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14  フランツ結婚編(6)

02 28 *2010 | 未分類

「フランツ。よく来てくれた」
フォン・シェリング家での食事会の日がついにやって来た。
ユリアと付き合い始めた翌日に、父と母に付き合っている女性が居ることを告げ、クリスティンとの食事会を断ってくれるよう頼んだ。しかし、フォン・シェリング家の方がどうしても一度は会ってほしいとのことで、結局、この日の食事会に参加せざるを得なかった。
『何処の家のお嬢さんなの?はっきり言いなさい』
『付き合っているというのは、結婚を前提に付き合っているということか?』
母ばかりか父までもが、ユリアのことを聞いてくる。まだそのような段階ではないから――と告げ、ユリアの名前も教えなかった。
コルネリウス家と聞けば、父は必ず解る。旧領主層ではない普通の家の娘となると、父も母もすぐには了承してくれないだろう。もう少し時間が必要だった。

「今日はお招きありがとうございます。フォン・シェリング大将」
「クリスティンがこの日を心待ちにしていた。どうやらあれはフランツに初めて社交界で会った時から懸想していたようだ」
フォン・シェリング大将は邸のなかへと案内する。フォン・シェリング家もロートリンゲン家と同様、建国以来続く名家だった。広い大部屋には既にクリスティンとフォン・シェリング夫人、それにクリスティンの妹のベアーテ、弟のフリデリックが控えていた。
いらっしゃいませ、とクリスティンは立ち上がり、此方を見遣って言う。それぞれの両親が向かい合い、俺はクリスティンと向かい合う形となった。


クリスティンは積極的に俺に話しかけてきた。趣味を問われたので、美術品を見るのが好きだと応えると、クリスティンは私も好きです――と応えた。休日はどうやって過ごしているのかということも聞かれ、美術館や博物館に行っていることを告げると、クリスティンは眼を丸くして、それ以外の場所には行かないのかと尋ねて来る。返答に困っていると、フォン・シェリング大将は笑いながら言った。
「フランツの美術品好きは軍のなかでも有名だ。お前のように遊び呆けてはおらんよ」
「いや、困ったものだよ。ルートヴィッヒ。休日にふらりと出掛けたかと思えば、行き先は美術館か博物館だ」
「良い趣味ではないか。勤務態度も真面目で、昨年には大将にも昇進した。立派な跡継ぎで羨ましいことだ。フリデリック、見習わねばならんぞ」
フォン・シェリング大将は息子を見遣ってそう言った。息子のフリデリックは少し萎縮した様子で、はいと応える。

そういえば、このフリデリックは士官学校の幼年コースに不合格となったと聞いている。毎年数人しか入学が許可されず、その試験は旧領主層であれ優遇はされない。俺は何とか試験に合格して入学出来たが、あれは単に運が良かったのだろう。

「これから3年間、きっちり勉強して士官学校の上級コースには上位の成績で入らねばな」
フォン・シェリング大将の言葉に、フリデリックはまた小さな声ではい、と応えた。何もこのような場で取り上げなくとも良い話題だと思うが――。
「あれは運だよ、ルートヴィッヒ。そう気負わせるものでもない」
「だがこのフォン・シェリング家の跡継ぎとして、フリデリックには確りとした教育を受けさせたかった。勉学も武術も幼い頃から家庭教師をつけて励ませたのに、まさか不合格とは……」
「心配せずともフリデリックもきちんと解っている。これから軍に入ったら、立派に活躍してくれるに違いない」
父はフリデリックを見遣って優しくそう言った。その傍らで、母が話題を変えてクリスティンとベアーテの美しさを褒める。褒められた二人は嬉しそうに顔を見合わせた。クリスティンは此方にも視線を向ける。


確かに綺麗だが、クリスティンとベアーテの美しさは着飾られた美しさだった。飾り気の無い自然美のような美しさではない。このような場で不謹慎だが、ユリアのことを思い浮かべてしまう。

