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35  喧嘩騒動~父の裁断(3)

03 22 *2010 | 未分類

「お久しぶりです。アントン中将」
思い立つが早いか、翌日にアントン中将に連絡をいれ、相談したいことがある旨を告げた。アントン中将は快く応じてくれた。そして、週末にロートリンゲン家に足を運んでくれることになった。

アントン中将は現在、ナポリ支部に所属しており、帝都本部に来ることは滅多に無い。こうして顔を合わせるのも何年ぶりだろうか。

アントン中将は、私が士官学校を卒業し、大佐としてはじめて入隊した時の上官だった。私より七歳年上で、あの頃は准将だった。戦術に長けた人物との評判はその頃からあった。

あれは確か入隊当初のことだった。
南部で紛争が起こり、アントン中将と共に制圧に向かったことがあった。私は士官学校では戦略や戦術が得意で、そうした試験では常に一位を獲得していたから、自信があった。そうした自信がある事件を引き起こした。

アントン中将が隣の支部に出掛けた折のことだった。過激派の一団が、支部を襲ってきた。その支部に居た者達のなかで、アントン中将の次に階級が高いのは私であって、判断を迫られた。アントン中将と連絡を取らなければならないことは解っていたが、私はアントン中将の許可も得ず、勝手に攻防戦を繰り広げた。私の力で制圧出来る――と慢心していた。

『何故、すぐに連絡をいれなかった!?上官の指示を仰ぐのは軍において基本事項だろう!』
攻防戦には勝利したものの、軍内に多数の負傷者を出してしまい、私はアントン中将から叱責を受けた。
『優秀だからこそ自信があったのだろうが、机上の戦術と実戦の戦術は異なる。だからこんなに負傷者を出してしまった。勝てば良いというものではない』

父以外の人間に、こんな風に叱られたことは初めてだった。何よりも、自信過剰であったことは否めない。私が謝ると、アントン中将はスクリーンに支部の周辺図を映し出して、より負傷者の少ない隊の動かし方を説明してくれた。

アントン中将が示したその戦術は、私のやり方が如何に浅はかなものだったか思い知らされるものだった。私は本当に恥ずかしくなってひたすら謝罪した。

軍に入ってはじめて尊敬できる人物に出会ったと感じたのが、このアントン中将だった。彼の部隊に一年在籍した後、私は准将として本部に所属することになった。私は士官学校の幼年コースを卒業したこともあり、また旧領主家の出身でもあったから、誰よりも出世が早かった。だが、アントン中将の許で学んだこと以上のことは、本部では学べなかった。

アントン准将が9年かかって少将となった時、既に大将となっていた私の部隊に入ってもらった。そこで3年間、彼からじっくりと戦略や戦術を学んだ。その後、アントン中将は北部のある支部に転属となって、約15年間其処に勤務した。その間に中将となり、4年前にまた別の支部に転属となって、現在に至る。


「私こそ御無沙汰しております。ロートリンゲン大将閣下」
「堅苦しいのは止めて下さい。此方が願ってわざわざご来訪頂いたのだから」
アントン中将に座を勧め、支部の様子を尋ねる。何も変わりは無いようで、日々暢気に暮らしているところです――と彼は笑いながら言った。
「大将の昇級を断ってしまうのだから困った方だ」
「何、中将の階級ですら自分の身には余るものですよ」
彼を大将に推薦したことがあるが、彼自身があっさりとそれを断ってしまった。大将となれば、本部に顔を出さなければならなくなる。派閥の抗争に巻き込まれず、少将か中将のまま遠い支部でのんびりしたいというのが彼の本心だったようで、仕方無く推薦を取り下げざるを得なかった。
「失礼します」
軽いノックの音が聞こえて応じると、ユリアが入室する。珈琲を持って来てくれた。ユリアはアントン中将に挨拶をして、軽い世間話を交わす。ごゆっくりなさって下さい――微笑しながらそう告げて、部屋を出て行った。
「相変わらずお綺麗ですな。御結婚の際には、独身の者達が羨んだものです」
「妻も私も年を取りました。もうじき私は50歳になりますよ」
「軍人としてちょうど良い年頃ではないですか」
「まだまだ不勉強なこと、この上無いですよ。アントン中将さえ宜しければ、本部にいらしてほしいぐらいです」
アントン中将は微笑んで、もう私はこの年です――と軽く肩を竦める。そして、閣下、と此方を真っ直ぐ見てから言った。
「……閣下にはそろそろお話しておこうと思っていたことですが、来年、退役することにしました」
「来年……!?随分お早い話だが……、まだ……」
「60歳まで勤めることは出来ますが、少し早く退役してのんびりしようかと思っているのですよ。本部にはまだ届けを出していませんが、来月か再来月にでも……と考えています」
「支部で何か……、中将を困らせるようなことがあったのですか?」
アントン中将は笑って、そのようなことは一切無いと応えた。ただ単に、そろそろ軍を離れて、何処か田舎でのんびり暮らしたいということだと眼を細めて言った。
「そうですか……。残念ですが……」
「その前に、閣下にお願いしたいことがあったのです。実は私も閣下とお会いしたかったのですよ」

