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59  20年

06 02 *2010 | 未分類

「おめでとう。フェルディナント」
帝国暦265年5月27日――、フェルディナントは20歳を迎えた。
ちょうどこの日は休日だったので、ハインリヒも士官学校から戻ってきて、家族全員で祝うことが出来た。フリッツやパトリック達からも祝いの言葉を告げられ、フェルディナントは嬉しそうに、少しばかり気恥ずかしそうに礼を述べていた。


20歳――。
何だかひとつの区切りがついた気がする。
「何を考えているの?」
それまでフェルディナントと話をしていたユリアが隣にやって来て、腰を下ろす。フェルディナントはハインリヒやフリッツ達と話をしていた。笑いながら、本当に楽しそうに――。
「……20年かと思ってな」
それだけでユリアは察したようで、そうね――と言って、懐かしむようにフェルディナントを見つめた。

今より20年前の今日、帝国暦245年5月27日、フェルディナントは誕生した。
結婚して3年目の年のことで、待望の男児だった。ユリアの懐妊が解った時、私ばかりではなく父や母、家中の者が喜んだ。おまけに男児だということが解り、後継者が出来たと喜びも一入だった。
20年前のこの日のことは今でも鮮明に思い出される――。

5月27日、本部で仕事を取り組んでいたところ、母からユリアが産気づいたという報せが入った。仕事もそのままで病院に向かった。安産で私が到着して二時間後に産声が聞こえた。
『男児誕生、おめでとうございます』
担当医からその言葉を聞いた時には嬉しくて――、言葉にならなかった。そろそろ子供が欲しいと思っていた頃に出来た子供だった。名前は何と名付けようか――、候補だけはいくつか決めてあって、子供の顔を見てから決めようと考えていた。さてどの名前が良いか――、そんなことを考えながらユリアの部屋に入った。

部屋にはユリアとユリアの出産に立ち合ったユリアの母、そして医師と看護師が付き添っていた。ユリアは子供の誕生を喜んでいるだろうと思っていた。ところが、ユリアは食い入るように医師の手元を見ていた。どうしたのだろう――。
担当医は子供の心音を聞き、それから細い管を手にとると、子供の鼻に挿し込んだ。そして看護士から受け取った細い針を腕や足に刺し、保育器を、と看護士に命じる。
何がどうなっているのか解らず、ただユリアと医師を交互に見つめた。何よりも驚いたのは子供の身体が血の気が通っていないかと思われる程、真っ青だったことだった。それに管を挿し込まれて苦しいだろうに、泣きもしない。
「どう……なるのですか……? 一体……?」
ユリアが医師に問う。医師は暫く保育器で預かりながら検査をすると応えた。
「検査……? 何処か……悪いのか……?」
医師が回答を渋ったところへ、看護士が保育器を運んできた。子供がそのなかに入れられる。また後程参ります、と言って医師が保育器と共に部屋を後にする。ユリアが子供は――とベッドから起き上がりかけた。
「大丈夫ですよ。すぐ戻って来ますよ」
母がユリアに諭すようにそう言ったものの、あまりに物々しい出来事に、落ち着くことが出来なかった。子供、子供は――と取り乱し、泣き出したユリアを宥めていると、ユリアの母親が事の次第を説明してくれた。


生まれて産声を上げてからすぐ、子供の呼吸が止まりかけたのだという。全身がみるみるうちに真っ青になっていき、医師が処置を施したとのことだった。
だが、何故――。
看護士が宥めてもユリアは取り乱したままだった。このままでは産後の身体への負担がかかるとのことで、鎮静剤を打ってもらった。程無くしてユリアは泣きながら眠りについた。
それから一時間が経ち、医師が部屋に戻って来た。数枚の紙を私に手渡してから、医師は静かに言った。
「御子様に先天性虚弱の疑いがあります。明日には詳細な検査結果が出ますので、暫くお待ち下さい」

先天性虚弱――。
愕然とした。先天性虚弱の体質で生まれる子供が多いとは聞いていたが、まさか自分の子がそんな病気に罹っているとは思わなかった。
医師は静かに説明した。この病気は遺伝性のものではなく環境によるものなのだと。出産後に母胎から外に出てから、発症が解るもので、原因は未だ不明である――と。
そうした先天性虚弱の人々の話はよく耳にすることで、その病名を知らない訳ではなかった。ただ、まさか自分の子がその病だとは予想もしなかった。
父も母もそしてユリアの母も言葉を失った。