供された料理の数々は、有名店のシェフを招いて作らせたものだった。美味しかったが、何だか気張り過ぎているような気がした。食事を終えると、半ば強制的にクリスティンと庭を散歩してくるように促される。部屋を出るなり、クリスティンは俺の腕に手を添えてきた。
「クリスティン……」
「フランツ様は相手が私ではお嫌ですか?」
ふわりと香水が鼻腔に達する。クリスティンは積極的な女性だった。
「フォン・シェリング大将にも先日お伝えしたが、私は今、付き合っている女性が居る。君には申し訳無いが……」
「どちらの家の方ですか?」
「いや、それは……」
「ロートリンゲン家の御子息様ですから、勿論、名家の御方を相手になさっているのだと思いますが、私の知る限り、フランツ様と釣り合うような年代の方がいらっしゃらないかと」
名家でなければ付き合ってはならないとでもいうのか。クリスティンの言葉はどうも棘がある。
「ロートリンゲン家とフォン・シェリング家が手を結べば、今後も友好な関係を築けると父も申しています」
「……君はそれで良いのか?自分の一生の伴侶をそのような理由で決めてしまって」
「あら、私は幼い頃からフランツ様のことをお慕い申し上げておりました」

クリスティンを傷付けることなく、この話を破談にしたいものだが――。
クリスティンは此方の事情など構わずに、自分が如何にこの日を待ち受けてきたかと語り出す。おまけに身体をぴったりとくっつけてくる。
困ったぞ――。

「フランツ様。今度、私も美術館に連れて行って下さい」
「……クリスティン。本当に申し訳無いが、私は君と付き合うつもりはない」
クリスティンを傷付けてしまうかもしれないが、仕方が無い。はっきり伝えなければ、後々に禍根を残してしまう。
クリスティンは此方を見つめ、腕から手を放した。漸く解ってくれたのか――ほっと安堵すると、クリスティンは諦めません、と短く言った。
「だって私はフランツ様の許に嫁ぐことになるって、子供の頃から教え込まれてきました。社交界で拝見して、私もこの方ならと納得したのです」
「子供の頃からとはどういうことだ……?」
「お父様がそのように仰っていました」
俺は何も聞いていないぞ――。
このたびの話も、父から突然聞かされた話だったのに――。
「フランツ様がお付き合いになっているという女性、おそらく一般人かと思います。そんな方に私達のような生活が出来るとお思いですか?私達の生活は一般の方々とは全く異なるのですから……。フランツ様もお立場をお考えなさいませ」

クリスティンは無邪気な様を装いながら、一般人を見下す。彼女の言動から薄々と気付いてはいたが、此処まであからさまに表現されると不愉快以外の何物でもなかった。言い返したくなるのを堪え、その代わりにこう言ってやった。

「君は少し外の世界を見た方が良さそうだな」
そして父や母が待つ応接室へと向かった。後ろをクリスティンが付いてきたようだが、声をかけることはしなかった。

21:44

13  フランツ結婚編(5)

02 27 *2010 | 未分類

俺が尋ねると、彼女は笑みを浮かべて応えた。
「ええ。時々。兄が帝国美術院に所属していますので、その手伝いとして」
「では……その……」
こんな風に女性を誘うのは初めてで、拒絶されるのではないかと躊躇した。それに彼女には既に相手が居た筈だ。
だが、この好機を逃してしまったら、きっともう次は無い。
「また君と会いたい」
これは不適当な言葉ではないのか。もっと他に言い方があるのではないか。
彼女は驚いた様子で俺を見つめていた。やはりこんな状況で言うべき言葉ではなかったか――。

「不快な思いをさせてしまったら済まない。……いや、その、ハンブルクで君を見た時からずっと気にかかっていて……。恋人が居ると解っていながら、このようなことを言うのもおかしいが……」
「……恋人……?」
彼女は頬を赤らめながら、小首を傾げて問い返した。心当たりが無いとでも言う風に。もしかして恋人では無かったのか。
「あの、美術館で君の名を呼んでいた人は恋人ではないのか……?」
すると彼女は眼を丸くし、それから面白そうに笑って言った。
「彼は私の甥です。兄の子で、確かに私と年齢は近いのですが……」
「甥……?」
「ええ。兄と私が17歳離れているので、甥とは姉弟のように育ちました。あの美術館は父が館長を勤めているので、甥や私は比較的自由に出入りしているのですよ」
ハンブルク美術館の館長――?
何処かで名前を聞いたことがあるような気がする。
帝国の文化部門の多くは、ロートリンゲン家が出資している。ハンブルク美術館もその出資先のひとつではなかったか。
いや、今はそのようなことよりも。
「では……、恋人は居ないのか?私が……交際を申し込んでも、構わないか……?」
「お互いに名前も知らず、おまけにまだ二度しか会っていないのに?」
彼女は悪戯でも画策するかのように、私を見つめて言った。それが何とも可愛らしくて、男心としては今すぐ抱き締めたくなる。それをぐっと堪えて返した。
「これから何度も会えば良い。私ももっと君のことを知りたい」
彼女は微笑して、頷いた。
頷くということは――。
「ユリア・コルネリウスです。貴方は?」
「フランツ。……フランツ・ヨーゼフ」
ロートリンゲンとは名乗れなかった。それを名乗ってしまうと、彼女は二度と会ってくれないようなそんな気がした。
「ユリア、明日はまだ帝都に?」
「ええ」
「では、明日も会って貰えるかな?」
ユリアは快く承諾してくれた。

