程哀れではないか」
「ええ。でもフランツ、傷を抉るような叱り方は無いと思うのよ。……それにロイのことも。今回はロイが悪かったとはいえ、強く殴りすぎです」
酷く腫れ上がっていたではないですか――と言いながら、ユリアは私を咎めるような眼で見る。
一連のことが解決したと思ったら、ユリアから小言を聞かされるとは――。

確かに強く殴りすぎたかもしれないとは後で思ったことだが、あの
時はかっとなって力を抑えるのを失念してしまった。
「ロイには力で、ルディには口で傷を抉るのですから。ロイもこのたびのことは随分反省しましたから、貴方も少し自重してください」
「……心に留めておこう」

空になったグラスに3杯目のブランデーを注ごうとすると、ユリアの手が伸びてきてブランデーの瓶を先に取った。注いでくれるのか――と思ったら。
「そして貴方ももう若くないのですから、お酒も控えめに」
「……健康診断で異常は何も無いぞ」
「異常が出てから控えても遅いのです。ルディやロイが立派な大人になるまで見届けなくてはならないのですから」
ユリアはもともとそう強く物を言う人間ではなく、やんわりと話をする人間だったが――。
「……強くなったな、ユリアは」
「貴方と一緒になって強くなってしまいました」
ユリアは笑みを浮かべてみせる。それに苦笑すると、ユリアもつられるように声をたてて笑った。
「五年後にはハインリヒが入隊か……。フェルディナントも大学を卒業する。そう考えると早いものだ」
「ロイが入隊したら、貴方は退官なさるの?」
「ああ。ハインリヒが卒業と同時に私は退官する。ユリア、そうしたら二人で各国を巡り歩かないか?」
「楽しみにしています」


翌日になって、フェルディナントは半年前に書いた論文が優秀賞を獲得したことを告げにきた。外交に関する論文だったらしい。
外交官を志望しているのではないか――と薄々思ってはいたが、こういう論文を書くということは、やはり外交官を目指すつもりなのだろう。
「外交官となるにはもう少し身体を丈夫にしなければならんぞ」
フェルディナントは今日、学校を休んだ。昨晩、急に高熱を出し、昼になって漸く下がったらしい。
「……はい」
「あとは頑張りなさい。まずは帝国大学への進学だろう。あそこの法学部はかなり難しいからな」
「……良い……の……?」
フェルディナントは眼を丸くして私を見つめた。私の返答がさも意外だったかのように。
まさか反対されると思っていたのか――。
「お前がやりたいことならば反対はしないぞ」
「……芸術家か文筆家が良いってずっと言ってたから……。絶対に反対されると思ってて……」
「お前の身体を考えれば、官吏の道には進んでほしくなかった。芸術の道を志してくれれば、個展を開いてやれることも出来るし、美術館を作っても良いと思っていたがな。……だが、お前は外交官となりたいのだろう?」
フェルディナントは力強く、はいと応えた。まったくこういう時は良い顔をする。
「ならば頑張りなさい。多少のことで挫けてはならんぞ」


その後、ハインリヒは問題を起こすこともなく、進級を重ね、士官学校を首席で卒業した。フェルディナントもグリューン高校を卒業した後、帝国大学へと進み、此方も首席で卒業して、外交官への道を歩み始めた。
子供達の成長は早いものだった。そして私もあっというまに年を取った。


「あれ。ルディはまだ帰ってなかったの?」
リビングルームで寛いでいると、ハインリヒが軍服姿のまま部屋にやって来た。
「今日は遅くなるって先刻、連絡が入ったわよ」
「……だったら外務省に寄って来れば良かった。もう疾うに帰ってるかと思ったのに……」
ハインリヒは呟いて溜息を吐く。口振りから察するに、外交関係の文書に手を拱いているのだろう。
「自分の仕事は自分で済ませなさい。如何に兄とはいえ、其処まで頼っては駄目だ」
「過去の資料を読み返さなきゃいけないからさ。……ルディだったら聞けば一度で解るし……」
「そういう手間を惜しんではならないといつも言っているだろう」
ハインリヒは肩を竦めて部屋を去っていく。隣でユリアがくすりと笑った。
「仲が良いこと」
「……ハインリヒはフェルディナントに頼りすぎる。あれも困ったものだ」

