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5  成績事情(5)

02 17 *2010 | 未分類

「ああ、違うよ。こういう時はこの公式を使って……」
数学を教えてほしいとロイが部屋に駆け込んできたのは、昨日のことだった。その時は熱が出てベッドに横になっていたところだったから、ミクラス夫人がロイを止めた。急ぐことならとロイに言ったら、ロイはそうじゃないと言う。では具合が良くなったら――と約束したので、熱が下がった今日、ロイの勉強を見ることにした。ロイが学校から帰宅してから、部屋に行くと、ロイは机に向かって問題集に取り組んでいた。
「この公式ってそういう時に使うんだ。知らなかった……」
ロイは頷きながら、問題を解いていく。学校の宿題かと思ったら、そうではないらしい。いつもは宿題しか取り組まないロイが珍しいことだった。来月の受験に焦りを感じたのだろうか。

「……ルディ、首席だっただろ」
問題を解き終わったところで、ロイは私を見てそう言った。
「ルディの成績表を見た後に俺の成績表を見たら、父上が怒り狂いそうだ……」
「私は偶々運が良かっただけだよ」
「実力だろう、あれは。ルディ、テストは殆ど満点だったじゃないか……。満点なんてそうそう取れるものじゃないよ」
「そう難しいテストじゃなかっただけだ」
「母上から聞いたけど、2位との差が数十点も開いてたって。俺、今回の成績は本当に怒られそう……」
まるで昨日の自分を見ているようだった。落第したかもしれないと心配で不安になって、一日中落ち着かなかった。
「私も不安だったけど、落第はしなかったし、大丈夫だよ、ロイ」
「ルディの心配こそ無用の心配だったんだよ!……俺は今日絶対に、父上に絞られる……」
「私も今晩、父上の部屋に呼ばれているよ。叱られそうだ」
「あんな良い点で叱られる訳ないじゃないか」
「成績のことじゃなくて、また寝込んだことをね。それも自分一人があたふたして熱を出したんだから、仕方無いけど……」
「母上から聞いたよ。落第じゃないって解って安心して熱を出したって。あの点数で不安になることなんて無いのに」
「欠席が多かったからね。体育なんて半分も参加してなかったし……」
それでも落第はありえないだろう、とロイは言って、自分のノートを見て、溜息を吐いた。

「ロイ?」
「……今回の数学の成績、絶対に悪いんだ……」
「何故そう思うんだ?テスト、そんなに悪い点数じゃなかったんだろう?」
ロイは俯く。ロイのテストの点数は8割を切ったことがなかった筈だ。父が士官学校の幼年コースを受験するのだから、8割を切ってはならないとは言っていたが――。
「……ルディ、怒らない?」
「え?」
「一枚だけ8割を切ったんだ。……8割どころか、7割も無くて……」
ロイは机の引き出しを引っ張り出して、その奥から小さく折り畳んだ紙を取り出した。それを私に手渡す。
開いてみると、68点と書かれた答案だった。ロイの落胆の原因はこれか――。
「ずっと隠していたのか?」
「こんな点数言えないよ……」
「けれど隠していた方が父上は怒ると思うぞ」
「……でも……」
ロイは項垂れる。8割を切っては駄目だと、父はずっと言っていたから、この点数を見たら確かに怒るだろう。
「この点数があるから、今回は10位以内なんて絶対に無理だよ……」
「他のテストは8割以上あるのだろう?」
「それはあるけど……。ルディ、俺、士官学校にも高校にも行けないかもしれない」
「え?何故?」
いつもは元気なロイがしょんぼりと俯いて、今にも泣きそうな顔で呟く。士官学校に行きたくないと言うのかと思ったら、今の言葉から察するにそういう意味ではないようだった。
「ルディの高校に入るには上位5位以内にいないと駄目だって……。5位以内なんて無理だし、士官学校も10位以内じゃないと……」
「今迄10位以内に入っていたのだから大丈夫だろう。それに肝心なのは来月の試験なのだし……。数学もこれから頑張れば……」
「士官学校の受験があって、それからルディの高校の受験があるんだ。でも筆記試験で士官学校の受験に失敗するような人間が、ルディの高校に受かるわけが無い。その他の学校は父上が許してくれそうにないし……」
「そう心配せずに、とりあえず今は頑張ってみよう、ロイ。解らないところは私が出来る範囲で教えるから……。このテスト、きちんと見直してみたか?」
ロイはこくりと頷いて、計算ミスをしなければあと2点はあったんだ、と言った。確かにその通りだった。その他の問題も、もう一度解き直してみたらしい。そうしたら全部解けたんだとロイは言った。
「だったら心配することは無いよ。きちんと落ち着いて解けば解けるってことだ」
ひとつ糸口を教えてやれば、ロイはすぐにそれを飲み込む。すぐに解ってもらえるから、私も教えやすい。士官学校の幼年コースは、毎年数人しか合格出来ない狭き門だと聞いているが、ロイは体力も抜群だから、おそらく問題無いだろう。あとは自信をつけてやれば良い。
「ルディ。受験まで勉強見てくれる……?」
「ああ、勿論」


