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17  フランツ結婚編(9)

03 03 *2010 | 未分類

ユリアが顔を上げる。俺と視線が合う。
ユリアはその場で立ち止まった。エスコートをしていた中年の男性が、ユリア、と声をかける。暫くしてユリアはまた歩き出す。
しかも、此方に向かってきている。

「フランツ。ちょうど良い。彼を紹介しておこう」
「え……?」
「帝国美術院の会員で、ハンブルク美術館のキュレーターを務めている。来年には館長を勤めることになっていて……」
ユリアの兄ということか。
まさかこんな場所でユリアと会うことになると思わなかった。
そればかりか、俺はまだユリアに身許を伝えていなかったのに――。
「ロートリンゲン元帥閣下、御無沙汰しております」
「いや、久しいな。今日はご婦人と一緒ではないのか。其方の女性は?」
「妻は体調不良で此方に参ることが出来ませんでした。此方は私の妹です。ユリア、ご挨拶を」
「ハンブルク美術館で兄の手伝いを務めております。ユリア・コルネリウスと申します」
ユリアは丁寧に挨拶をした。綺麗なお嬢さんね――と母は彼女に向かって言った。
「此方も紹介しておこう。息子と会うのは初めてだろう」
早く話しておけば良かった。
こんな状況で判明してしまうなど最悪だ――。
「フランツ」
父に促されて顔を上げる。ユリアの兄は此方を見ていた。もしかしたら私のことをユリアから聞いているのかもしれない。
「フランツ・ヨーゼフ・ロートリンゲンです。初めまして」
「ハンブルク美術館でキュレーターを務めております。オスカー・コルネリウスです。閣下にはお初にお目にかかります」
ユリアの兄、オスカー・コルネリウスは穏やかそうな男だった。ユリアの兄らしいと思った。彼は父や母と言葉を交わす。ちらりとユリアを見遣ったが、ユリアが此方を見ることは無かった。
怒っているのか――。

「閣下は昨年、大将に昇進なさったと伺っております。おめでとうございます」
オスカー・コルネリウスは此方を見て、話題を振った。俺はユリアに軍人であることを伝えても、将官であることさえ伝えていなかった。
この状況が心苦しくて、ありがとうございます、と彼に礼を述べる以外の言葉が紡げなかった。
「フランツ。先程から何を茫然としている」
「あ……、すみません……」
「ユリアさんが綺麗で見とれていたのでしょう」
母がフォローの手を差し伸べたが、何も応えられなかった。父は私の様子に呆れ果て、ユリアの兄に向かっていった。
「不肖の息子だが、大将にも昇進したことだし、来年にはフランツに家督を継がせようと考えている。今後は会議にも息子を出席させるから宜しく頼む」
「こちらこそ、閣下」
卒がないユリアの兄に比べて、俺は何とも情けない姿を晒してしまった。
そしてユリアは父や母と言葉を交わしていた。いつも通りの笑顔を浮かべていた。だが、俺の方を一度も見ようとしない。
「フランツ様」
突然、腕を引かれて驚き、脇を見るとクリスティンがにこりと笑って俺を見上げていた。
「踊りましょう、フランツ様」
「いや、私は……」
ぐいとクリスティンは俺を引っ張る。済まないが――と断ろうとすると、クリスティンは言った。
「約束したではありませんか。さあ、行きましょう」
約束?何のことだ?
「クリスティン。私は何の約束も……」
ぐいぐいとクリスティンに腕を引っ張られる。それも俺をユリアの前に引き出して、クリスティンはユリアをちらと見遣ってから、歩みを進める。

クリスティンはわざとこのような行動に出たに違いない――。
ユリアの方に眼を遣ると、その時、一度だけ視線が合った。酷く悲しそうな眼をし、すぐに顔を逸らした。
クリスティンに踊らない旨を告げて、ユリアの許に戻ろうとしても、クリスティンは腕を放さなかった。そのうち、皇帝までやって来て、クリスティンと俺の様子を見て、踊るよう促す。
結局それから暫くはその場を逃げ出すことも出来ず、両親の許に戻った時には、ユリアは既に居なかった。
この日のパーティは、俺にとって最悪な事態を招くこととなった。

