ノーマン・ザカ中将。
彼のことは入隊当初からよく知っている。陸軍部軍務局特務派所属の少佐時代から大佐となるまでの6年間、私の直属部隊であるトニトゥルス隊の一員として、共に任務に就くことが多かった。
優秀な男だったから、少佐となって一年目に中佐の昇級試験を受けさせようと思ったら、彼は固辞した。その理由を尋ねたら、同じトニトゥルス隊の少佐に自分より上の先輩が居るからということだった。
『そのようなことを言っていては、いつまでも昇級出来んぞ』
『もし私が三年、四年の経験を経た者ならば、閣下のお話をありがたく頂戴致します。しかし私はまだ入隊して一年の新参者です。もう少し下積みの経験を得たいのです』
軍人にしては珍しい気質のノーマン・ザカをますます気に入ったのは、この時だった。彼の希望通り、少佐の期間を長めに置くことにした。その後、彼は中佐を二年務め、六年目に大佐となった。
私は彼に一年大佐を務めさせたうえで、昇級試験を受けさせようと考えていた。准将となった後は、特務派の司令官とし、その後参謀本部で片腕となってもらうつもりだった。彼は此方の意図をすぐ読み取る人間であったし、人当たりも良く、副官にはうってつけの人物だった。
ところが、人事部が突然、彼の海軍部への転属を求めてきた。陸軍から海軍へという転属は佐官――特に中佐や少佐の場合は、そう珍しいことでもない。だが、大佐や将官となると、余程の人員不足か本人の希望が無ければ、それは避けられる傾向にある。
陸軍で実績を積んでいること、今後も彼の尽力に期待したい旨を、私から人事部に訴えた。しかし――、結果的に退けられた。後になって考えてみれば、それは仕組まれたことだったのだろう。
ルートビッヒ・フォン・シェリング元帥によって。
彼は退官後も人事部を掌握していた。彼は自身のフォン・シェリング家が軍を一手に掌握することを望んでいた。ルートビッヒ・フォン・シェリングは65歳の定年まで軍に残り、絶大な権力を誇っていた。軍の内部でも外部でも、人事権を握っていたことから、恐れられた存在だった。その彼に反発出来たのは私だけであったから、そうした状況を鑑みれば、私はもう少し軍に留まっていた方が良かったのかもしれない。
否――。
親と子の二人が同じ軍部に所属するのは良い傾向とは言えない。それもロートリンゲン家を背景としている。私がハインリヒと共に表に出れば、フォン・シェリング家とロートリンゲン家の二大勢力の対立構造が出来上がることになる。やはりそれは好ましい状況ではない。
アントン中将が頻りに私に軍に留まるよう求めてきた時にも、軍内部の事情は弁えていた。このままではフォン・シェリング家の力が強くなる一方で、リベラルな軍人が糾弾されてしまう。結果的に家同士の派閥争いとなってでも、私には軍に残ってほしい――彼はそう言っていた。
しかし私は留まらなかった。その代わり、リベラルな思想を有する軍人達を指示し続けてきた。大将を15年以上務めた者には元帥の称号が与えられる。元帥となると、フォン・シェリング元帥がそうしていたように、退官後も人事に口を差し挟むことが出来る。昇級の際の推薦人になることは出来ないが、現役将官に依頼することは出来る。私はそうして彼等を影ながら支援してきた。
ザカ中将もその一人だった。海軍部配属となってからも、彼を支援してきた。彼は任務に熱心で何でも吸収しようとする勤勉な男だったから、新しい仕事もすぐに覚えた。そうして海軍部でも実績を積み上げ、少将に昇級した時、ヴェネツィア支部長の副官となった。
それまでは本部所属だった彼が支部に移ることに、私は反対だった。少将の昇級試験を取り下げてでも本部に残るようにと彼に言った。ところが、彼は去年子供が生まれ、その子供を育てるための環境が良いという理由で、ヴェネツィア支部所属を希望した。彼ほどの人材を本部から失うことは痛手だった。少し前にアントン中将も同じことを言っていた。
『有能な人材であればこそ、フォン・シェリング元帥は遠ざけるでしょう。たとえ本部で雑用扱いされても、本部に留まっておかなければ、全てフォン・シェリング元帥の思うが儘となってしまう。元帥閣下、退役した私がこのようなことを申し上げるのは謁見行為でしょうが、それを承知の上で申します。……ノーマン・ザカとジャン・ヴァロワは必ずこの帝国の軍部を変えてくれます。能力だけみれば、どちらも長官となるに相応しい者達です』
『ザカ中将が海軍部に転属となった時には抗ったが、こうなると彼が海軍部長官となってほしいものです。彼にはそれだけの器がある』
『海軍部には閣下の御子息がいらっしゃいます。お若いながら武勇の誉れ高い。御子息が長官となるのは間違いないでしょう。私はその時に、ザカ中将が副官となってくれれば良いと考えています』
『ハインリヒは経験が浅すぎます。長官となるにせよ、まだまだ何十年も先のこと。ハインリヒよりはザカ中将にそうなってもらいたいと思っているのです』
いずれザカ中将は海軍部長官、ヴァロワ中将は陸軍部長官に推薦するつもりだった。そうすれば、帝国軍の将来に明るい道が開かれる。
『そのためにはザカ中将に本部に戻ってもらわなくては』
ヴェネツィア支部長となって三年が過ぎた。支部長の経験は彼に新たな知見を与えたことだろう。そろそろ本部に戻り、軍務局あたりの仕事を得て、来年か再来年には昇級試験を受けさせよう――私はそう考えていた。大将となり五年の経験を経れば、長官への道が開かれる。私が推薦せずとも、ザカ中将は周囲から認められる存在となるだろう。それだけの能力は有している。
彼を本部に戻した方が良い――という元帥としての私の意見を、人事部の者達は受け入れた。意外にもこれはあっさりと認められ、ザカ中将は再来月から軍務局司令課に配属されることになっていた。
その矢先、ザカ中将の訃報がもたらされた。
おそらくは――、フォン・シェリング大将やフォン・ビューロー大将が此方の思惑に気付いたのだろう。元々あの二人は、私とアントン中将の仲を良く思っていなかった。特にフォン・シェリング家は。
事故死だと言っていたが、それも奇妙なことだ。おそらくは事故死ではあるまい。
考えたくもないことだが、暗殺されたのだろう。調べればすぐに解ることだ。そもそもヴェネツィア市の現市長は、フォン・シェリング家からの援助を受けて市長となった。ザカ中将もそろそろヴェネツィアでのそうしたしがらみに嫌気を感じている頃だろう。転属にはちょうど良い時期だと考えた。それなのに、こうした事態を招いてしまった。
私がもう少し気を配っていれば、この事態を避けることが出来た。
私の失態だ――。
「父上。もうすぐ到着します」
フェルディナントの声に傍と我に返る。
「ああ。解った」
そう応えて、窓の外を見遣る。そういえば、フェルディナントもハインリヒも、車中では殆ど言葉も交わさなかった。ザカ中将の死を悼んでいるのだろう。
奇妙な縁というか、考えてみれば必然的だったのか、二人ともザカ中将と親しくなっていた。ヴァロワ中将も交えて食事に行くこともあった。
私はそれを心の中で密かに喜んでいた。ザカ中将やヴァロワ中将を先輩と仰ぐのなら、彼等はたとえ二人が過ちを犯した時でも、彼等が窘めてくれるだろう。
そう考えていたのに――。