その晩、私が父の部屋に行って勉強に関しては何も言うことは無いから、体調管理をしろと説教を受けた後、ロイが父の部屋に行った。
数学はロイが予想していた通り、少し評価が下がったようだった。この時期に成績が下がったことを父は叱ったらしい。そのうえで、何故数学の成績が落ちたのかと理由を問われ、ロイはついにテストのことを父に伝えたとのことだった。
私が思っていた通り、父はテストを隠していたことに対して酷く怒ったようだった。
それでもロイは総合順位で10位だったらしい。数学は悪かったが、語学でその点数分を取り返したようだった。

しかし、この日以来、ロイは受験に危機感を抱いたらしく、学校が終わるとすぐ家に帰ってきて、私の許にやって来た。士官学校の過去の試験問題を解いたり、苦手な数学の問題を解いたりしながら、一方で父から武術の手解きも受けていた。

そうしたことが功を奏したのだろう。ロイは見事、士官学校の幼年コースに合格した。受験者総数5682人中、合格者8名。ロイはそのなかでも全科目9割以上の点数を獲得して、首席合格を果たした。

ロイはその後、私の通っている高校も受験して、此方も合格した。士官学校ではなく私と同じ高校に通いたいと父にせがんだが、父がそれを許す筈も無かった。

ロイが合格したことで、少しは私もこの家に貢献出来たかな――母にそう尋ねてみると、母は勿論よ、と優しく笑んでくれた。
私はそのことが何よりも嬉しかった。

22:02

4  成績事情(4)

02 16 *2010 | 未分類

父は厳しい人だった。
母に叱られることは滅多に無かったが、父には始終叱られていた。なかでもこっぴどく叱られるのが決まり事や約束事を破った時だった。

その日、学校が終わってから、俺は友達と遊んでいた。その週は教員と保護者との面談があったから、いつもより早く授業は終わり、家に帰ったらすぐに遊びに出掛けた。6時までには帰る、と母に伝えておいた。

6時までには帰るつもりだった。
ところが、遊びに興じるうちに時間を忘れてしまい、気付いた時には陽が暮れかけていた。慌てて公園にあった時計を見ると、もう6時になっていた。友達と別れて、急いで家に帰った。

そういえばルディは今日初めて成績表を貰うんだった――と走りながら思い出していた。ルディのことだから、良い成績に違いない。テストは殆どが満点だった。
満点なんてどうやったら取れるのかとルディに聞いたこともある。ルディはとくに誇るでもなく、きちんと授業を聞いていれば取れるよ――と答えた。はっきり言って、兄弟でも頭の出来が違うのだと思う。

「ただいま!」
そんなことを考えるうちに家に到着した。6時を15分過ぎていた。母上に謝って父上には内緒にしておいてもらおう――俺はそう考えていた。
「お帰りなさいませ、ハインリヒ様」
フリッツが出迎えてくれる。ただいま、と告げると、フリッツは俺にそっと言った。