22:04

16  フランツ結婚編(8)

03 02 *2010 | 未分類

ユリアとの交際は順調だった。ユリアはひと月に一度、この帝都にやって来る。その都度、俺達はカフェや美術館で逢瀬を楽しんだ。会えない時は電話やメールで会話を楽しんだ。
しかし、彼女と話をする機会があっても、俺はなかなかロートリンゲン家のことを切り出せないでいた。
彼女と交際をはじめて半年が経つというのに、未だ彼女には身分を明かしていなかった。これには母ばかりか、母から事情を聞き知った父も怒った。馬鹿者と父から怒声を浴びせられたのも、ついこの前のことだった。
今度会った時にはきちんと話さなくては――。
来月の中旬に少し休暇が取れる。その時、俺がハンブルクに行こう。そして、ユリアにきちんと話をしよう――悩んだ末、俺はそう決めた。

そんな折、宮殿での祝賀会に呼ばれた。皇帝の誕生日を祝うもので、旧領主層が一堂に会す。公式の場では、軍人は軍服を身につける仕来りがあって、それに倣い、軍服を纏い出席した。

会場で初めに出会ったのは、同じように軍服を纏ったフォン・シェリング大将とクリスティンだった。彼は父や母に挨拶を済ませると、俺を見て言った。
「フランツ、考え直さないかね。クリスティンは諦めがつかないようだ」
「フォン・シェリング大将。申し訳ありませんが、私は……」
「フランツ様。一曲踊りましょう」
クリスティンは俺の側に歩み寄って、踊りを誘う。それをにやにやとフォン・シェリング大将は見ていた。父と母は皇帝陛下と皇弟殿下に挨拶に行くと私を促す。クリスティンにそのように告げて、とりあえずは彼女から離れることが出来た。

皇帝は人だかりの真ん中に居た。此方を見つけると、歩み寄って来る。皇帝とは同年ということもあって、親しくしていた時期もあった。
「久しいな、フランツ。来てくれて嬉しいよ」
「陛下、お誕生日おめでとうございます。祝賀会にお招きいただき、ありがとうございます」
型通りの祝辞を伝えると、皇帝は堅苦しいことを言うな――と笑って、父や母の方に視線を遣った。
「出席してくれたこと、感謝する。楽しんでいってくれ」
「陛下の御厚恩に感謝致します」
父は恭しくそう告げ、母も頭を深々と下げる。それから皇帝は此方に再び眼を遣って、そろそろ身を固めたらどうだ――と言った。
「お前に関する浮いた噂をひとつでも聞いてみたいものだ」
皇帝はまだ何か話したそうな雰囲気だったが、秘書に呼ばれて別の集団の許に向かった。その後、出くわした人々と挨拶を交わし合う。軍からも何人か招待されていたようで、数人が此方に挨拶に来た。退官し元帥となった父へのご機嫌伺いだろう。

部下で親しい中将の一人が俺の側にやって来て、そっと囁いた。
「閣下。入口の方にものすごい美人が居ましたがお会いになりました?」
入口に眼を遣ると、男達が数人固まっているのが見えた。こうした場はしばしばそういう出会いをもたらすこともある。いや、と彼に応えると御覧になってらしたらどうです――と彼は促した。
「まったくだ。お前の甲斐性の無さには呆れる」
横から父が口を差し挟む。中将もそれに苦笑した。
「父上。私は……」
「ああ、いつもより人が多いと思ったら、陛下は文化界からも数団体、招待しているのだったな」
父は入口の方を見遣りながら言った。見知った人物でも居たのだろうか、おや、と言って少し眉を動かす。その時、男達ばかりの人だかりがすっと後ろに退いた。

中年の男性が若い女性をエスコートしていた。そう珍しい光景ではないが――。
それまでは見えなかったが――。
この時、はじめて女性の顔が見えた。

その瞬間、言葉を失った。

「あの女性ですよ、閣下。美人でしょう?」
中将が耳許で囁く。俺はただただ彼女を見つめていた。
ドレスを身につけたユリアを。

21:55

15  フランツ結婚編(7)