翌日は休暇を取り、病院へと行った。ユリアは眼を覚ましていた。医師から、昨日私達が受けたのと同じ説明を聞いたようだった。
「フランツ……。どうして……?」
私がユリアの病室に行った時、ユリアは泣いていた。
「まだそうと決まった訳ではない。大丈夫だ、ユリア」
しかし、それから一時間が経って医師がやって来て、検査結果の紙を提示しながら言った。
先天性虚弱であることは間違いなく、それもかなり重度である――と。
「どうして……?どうして……!?」
泣き崩れるユリアの肩を抱きながら、必死に涙を堪えた。先天的虚弱に生まれた者は、大抵が短命に終わる。それが重度である場合は、生まれて数年のうちに命を落とす確率が高い――そのことを私もユリアも知っていた。
「最善は尽くします。当病院には先天性虚弱専門の医師が居ます。彼と相談しながら、御子様の看護の方針を決めますので……」


泣きたくて堪らなかった。同行した父も言葉を失い、ただ立ち尽くしていた。

22:00

58  雑談(2)

05 16 *2010 | 未分類

「父は其処までして文学部に入りたいのかと呆れていたよ。だから、士官学校に入学することを決めた時、両親が一番驚いていた。本当にその選択で良いのかと母は何度も聞いていた程にね。……だがまあ、授業料も安いし、それも成績優秀者であれば免除される。奨学金も得られる。両親には迷惑をかけたくなかったから、私にとっては良い選択だったのだがな」
「……ヴァロワ卿。もしかして上級士官コースからの入学で、成績優秀者に選ばれていたのですか……?」
ロイが驚いた様子で尋ねた。ロイがそんなに驚く理由が解らず、二人の会話に耳を傾けることにした。
「ああ。珍しいことだったらしいがな。私は奨学金が魅力だったから、毎度の試験には必死に頑張った。ハインリヒも首席卒業ということは、成績優秀者だったのではないか?」
ハインリヒは首席入学、首席卒業という経歴を持っている。成績優秀者でもあったが、一度だけそうではない年があった。
「……一応は。謹慎処分を受けた年だけは除外されましたが」
「……謹慎処分?」
ヴァロワ卿はそのことに酷く驚いた様子で問い返した。ロイは喧嘩をして謹慎処分を受けたことをヴァロワ卿に話した。ヴァロワ卿はそれを聞いて、成程、と苦笑しながら言った。
「元帥閣下は怒っただろうな」
「その時は拳で殴られました」
「それは痛そうだ。……だが謹慎処分を受けながら首席で卒業したということは、相当出来が良かったのだろう」
「ヴァロワ卿こそ。上級士官コースからの入学者で成績優秀者が居たなんて初めて聞きましたよ」
「その制度は幼年コースにほぼ限定されているのか?」
ロイに尋ねると、ロイはまあ大体なと此方を見て返した。
「幼年コース出身というだけで優遇されるし、同じ試験を受けて同じ点数であっても、成績表では内申点が多めに加算される。だから成績優秀者制度というのは、殆ど幼年コース出身者のための制度のようなものなんだ。ヴァロワ卿から聞くまでは、俺も上級士官コースでの該当者が居たことを知らなかった」
「試験の時だけ必死になって勉強しただけのことだ。第一、私の場合は動機が不純すぎる。頑張った結果、成績優秀者となったのではなくて、奨学金を得るために頑張っていたのだからな」
「確か結構な額だと聞いていましたが……」
「大尉の給与と同額だからな。ハインリヒも貰ったのだろう?」
「私は父が受給を断ってしまったんです」
そういえばそんなことがあった。成績優秀者に選ばれた――と、入学前にロイが嬉しそうに父に書類を見せていた。父は頑張ったなと一言労いの言葉をかけた後で、さらりとこう言ったのだった。
『奨学金は私から断っておく。お前には不要だ』
充分な小遣いを与えているだろう――と父に言われては、ロイも言い返せなかった。
「それは充分な小遣いを貰っていたということだ」
「……そんなに高くなかったよな? ルディ」
「まあ、必要なものは全部買ってもらっていたから……。その分差し引かれたと考えれば……」