俺は飛び上がるような思いだった。偶然にも再会し、交際まで辿り着けるとは――。
そして、いきなり交際を申し込んだ自分自身に後から呆れた。余程、切羽詰まっていたのだろう。

「フランツ。今日は機嫌が良いですね」
夕食の時に母が俺を見て指摘した。自分では抑えているつもりでも滲み出てしまうのかもしれない。

翌日、ユリアと約束した場所に、約束した時間より早めにやって来た。十分ほど経ち、待ち合わせ時間より5分早く、ユリアはやって来た。二人でカフェに入り、2階席の見晴らしの良い場所で様々な話をした。
ユリアはハンブルク美術館での俺のことを良く憶えているのだと言った。
「あんなに熱心に作品を見て回る人は少ないですから」
「閉館時間にも気付かなかった。もう少し早く来館出来れば良かったのだが……」
「フランツはハンブルクへは休暇で?」
「あ、いや。仕事で少々……」
「お仕事は何を?」
軍人と答えると嫌われるだろうか。いやしかし、偽ることも出来ない。
「……軍に勤めている」
ユリアは驚いて俺を見つめた。やはり軍人という職業は、一般的には異様に映ってしまうのだろう。
「美術品に興味を持つ軍人さんなんて珍しいわね」
彼女の反応に少し安堵した。どうやら軍人というだけで毛嫌いはされていないようだ。
「それにハンブルクに軍人さんが来るなんて珍しいけど……」
「あ、別に何かあった訳ではなくて、単に会議で……。会議先がハンブルクということで、あの美術館に行けると思い、喜んだんだ」
ユリアは面白そうに笑う。

ユリアは今年、ハンブルクの州立大学を卒業して、父親が館長を勤めるハンブルク美術館に勤め始めたのだと話してくれた。年齢は22歳だった。ということは、俺より7つ年下ということになる。

「美術品が好きな家系なのでしょうね。父も母も兄も、この道一筋で……」
「羨ましい限りだ」
「フランツはどうして軍人さんに?」
家の事情でそうならざるを得なかったとは、まだ言えない。人の役に立てればと思ったんだ――と当たり障りのない回答をして誤魔化した。それをユリアは立派な志ね、と返す。少々胸が痛んだ。

ユリアは、俺が思っていた通り、素敵な女性だった。明るく朗らかで、言葉には少しも嫌みが無い。こんな女性が結婚相手だったら良いのに――と思う。
もし俺がロートリンゲン家の人間だと知ったら、ユリアは何と言うだろうか。それでも俺と付き合ってくれるだろうか。

「ユリア、次はいつ此方へ?」
「来月の末……かしら。兄がひと月に一度、ハンブルク美術館の代表として、帝国美術院に来ているの。ハンブルク美術館は帝国美術院から資金援助を受けているから、その定例報告会があって……」
その定例報告会には父が参加している筈だ。ということは、父はユリアの兄を知っているに違いない。やはりロートリンゲン家の出資先のひとつか。
「報告会は大変みたいで、兄はひと月に一度の大仕事と言っているわ。ロートリンゲン家という旧領主様が、私達のような文化団体に多額の資金を援助してくれているのだけど、機嫌を損ねたらいけないって」
背にひやりと汗が流れ落ちる。もしかして俺は鎌をかけられているのか。
いや、ユリアはそんな女性ではないと思う。自分の眼の前に居るのが、そのロートリンゲン家の息子だとは思ってもいないに違いない。
「一昨日、帝都に来た日に、そのロートリンゲン家の御屋敷の前を初めて通ったのだけど、とても大きな御屋敷だったわ。帝国有数の名家だけあるというか……。ハンブルクにはあんなに大きな御屋敷は無いから」
「……あんな邸に住んでみたいと思う?」
「いいえ。見学だけで充分ね。自分の分を超えているというか……。きっと落ち着かないと思うわ」
ユリアの言葉が胸を突き刺す。
もし彼女が住んでみたいと応えてくれたら、すぐにでも身分を明かすつもりだった。しかし、俺の予想が当たったというか、やはりユリアはそうではなかった。