アントン中将は温厚な笑みを浮かべて、先にそれを話して良いかどうか尋ねた。勿論ですと促すと、彼は面白い男が居るのです――と前置いて言った。

21:30

34  喧嘩騒動~父の裁断(2)

03 21 *2010 | 未分類

翌日、帝都の隣町まで赴き、謝罪に行った。相手側の学生は頭に包帯を巻いて、ハインリヒをちらと見遣った。ハインリヒは一度謝罪をした後は、彼の顔を見ようともしなかった。

相手側の両親は二度とこういうことが起こらないよう注意するよう求めた後、治療費の請求書と慰謝料を提示した。完治するまでの治療費は此方が全面的に支払うことを約束し、当面の治療費を置いて、その家を後にした。

車のなかで、ハインリヒは一度、ごめんなさいと謝った。それ以降は終始、黙り込んでいた。


その家から次に連絡が来たのは翌週に入ってからだった。請求書が届いた。ユリアが開封した手紙のなかには、予想以上の額が書かれた紙が入っていた。
「……何となく嫌な予感はしていたが、な」
「旦那様……」
フリッツとパトリックが気遣わしげに此方を見る。苦笑してその手紙を机に置いた。
「謝罪に行ったその日に慰謝料の提示をされたから妙だとは思っていた」
「その日に渡した額は治療費以上の額が入っていた筈です。……こうなると、はじめから出し渋った方が良かったのでしょうか……」
フリッツは判断を見誤りました――と言って謝った。
「いや。そうすると今度はマスコミにでも情報を売っただろう。旧領主家の子息が一般人に怪我をさせた、とな」
「フランツ……」
ユリアが不安そうな表情をする。大丈夫だと告げてから、側に置いてあった一枚の書類を前に差し出した。
「幸いにして学校長のカルナップ大将が、相手側の学生の診断書を送ってきてくれた。フリッツ、これをトーレス医師に見せて完治までの日数と費用を算出してもらってくれ。それからこのことは、ハインリヒにもフェルディナントにも内密に頼むぞ」
「解りました」
「それからパトリック。もう一度慰謝料の換算を頼む」
パトリックは承知しましたと言って、フリッツと共に部屋を去っていく。ユリアは溜息をひとつ吐いた。

「溜息ばかり吐いていると老けるぞ」
揶揄するように告げると、ユリアはもう私も良い年ですと言い返してきた。
「貴方がハインリヒから聞いた話では、私は相手側の学生さんにも原因があるように思います。それなのにこんな形で応酬を受けるなんて……」
「気にすることはない。パトリックが知っているが、私も似たような経験がある。……他の家庭より金があるように見えると、どうしても狙われるものだ」
「それにしてもこの金額は……」
「破格だな。そして此方に払う意志がないと相手方が知ったら、おそらく次は息子の昇級を取りはからうように言ってくるだろうな」
「フランツ……」
「無論、応じるつもりは無い。治療費も、そしてそれに見合う慰謝料も私達は払った。それ以上の面倒は見きれない」
「それで相手の方が納得してくださるでしょうか」
「納得してもらうしかないな。お前が気に病むことはない」
ユリアは怪我のことを酷く気に掛けていた。ハインリヒの前では決して言わなかったが、三針の縫合ならばそう大した傷でもない。ましてや軍人となる人間が、それぐらいの傷をいつまでも引きずっているほうがおかしい。


ハインリヒはいつも通りの生活に戻っていた。士官学校の生活のことを尋ねると、変わりは無いと言う。ユリアが気に掛けていたことでもあるし、私自身も少し気にかかってはいたが、本人がそういうのだからこれ以上、追求しようがない。