「旦那様が御帰宅なさっています。すぐに謝りに行ってらしてください」

この瞬間、俺の背に寒気が走った。まさかこんな早い時間に父が帰ってくるとは思わなかった。
父の部屋に行きたくはなかったが、すぐに向かった。その途中で母と出くわした。母はお父様がお呼びよ――とフリッツと同じことを俺に告げた。ああやっぱり叱られる――覚悟を決めてから父の部屋の扉を叩いた。返事を待ってから、部屋に入る。父は俺を見ると、静かな声で言った。
「外出時間は6時までという約束だったが、今は何時だ」
「6時……15分です……」
「ハインリヒ、お前は約束を守れないのか」
「ごめんなさい……。時計を見るのを忘れていて……」
「そんなことは理由にはならない。それはお前の注意力が足りないということだ」
父の説教が始まる。そういう時はいつも父の座る机の前に姿勢を正して立って、じっと黙って聞いていた。そうしなければ余計に叱られる。
いつもなら母が側に来て庇ってくれるが、いくら待っても母は居なかった。父の説教が続くなか、ひたすら母の助け船を待った。しかしその願いも空しく、母からの助け船が来ないまま30分が経過して、漸く父の説教が終わった。

「約束を破った罰として、これから一週間は外出を控えること。良いな?」
「一週間も!?」
明日も遊ぼうと友達と約束したのに――。
「家の約束事を守れないのなら、この家から出て行きなさい」
父のきつい一言に言葉を返せなくなる。いつもそうだった。俺もルディも父に逆らうことは出来ない。
「……ごめんなさい」
素直に謝って、これから一週間遊びに行かないことを約束する。父は頷いてから話題を転じた。
「来月には受験もあるだろう。きちんと勉強はしているのか?」
父はずるずると怒りを持ち越す性格ではない。漸く説教が終わった――と、ほっとしたのも束の間だった。
勉強はしている――つもりだった。今日、遊びに出たのも久々だった。周囲も皆、受験一色に染まっているから、今日と明日だけは息抜きのつもりだった。
「士官学校の幼年コースは、お前が考えているほど甘いものではないぞ」
「……父上。どうしても士官学校に行かないと駄目?俺はルディと同じ高校に入りたいんだ」
「お前はこのロートリンゲン家を継ぐ義務がある。何度もそう話した筈だぞ」
「解ってるけど……でも……。軍人じゃなくても……」
「旧領主家には二つの義務がある。この帝国を他国の侵略から守るという義務、そして経済面で支える義務。お前は恵まれた環境で育っている分、その環境を与えてくれた社会に恩返しをしなければならない」
俺にはまだ理解出来ていなかった。何故、ロートリンゲン家を維持するために軍人とならなければならないのか。
何故、自分の好きな道を選べないのか――。
「……ハインリヒ。やりたいことはお前の役目を終えてから存分にやりなさい」
「役目……?」
「軍人となり、結婚をして後継者を残す。その後継者が軍に入ったら、一応はロートリンゲン家の当主としての役目を全て果たしたことになる」
「……じゃあ、俺が軍に入ったら、父上は役目を終えることになるの?」
「ああ。お前が士官学校を卒業して軍に入ったら、私はすぐに退官して、自分の趣味に生きる」
「……いいな」
「私もこれまで我慢してきたのだ。お前とて役目を終えれば好きなことをして良い。お前の祖父も曾祖父もそうして家を残してきたのだからな」
この家に生まれるとはそういうことだ――と父は言う。後継者が軍に入ったら、ということは俺にはまだまだ先の話だった。肩にどっしりとのし掛かる重責を考え、項垂れた時、父の机の上にあった成績表が視界に入った。
「……この成績表、ルディの?」
「うん?ああ。お前も明日、成績表を渡されるのだろう。楽しみにしているぞ」
父の机の上にあるルディの成績表の評価を眼で追って、驚いた。
「……ルディの成績、何これ……!?全部最高評価って……」
唖然としてルディの成績表を見た。ずらりと最高評価を示す数値が並んでいる。その隣に分数のような表示があって、左側の数字が全て1となっていた。つまり、全教科1位だった。下の方に総合順位も書いてある。そちらも勿論、1位という数字が輝いていた。
学年主席ということだろう。ルディは頭が良いことは解っていた。でもあのレベルの高い学校で首席だなんて――。