それでも仲の悪い兄弟ではないことは幸いか――。
今後もこれだけ兄弟仲が良ければ良いが――そんなことを思いながら、読みかけの本に視線を落とした。

15:12

39  喧嘩騒動~父の裁断(7)

03 26 *2010 | 未分類

「なあ、学校長と一緒に大将閣下が学校を見回っているらしいぞ」

休憩時間となった時、廊下がやけに騒がしいと思ったら、誰かがそんなことを言った。
軍務省の関係者が学校を視察に来たのか――、俺にもそして学生達にも直接には関係の無いことだろうに、皆は意気揚々と窓の外を眺める。
「誰だろう。階級章は確かに大将だよな。それに勲章も多い……。学校長より遙かに多いぞ」
「長官と同じぐらいじゃないか?大物には違いないんだろうけど、一体……」
「あ、上級生も見送りに出るみたいだ。俺達も行くか?」
ぞろぞろと皆が教室から出て行く。皆、熱心なことだった。教官から見送りに出るよう指示が出た訳でもないから、教室に残っていても問題は無いだろう。興味は無かった。

そんな俺とは対称的に、外はざわめいていた。窓の外を何気なく見遣ると、教官までも居並んでいる。
学生の頃から、こんなにも昇級のことを考えなくてはならないのだろうか。俺が間違っているのだろうか――。
ぼんやりと窓の外を眺めていると、学校長の姿が見えた。その学校長の隣には――。

「え……?」
あの後ろ姿は――。
いや、まさか。でも――。

「ロートリンゲン大将だってさ。そうそう、一年に息子がいるだろう」
外から声が聞こえてくる。間違いない。父上だ――。

もしかして父上は改めて謝罪に来たのだろうか。何故――?
俺は何も聞いていない――。


慌てて外に出て、父の許に駆け寄る。シミュレーションの部屋の前に居た父は此方に気付いて振り返った。
周囲の学生達がざわめていた。あれが息子だ――と。

「父上……。何故、学校に……」

父上だって、やっぱり俺達とは違うよな――と声が聞こえてくる。こういう場では不適当だっただろうか――口を噤むと、父は此方に近付いてハインリヒ、といつもの調子で呼びかけた。


良いよな、父親が将官なら昇級試験もお手の物だから。
息子って確か首席入学したって噂だよな。あれもやっぱり父親が大将だからなのかな。
頑張らずとももう出世へのレールは敷かれてるんだから良いよな。
俺達とは何から何まで違うよ――。


そうした言葉ばかりではないだろうに、その言葉ばかりが耳につく。父の耳にもそれは聞こえているだろうに、父は鷹揚に構えていた。

「カルナップ大将に話があってな。校舎が懐かしくて少し見学させてもらった」
「そう……。じゃあまだこっちに?」
「いや、これから戻って出勤だ」
少しがっかりしてしまった。このまま父と共に家に戻りたい――と思ってしまう。

「ハインリヒ。胸を張りなさい」
「え?」
「お前はお前だ。私はいつもそう言っているだろう」
父は微笑んで言って、私の背を叩いた。

胸を張れ――。
……気にするなということだろう。

「はい」
「では教室に戻りなさい。もうじきベルが鳴る頃だろう?」
頷いて、父に応え、学校長のカルナップ大将に一礼してから、その場を去る。少しだけ父に元気を貰ったような気がした。

俺は俺――。

解っていても、つい忘れてしまうことだった。
廊下を歩いていたところへ、ベルが鳴る。学生達はまだ廊下に出て騒いでいたが、俺は一人教室に戻った。
俺はこれで良い――。

俺には俺のやり方がある。きっとそれで良い。

21:30