しかしその日の夜、書斎で本を読んでいるとフェルディナントがやって来た。
「どうした。こんな夜中に」
「少し話したいことがあって来ました」
ロイのことを――と、フェルディナントは言った。本を閉じ、側にあるソファに移動して、フェルディナントを向かい側に座らせる。
ハインリヒはフェルディナントには何でも話すようだから、フェルディナントに何か学校のことを漏らしたのかもしれない。
「不満を漏らしていたか?」
「いいえ……。ロイの話を聞くと、士官学校自体に問題があるように思うのに、ロイは父上や母上に心配をかけると言って言わないから……。だから、こうして話に来ました。でも私が言ったことはロイには黙っておいて下さい」
「解った。それで士官学校自体に問題がある、とは?」
奇妙な物言いをする――と思っていたら、フェルディナントはハインリヒから聞いたことを纏めて私に伝えてくれた。

驚いたのは、まるで執務で少将が報告するかのように、フェルディナントがきちんと士官学校で起こったこととその問題点を纏めて話していたことだった。

官吏になりたいと言っているようだが、確かにそうなれば出世するかもしれないな――とフェルディナントの話を聞きながら何気なく思った。

そして、士官学校で生じている問題というのが見えてきた。私が軍に所属しており、現役の大将であることが幾許か影響するかもしれないことは、ハインリヒを士官学校にいれる前から気付いていたことで、そのことは学校長のカルナップ大将にも告げておいたことだった。
私は私で、息子は息子だから、決して贔屓をしないでほしい――と。

それなのに、まさか試験問題までも事前にハインリヒに渡していたとは思わなかった。それをハインリヒが白紙で提出したにも関わらず、満点で戻って来た。これもう明らかに不正ではないか。
カルナップ大将はもしかしたら教官達のそうしたことを知らないのかもしれない。知っていたら、いくら何でも見咎める筈だ。

「そうか……。よく解った。学校の件はもう少し突き詰めてから学校長に相談してみる。……ところでお前の方は学校生活はどうだ?」
「……私はロイの話を聞いたら、恵まれている環境だと思いました」
フェルディナントは肩を竦めてそう告げる。この言い方だと、多少は何かがあったのだろう。
「……フェルディナント。旧領主家に生まれると、普通の人々より確かに多少は裕福だ。それにより妬みや僻みを受けることもある。それは学校生活に限らず、これから先も続くことだ。……どういう対処をするのが一番賢い方法か、学びなさい」
「父上……」

フェルディナントが部屋を去ってから、傍と思い出した。
士官学校の戦術の教官として、一昨年からアントン中将が招聘されていると聞いている。カルナップ大将と直接話をする前に、アントン中将に士官学校のことについて少し話を聞いてみることにしようか。
親でもあるし、軍での階級のこともあるからあまり表立ちたくは無かったが、フェルディナントから聞いた話では士官学校のハインリヒへの態度が少し度を越しているように思える。

22:03

33  喧嘩騒動~父の裁断(1)

03 20 *2010 | 未分類

ハインリヒが上級生と喧嘩をして怪我をさせた――。

軍本部の執務室でその報せを受けた時には、驚きのあまり言葉を失った。士官学校の学校長を務めるカルナップ大将から直接電話がかかってきて、学校で何かあったのかとは思ったが、まさかそんなことを聞くことになろうとは思わなかった。

「大変申し訳ありません。ご迷惑をおかけしました」
側に居た少将が何事かと此方を見遣る。落ち着こう落ち着こう、と何度も自分に言い聞かせた。
「そうですか……。処分は厳正にお願いします。此方からも謝罪に行きますから……。ええ、名前と連絡先を教えて頂けますか」
側にあった白い紙に名前と住所、そして電話番号を書き付ける。それから電話を切った。すぐに家にも報せなければならないが、何よりも自分自身が動揺していた。あのハインリヒがそんな馬鹿げた事件を起こすとは――。

「あの、閣下。何か御座いましたか……?」
「いや……。執務とは関係の無いことだ。済まないが、今日は早急に執務を終わらせて帰宅する」
何が原因なのか、気にかかる。否、原因も何も、殴った方が悪い。だが、あのハインリヒが無闇に暴力を揮うことは無いと思っていたのに――。
何があった――?


少将が部屋を去ってから、邸に連絡をいれて事の次第を伝えた。ユリアはすぐに相手方の学生に謝罪の電話をいれます――と言い、電話を切った。

頭部を三針縫う怪我を負ったと言っていた。カルナップ大将からの話では、ハインリヒが殴った時に相手の学生が転んでしまい、其処にあった岩に頭をぶつけ、頭を切ったらしい。周囲に居た学生達はハインリヒが一方的に殴りつけたと証言しているという。ハインリヒはそれに対して何も答えていないらしい。