「……こんな成績の後で俺の成績なの……?」
これまでルディは学校に通ったことがなくて成績表を貰ったこともなかったから、自分の成績と比較されることは無かった。俺自身、そう悪い成績は取っていない。これまでは。
「仕方あるまい。面談日はお前の方が後だったのだからな」
よりにもよって――と頭を抱えたくなる。
テストの結果は父に毎回報告することになっているが、一枚だけ父に言っていないものがある。これまでテストで8割の点数を切ったことは無かったが、その一枚だけ8割を切った。1点2点というのなら、それもまだ報告出来る。
だが――、68点という点数では父には報告出来なかった。机の一番奥にそれを隠してある。
「……俺はルディのようには出来が良くないから期待しないでね……」
「お前も学年で10位以内には入っているのだろう。そうでなければ、士官学校の幼年コースの受験も厳しいぞ」
今回はその68点という点数があるから、10位以内は無理に決まっている。どうしよう。今、点数を言ってしまった方が良いのだろうか。でもそうしたらまた説教が始まる――。
「それに言っておくが、フェルディナントと同じ高校に入ろうと思ったら、せめて学年で5位以内には入っていないと無理だぞ」
「……それは……レベルが高いのは解ってるけど……」
「解ったら、これから幼年コースへの受験に向けてきちんと勉強しなさい。筆記試験と体力試験、面接試験、これら3つの試験が全て合格点に達していなければならないのだからな」

父の部屋を出る頃には、すっかり落ち込んでいた。出来の良い兄を持ったら苦労する。しかも出来の良いルディに期待をかけるなら兎も角、父の期待は俺に向いているから余計に苦労する。
だがそれをルディに言うことも出来ない。ルディが士官学校を受験出来ないのは仕方の無いことで、ルディ自身、そのことに対して俺に済まないと思っているのだから――。

……でもせめて、俺に対しての兄の務めは果たしてもらおう。

「ルディ!」
俺は一旦部屋に戻り、参考書とノートを手にすると、いつものように勢いよく、ルディの部屋へと駆け込んだ。

21:33

3  成績事情(3)

02 15 *2010 | 未分類

「ほう。学年首席か」
宮殿から帰宅すると、いつも通りユリアとフリッツが出迎えてくれた。ユリアの顔を見ると、疲れも吹き飛ぶ。部屋に行き、軍服を脱いでいると、ユリアはフェルディナントの成績表を貰ってきた旨を告げた。

こと勉学に関しては、フェルディナントに何の心配もしていない。高校に入るまで担当してもらっていた家庭教師も、よく出来る子だとフェルディナントを常に褒めていた。高校の入学試験も首席で合格していたし、テストも殆どが満点だった。欠席が多いから多少は減点されるだろうが、悪い成績でもあるまい――、そう予想していたところ、思いがけずして、学年首席の報せを聞いた。

「ええ。私も驚きました。このまま頑張り続ければ、帝国大学への進学も大丈夫ですって」
「随分話が早いな。受験はまだ先だろう」
「学校側はもう受験を見据えているみたいよ。どのような進路を希望しているのか聞かれて、返答に困ってしまったわ」
ユリアは苦笑を浮かべる。私はフェルディナントには何か芸術に携わる職業に就いてほしいと考えていたが、本人はどうもその道への関心が薄いようだった。政治や経済に関心を持っているから、もしかしたら官吏への道を選ぶのかもしれない。
「フェルディナントは官吏を希望しているのかもしれんな。……まあ悪い選択ではないが、仕事はきついぞ」
「ルディ自身もまだはっきりとは決めていないみたいですから……」
「ゆっくり決めれば良いさ。……身体さえ丈夫ならば、いくらでも道が開けようが……。まったく惜しい」
幼い頃から身体が弱くて外で遊ぶことが出来ない分、フェルディナントは部屋で本を読んで過ごしていた。そうした知識が溜まっているのだろうが、身体さえ丈夫ならば士官学校でも優秀な成績を修めていただろうと思う。
「ルディが満点を取ったテスト、いずれもルディ以外に満点獲得者が居なかったそうよ。本人はそうと知らなかったみたいですけど」
「机上の試験では文句無しということか。欠席が多いという点は何と?」
「身体には気を付けて下さいって。体育も見学をしていればそれで出席にして下さったそうよ」
「……それは少し甘いのではないか?」

旧領主という身分柄、何かと優遇されることがある。そうしたことは排除して、他の生徒達と同じように、公正に評価してもらわなければ。そうでなければ、ゆくゆく二人は不幸になる。