03 01 *2010 | 未分類

「クリスティンとの縁談は、お父様が断ってくれたそうよ」
この日、本部から帰宅して、母と共に夕食を済ませ、リビングルームで珈琲を飲んでいた時に母はその話を切り出した。ちょうど、父は出掛けていて不在だった。
「そう。正直、ほっとした」
「お父様自身がこの話にあまり乗り気ではなかったから……。フォン・シェリング家とロートリンゲン家に繋がりが出来てしまうと、軍務省での権限があまりに強くなると仰って」
子供の頃からというのは、クリスティンが勝手にそう言っていたのか、それともフォン・シェリング大将がそう決めつけていたかのどちらかだろう。兎に角、破談となって良かった。
「私としては、良い話だったから話を進めたかったけれど……。貴方も付き合っている女性が居るというし……」
母はまるで俺を促すように此方を見る。ユリアのことを聞き出したいのだろう。黙っていると、母の方から切り出してきた。
「まさか付き合っているというのは嘘では無いでしょうね」
「本当に付き合ってるよ」
「クリスティンが言っていたそうだけど、一般の女性なのね?」
「……ええ」
やはりクリスティンが全て喋ったか。
一般の女性となると、母も毛嫌いするのだろうか。

「何と言う名前で、何をしている女性なの?軍の関係者?」
「いや、その……名前は……」
名前はまだ言いたくなかった。せめてユリアに俺のことを明かすまでは――。
「名前も知らずに付き合っているの!?」
「そうではなくて……」
「はっきり仰いなさい。フランツ」
「……彼女にはまだ此方の身分を明かしていないから……」

母は呆れた様子で私を見た。ロートリンゲンとは名乗っていないことを改めて告げると、母は厳しい顔で私に言った。

「フランツ。名乗っていないということは、貴方はその女性を騙していることになるのよ?」
「……解っているよ。けれど、ロートリンゲン家の者と知れると、彼女は俺から離れてしまいそうで……」
母は溜息を吐いた。こうして考えてみると、確かに俺はユリアを騙していることになる。ずっと心苦しく思ってはいるが――。
「……すると貴方から見れば思慮深い女性だということね。そういう女性なら、確かにロートリンゲンという名を聞けば、貴方から離れていくでしょう」
「母上……」
「地位や名声を狙う女性なら、ロートリンゲンという名だけで貴方に近寄って来るでしょう。でもきっと貴方の付き合っている女性はそういう女性ではない。……けれど、こういう言い方は好きではないけれど、旧領主層の生活と一般人の生活には隔たりがあります。慣習も違う。たとえば、公の場に出て行く時の立ち居振る舞い、宮殿での仕来り……、数え上げれば遑がありません」
「……母上も、一般の女性では相応しくないと?」
「相応しくないとか相応しいという問題ではなく、その女性の苦労が眼に見えるのです。その女性が苦労を覚悟で嫁いでくるというのなら、此方もそれなりの準備をしましょう。勿論、貴方にも覚悟が必要です」

母の言いたいことが何となく解るような気がした。少なくとも、クリスティンの考えとは全く違う。

「私も旧領主家の出身ではなかったから、随分苦労しました。貴方の御祖父様、御祖母様にも大反対されたから」
それは初めて聞く話だった。
母が旧領主家の出身ではない? 今迄誰もそのようなことを言わなかったし、俺もそうと考えたこともなかった。驚いて母を見つめると、貴方を産むまではこの家に入らなかったのよ――と母は笑って言った。
「貴方が生まれて跡継ぎが出来たということで、御祖父様と御祖母様からお許しが出て、この家に入ったの」
「知らなかった……。母上も旧領主家の出身だとばかり……」
「だから、貴方にもその女性にも覚悟があるというのなら、この家に連れていらっしゃい。私も、そしてお父様も決して反対はしません」

ほんの少しだけ気が楽になった。
勿論、ユリアが俺のことを知った上で、了承してくれればの話だが――。
それでも少しだけ、気が晴れた。

21:12