急ぎの書類のみ処理を済ませて、この日は早めに帰宅した。ハインリヒはまだ帰っていなかった。
「フランツ。相手側の学生さんの御自宅に電話をしたのだけど……、酷く怒ってらして……」
「当然だろうな。ハインリヒが一方的に殴りつけたと聞いている。怪我の方は?」
「それが……、今日は入院らしくて……」
「……三針縫っただけだと私は聞いたが……」
もしかして深刻な怪我なのかとひやりとした。
「ええ。貴方がそう仰っていたから、まさか入院と思わず、私も吃驚してしまって……。入院したのならお見舞いにいかないといけないと思って、病院を尋ねたのだけど、教えて下さらないの」
「まあ……、頭部だから大事を取ったのかもしれんな。ユリア、明日は半日休暇を取っておいた。相手の家に謝罪に行くから、お前もそのように準備を」
「ええ、解りました。……フランツ、ロイはもしかしたら学校で上手くいっていないのではないかしら」
軍服を脱いでいると、ユリアはそれを受け取りながら言った。ハインリヒに少し元気が無い――ということは、以前からユリアが言っていたことだった。

「だがどのような理由があれ、暴力を揮って良い筈が無い。……それにハインリヒは子供の頃から私が鍛えてきた。腕っ節は他の学生達より強い筈だ。だからよく言い聞かせていただろう。喧嘩をするな、と」
「ええ……。ロイが怪我をさせたことが一番悪いことだとは私も思います。ですけど、何か原因があったのではないかと思って……。あの子が理由無く暴力を揮うようには思えないんです」
「お前の言いたいことは解っている。私も同じ思いだ。……が、怪我をさせたというのは事実だ」


それから暫くして、ハインリヒが帰ってきた。すぐに書斎に呼び寄せる。ハインリヒは俯いたまま部屋に入ってきた。

すぐに謝罪したのなら、先に話を聞いてやろうと思っていた。だが、ハインリヒは私を見ても黙ったままだった。
「自分が何をしたのか解っているのか!」
その態度にかっとなって、襟首を掴み、拳を握り締めて二発殴った。その時になって、ハインリヒはすみません――と謝った。経緯を話してみろ、と促したところ、なかなか話そうとしない。自分に後ろめたいところがあるのかと思った。
「私は常に言ってきた筈だ。喧嘩をすれば、大抵の相手にはお前は勝つ。だから暴力を揮ってはならんとな」
ハインリヒは俯いたまま拳を握り締めていた。経緯を話すようもう一度促すと、ハインリヒは漸く語り始めた。

「俺は……、殴ったけど……でも先に殴りかかってきたのは向こうなんだ……」

ハインリヒの語る事情は、学校側の説明よりも頷ける内容だった。戦闘シミュレーションでハインリヒのグループが勝ったのに、相手が謝罪を求めてきたのだという。上級生を相手にしたという理由もこのとき漸く納得した。戦闘シミュレーションは縦割りグループで構成されていて、そのなかで擬似的な階級を定め、指揮を行う。今回怪我をした相手というのは、相手方の司令官となった学生らしい。

しつこく謝罪を求めるその学生に対して、ハインリヒのグループの上級生は相手の求めるまま、土下座をして謝ったのだという。しかしハインリヒは謝らなかった。何故、謝る必要があるんだと喰ってかかったらしい。そうしたら、喧嘩をふっかけられた。

「事情は解った。……だが、怪我をさせたという事実は覆らんぞ。今回の一件で、一番悪いのはお前だ。縫合だけで済む怪我だったから良かったようなものの、打ち所が悪ければ死ぬこともある」
「……はい……」
「明日、謝罪に行くからきちんと謝りなさい」
ロイは項垂れたまま部屋を出て行った。この日はそれ以降、部屋に閉じこもって姿を見せなかった。

これまで、ハインリヒはたとえ叱られても、けろりとしていることが多かった。今回の一件はハインリヒ自身にもショックが大きかったのだろう。まさか怪我をするとは思わなかった――そう言いたそうな表情をしていた。

ハインリヒの説明する状況からは、喧嘩を仕掛けてきた上級生側にも問題があるようだが、カルナップ大将はそれを把握していないようだった。ハインリヒが一方的に殴りつけたと言っていた。
士官学校で何か問題があるのだろうか――。

「……随分落ち込んでいるみたいで、部屋にも入れて貰えなかったわ」
ハインリヒの許に行っていたユリアが、寝室に戻ってくる。ハインリヒは誰の入室も拒んでいた。
「構わないから放っておけ」
「でも……」
「一人で反省することもある。明日になっても出て来ないようだったら、私が見に行くから」

ユリアは常にないハインリヒの様子を酷く心配していた。
私も色々と考えてしまい、この日はなかなか寝付けなかった。

22:22