「私もそのことを尋ねてみたけれど、以前にもそうした生徒さんが居たそうよ。だから体調の悪い時は無理しないように伝えて下さいって」
「そうか……。それで本人は?ハインリヒの姿も見えないが……」
良い成績だったのなら、本人が私の前に出て来ても良さそうなものだが、フェルディナントの姿が見えない。ハインリヒも疾うに学校から戻ってきている時間の筈だが――。
「ロイはお友達と遊びに行っています。もう帰ってくる頃でしょう。……ルディは落第するとずっと不安だったみたいで……」
「テストで良い点数を取っていただろう。何故落第すると……」
一日に一度は息子達と話をする習慣をつけていた。夕食後、リビングルームで珈琲を飲む時間――、それが語らいのひとときであり、学校のこともその時に話を聞く。

フェルディナントの通う学校は帝都でも有数の名門校で、試験の回数も多い。フェルディナントもハインリヒもテストの答案が返ってくると、それを私やユリアに見せることになっている。フェルディナントの答案は、殆ど全てが満点だった。
「欠席が多いことを気にしていたみたいよ。朝から真っ青な顔で心配していたから……」
「それで、今は?安心して遊んでいるのか?」
気を緩ませぬよう言っておかなければならないな――そう思ったが、ユリアは苦笑しながら違うの、と言った。
「ずっと気を張り詰めていたのが悪かったのか、安心したら熱を出してしまって……」
「……情けない」
フェルディナントはそれからずっと寝込んでいるのだという。ユリアによると、ここ数日は落第が心配で殆ど寝ていなかったらしい。まったく間が抜けているというか、生真面目というか――。

ふと時計を見ると、午後6時を過ぎていた。ハインリヒは遊びに行っていると言っていた。午後6時を門限としているのに、まだ帰って来ない。
「……ハインリヒにも困ったものだ。時間を守らない」
「6時には戻るって言っていたけど……」
もう少し待ちましょうか――とユリアも時計を見て言った。
かつて、フェルディナントが誘拐されたことがある。それ以来、何かあったら必ず連絡をいれること、門限もきちんと守ることを二人に約束させていた。護衛をつけたところで、フェルディナントは嫌がるし、ハインリヒは護衛の視界からすぐに姿を眩ませてしまう。行き先と帰宅時間を告げて遊びに行かせるようにしたが、帰宅時間になっても戻らない時はやはり心配する。

「ただいま!」
そんな時、玄関から元気の良い声が聞こえて来た。帰ってきたのだろう。ユリアは安心した様子で表情を緩めた。
「ユリア。ハインリヒを呼んでくれ」
「あまり叱らないで下さいね。遊びたい盛りですから」
ユリアは私にそう釘を刺してから、部屋を出て行く。
ハインリヒは帰宅を約束していた時間から15分も遅れて帰宅した。約束を守らなかったことを叱りつけ、これから一週間、遊びに出てはいけないと罰を科した。
そもそもハインリヒは遊ぶ時間など無い筈だ。来月には受験が控えているというのに。


一方、フェルディナントは翌日、私の許に来た。
「成績が良くとも、体調管理が出来ていないではないか」
自分で体調管理に気を配る――、それが高校に通わせる時の約束だった。フェルディナントははい、と素直に頷いて、気を付けます、と言った。そうした姿を見るとあまり叱責するのは酷な気もするが、甘い顔を見せてはならない。慢心はこの子の足下を掬う。ただでさえ、この子は出来の良い子だ。周囲が褒め称えすぎては、この子の身を滅ぼすことになるだろう。
「お前は体調管理にまず取り組みなさい。……それから、時間の空いた時で良いから、ハインリヒの勉強を見てやってくれ」
これまでもフェルディナントはハインリヒの勉強をよく見ていた。頼まずともそうしてくれるだろうが……。
フェルディナントは快く頷いた。勉強のことはフェルディナントに任せておけば大丈夫だろう。
「ハインリヒの今回の成績、数学の評価が少し落ちていてな。今からハインリヒとも話をするが……、これでは士官学校の受験も不安が残る」
ハインリヒはフェルディナントのように校内で首席となったことはない。だが、学年で7位とか8位と、毎回10位以内には入っていた。
今回もぎりぎり10位ではあったが――。
フェルディナントは首席、しかし欠席日数が3分の1以上、ハインリヒは10位、欠席日数はゼロの皆勤。
そして、フェルディナントの真面目すぎる性格、対して奔放を好むハインリヒの気ままな性格。
まったくこの二人を足して割ったらちょうど良いだろうに――フェルディナントが去った後、二人のことを考えながらそう思わずにいられなかった。

20:46