学生の頃は小遣い制を敷かれていた。しかし、周囲からよく誤解されるが、私達は決して充分な小遣いを貰っていた訳ではなかった。他の学生達と変わりない小遣いか、それよりも少ないぐらいだった。尤も、学業に必要となれば惜しまず買ってくれたし、着る物も常に用意されていて不自由したことは無いが――。

私の携帯が鳴る。取り出してみると、母上からだった。話に夢中になってしまって時間を失念していたが、9時を過ぎていた。母上はまだ宮殿に居るの――と尋ねて来た。きっと心配して電話をかけてきたのだろう。もうすぐロイと共に帰宅することを伝えて通話を切る。話し込んでしまったな――とヴァロワ卿は時計を見て言った。
「此方こそすみません。ヴァロワ卿、今度リヨンの話を聞かせて下さい」
「いつでも。フェルディナントはそういうことに興味があるのだな」
ヴァロワ卿は笑いながら、帰り支度を始める。このまま帰るのか――と尋ねるロイに頷き返すと、ロイは立ち上がった。

ヴァロワ卿と話していると傍と気付かされることがある。私は、おそらくロイも旧領主層に生まれたからといって、何も得をしたことはないと考えている。だが、やはり物質的には非常に恵まれているのだと思う。正直、私は大学の学費のことなど考えたことが無かった。


「なあ、ルディ」
自宅への帰路、星の浮かび上がる空を眺めていたロイが不意に私を見て言った。
「俺達ってやっぱり恵まれてるのかな」
「そうだな……。私も同じことを考えていた」
「給与ですらフリッツに管理されて自由には使えないけど、それはもしかして俺達から金銭感覚を失わせないためなのかな……?」
「おそらくな」


学生時代に小遣いが少ないとロイとぼやいたことがある。今になって、そのことを思い返すと気恥ずかく思える。自分の恵まれた状況に気付いていなかったということに。
自分の世界がどんなに狭かったのかということに――。
ふうと小さく息を吐いてから、家の門を潜った。

11:27

57  雑談(1)

05 15 *2010 | 未分類

「ヴァロワ卿。休暇は何処かにお出掛けですか?」

休暇を10日後に控えたこの日、ヴァロワ卿との仕事の打ち合わせを終えた後で、何気なく尋ねた。側で私の仕事が終わるのを待っていたロイも、身を乗り出してその回答を待った。

「ああ。今回の休暇は実家の片付けをする予定だ」
「御実家の……?」
「両親が亡くなってから殆ど放置していたのだが、それでは流石に物騒だと思ってな。私はずっと帝都に居るし、此方に家もある。もう実家に戻ることも無いから、荷物を運び出して売り払ってしまおうと思ってね」
ヴァロワ卿の口振りから察するに、ヴァロワ卿は帝都の出身では無いのだろう。意外だった。
ヴァロワ卿は週末ごとに自宅に帰っている。だからてっきり、その自宅というのが実家のことなのだと思っていた。
「御実家はどちらですか? 帝都の御出身とばかり……」
「リヨンなんだ。遠いだろう?」