ロートリンゲン家という名は、一般にはやはり重いものなのだろう。ユリアと付き合うなら、きちんと伝えなければならないと思うが、この日はどうしても告げることが出来なかった。
だが、ユリアも俺も互いに良い印象を持ったことは事実で、また次に会う約束を取り付けて、この日は別れた。

21:51

12  フランツ結婚編(4)

02 26 *2010 | 未分類

「ええと……、これは何処に運べば良い?」
彼女がこの荷物を携えているということは、これは間違いなく美術品――絵画なのだろう。
「其処の車です。本当にすみません」
二人でゆっくりと歩いて、側にあった車まで向かう。車の前でポケットに手を遣って、鍵を取り出す。
開いた扉から倒した座席の上にゆっくりと荷物を積み込む。それらの作業を終えてから、彼女は俺の前に来て丁寧に頭を下げた。
「助かりました。本当にありがとうございました」
「いや……。いつもこんな大仕事を一人で?」
何気なく尋ねると、彼女はいいえと応えて少し肩を竦めた。何とも可愛らしい動作にどきりとする。
「本当は兄の仕事だったのですが、兄に急な仕事が入ってやむなく私が。……あの、先日、ハンブルク美術館にいらしていた方ですよね?」
「ああ。その節は失礼した」
「いいえ。このようなところで再びお会いするとは思いませんでした。帝都の方だったのですね」
頷き応えると、彼女は微笑む。
「ではあの時は遠いハンブルクまでいらしていたのですね」
「君こそ帝都まで……。これは絵画かな?」
「ええ。其方のアパートに在住の画家の先生の作品です。兄が作品の大きさを聞き間違えていたようで……。もっと小さな作品だと思っていたのですが……」
彼女はふと此方を見つめ、また笑みを浮かべる。
「御覧になります?」
「え……?良いのか?」
「ええ。絵画、お好きでしょう?」

彼女は車の中に入るよう促し、車の扉を閉め、それから荷物の梱包を解いた。その手際の良いこと――。
「流石だな」
「そんなことありませんよ。まだまだ不慣れで、いつも兄に叱られます」
「君のお兄さんも美術品関係の仕事を?」
「ええ。ハンブルク美術館で修繕を担当しています」
話しながらも彼女は手を動かし、最新の注意を払いながら、蓋を開ける。沢山詰め込まれた綿の下から現れたそれは、見事な風景画だった。
湖畔を描いたその絵画は、木々が水面に映し出されていて、それが実に写実的で素晴らしかった。その作品に思わず見入った。
「ハンブルクにある湖を描いたものです。描き上げた時には是非、うちに寄贈したいと仰って下さって……」
「そうか……。こうして帝都で一目見られたことは幸運だったな。ありがとう」
彼女は微笑んで、また絵画を梱包する。ハンブルクに行ってしまう絵を見られたことは確かに幸運だったが、俺にとってはそれよりも彼女と再会出来たことが嬉しかった。

もう二度とこんなことは無いだろうか。それとも彼女は帝都に頻繁に来ているのだろうか。

「ハンブルクにいらした時には是非この絵を御覧にいらして下さいね」
梱包を終えると、彼女はそう言った。一旦車から降りると、もう一度俺に礼を言う。

フォン・シェリング家の長女からの縁談が舞い込んできたこの時期に、彼女と再会出来たということは、これは俺にとっては好機なのかもしれない。
今日、彼女と会えた。この好機を俺は逃して良いのか――。

「君は此方にはよく来るのか?」

21:44