驚いた――。
そんなに遠い場所の出身だとは思わなかった。リヨンといえば、帝都よりもマルセイユからの方が近い。

「では……、高校までは其方に?」
ロイが問い掛けると、ああ、とヴァロワ卿は応えた。
「リヨンで生まれてリヨンで育った。士官学校に入学してから帝都に来たんだ」
「生家を売り払ってしまわれるのは何だか寂しい気もしますが……」
「私もそう考えて、母が亡くなってから三年は、そのままにしておいたのだが……。私は兄弟が居ないし、親戚も絶えてしまってね。リヨンまでは遠いから、今回のような長期休暇にしか帰ることも出来ない。家を無人にしておいたら、去年は窓ガラスを割られていたことがあったんだ。だから朽ちてしまうより先に、人手に渡してしまった方が良いのではないか……と」
「そうでしたか……。偶には私達の家で食事でも、とお誘いしようと思っているのですが、それでは休暇中はずっと御実家に?」
「済まない。家の荷物を全部片付けるから、休暇中はずっとリヨンなんだ。不動産売買の手続きも済ませてしまうつもりだから」
「残念です。父も楽しみにしていたのに」
ロイが横合いから告げると、済まない――とヴァロワ卿は返した。
「元帥閣下にも申し訳ありませんとお伝えしてくれ。二人は何処にも出掛けないのか?」
「明明後日に帝都美術館の特別展に行くだけです」
ロイが応えると、ヴァロワ卿はそのことに思い当たった様子で、ああ、と言った。
「ハンブルク美術館が所蔵する美術品が此方に来るのだろう? 街でポスターを見かけた」
「誘致したのが父なので、開幕式に参加しなくてはならないんですよ」
「そうだったのか。ポスターを見た時に、きっと元帥閣下も足を運ばれるのだろうと思ったが、閣下が誘致なさったのか」
「ハンブルク美術館の館長が、私達の従兄なのです。そういう縁もあってのことなのですが……」
「従兄……というと、母方の?」
「ええ。叔父は別の美術館の館長を勤めていたのですが、母方の祖父は従兄と同じようにハンブルク美術館の館長を勤めていました」
「それは知らなかった。まあしかしそうなると、必ず式典には出席しなければならないのだろうな。リヨンに来ないかと誘おうかと思ったが」
行ってみたいが、行きたいのは山々だが、日程的に無理だった。あまりに移動のきつい日程では、身体が参ってしまう。ヴァロワ卿にそれを告げると、そうだなと苦笑する。
「偶には家でゆっくり羽根を伸ばすのも良いさ」
土産でも買ってくるよ、とヴァロワ卿は言う。リヨン――。西部では結構大きな街で、文化的な風土を持つ地域で名高かったような――。

「ヴァロワ卿。リヨンはどのようなところですか?」
興味を覚えて尋ねると、割と大きな街だ――とヴァロワ卿は教えてくれた。
「冬は帝都よりも少し寒いが、夏は比較的過ごしやすい。それに西部では一番の街だから、交通網も整備されているし、手に入らない物も無い。大学もあるから、リヨン出身者は大抵帝国大学ではなく其方を志望するものだが、帝国大学より一足早く文学部は廃止されてしまってな」
「そういえば、文学部に入学予定だったと仰っていましたね。学部廃止で士官学校に入られたと」
「まったくあの時は自分の不運に呆れたよ。合格したと喜んでいた矢先だったからな。父はそらみたことかと言わんばかりに就職を勧めるし……。まあ、帝国大学の文学部を受験すると言った時から、父には反対されていたんだが」
大学に行くならリヨン大学の工学部に行け、とね――と、ヴァロワ卿は笑いながら語ってくれた。
「工学に興味は無かったのですか?」
何気なく尋ねると、ヴァロワ卿はあっさりと全く、と言って頷いた。
「父が工場を経営していて、機械類は見飽きていたんだ。まあ、子供の頃は一通りそうした機械を触らせてもらって楽しんだものだが、飽きてからは本の方を好むようになった」
ヴァロワ卿の生家が工場を経営していたという話は初めて聞いた。そもそも、ヴァロワ卿があまり家族のことを話すこともなかったから、余計に興味をそそられた。

「経営……ということは、ヴァロワ卿は継がなくて良かったのですか?」
「疾うに廃業したよ。私が士官学校に居る時、父が急死してね。……まあ元々、経営が傾いていたから父の死が決定的だったというか……。子供の頃は羽振りが良かったのだが、高校の頃にはいつ廃業かというほど、逼迫していたからな」
驚いて言葉を失っていると、ヴァロワ卿は笑いながら話してくれた。
「祖父の代からの経営だったから、父は私に工場を継いでほしかったようだが、小さな工場は企業に吸収されていくなかで将来的に不安が残るから、強くは勧められなかったみたいでな。私は本ばかり読んでいたから、道楽息子とよく言われていた。手に職をつけられる工学部のような実学的な学部でないのならば、大学に行く必要は無いと言っていたから、資金協力は仰げなかったし……」
「え? ではどうやって帝国大学に……」
ロイの質問に、帝国大学なら可能なんだ――とヴァロワ卿は答えた。
「帝国大学なら費用はそんなにかからない。バイトをすれば何とか生計も立てられる。だから他の大学は受験しなかったんだ」
「そう……だったのですか……」


私もロイも驚いて聞き入っていた。私達は学校の費用については何も心配したことが無かった。ただ父の許しを得られるかどうかというだけで――。
それはとても恵まれたことだったのだと、改めて気付かされる。

22:55