ザカ中将の家に辿り着いたのは、夜中のことだった。夫人に突然の来訪を詫びて、弔問させてもらった。夫人は元々、軍務省で事務官を務めていたこともあって、私もよく知った女性だった。いつも明るく楽しそうに笑う女性なのに、今はその表情は悲壮感しか窺うことが出来ない。そうした姿を見るのは痛々しかった。
ザカ中将の遺体は既に棺のなかだった。ザカ中将に一目会わせてほしいと夫人に頼むと、夫人は泣きはらした眼で首を横に振って言った。
「遺体の損傷が激しいの。ジャン、お願いだから見ないであげて」
夫人の話によると、ザカ中将の遺体は損傷が激しく、車のナンバーと遺留品で何とか判別出来たとのことだった。
走行中に突然、車が横転し、炎上したのだという。実況検分ではザカ中将が車の速度を上げすぎたのではないかと、告げられたらしい。
「でもね、ジャン……。あの人が自分で運転する筈が無いのよ。いつも自動運転で……。自動運転なら危険察知が素早いからって……。そんな人が遠い支部まで出掛ける時に自分で運転する筈が……」
「ザカ中将は……、最近何か仰っていませんでしたか……? いつもと様子が違っていたとか……」
「急に転属の話が来たの。本部に戻るのを楽しみにしていたのに、南部の支部への転属の話があって……、悩んでいたというぐらいしか……」
「南部の支部……ですか? 本部転属と聞いていましたが……」
「最近になって、上官から南部支部への配属を求められたと……。ノーマンは本部転属の話を受け入れるつもりだったから、南部転属の話は必ず断るって……。隣の支部に行ったのもそのためだったの……」
最近になって上官から南部支部へ転属の話が来た?
それを断るために、隣の支部に行く?
どういうことだ。ザカ中将の転属に揉めていたのか。隣の支部はザカ中将と同じ階級のキーン・ドレシャー中将が支部長を務めている。彼はザカ中将より年長だが、ザカ中将が上官と仰ぐほどの人物でもない。
ドレシャー中将――。
彼に何か関係しているのか。
彼のことは私もよく知らない。ザカ中将から話を聞いたことも無い。ヴェネツィア支部の隣、シラクーザ支部長ということしか情報が無い。
「ジャン……。きっと事故ではないのでしょう……?」
夫人の言葉に、どう応えて良いのか迷った。おそらく事故ではないのだろうと私も思う。だが、証拠が無い。そして、事故ではなかったとして、誰かの策略に嵌って命を落としたとなってもそれは辛いことで――。
ザカ中将の家を後にし、ヴェネツィア支部へと向かった。事故が起きた時にザカ中将が乗っていた車は支部のものだったから、車の残骸は支部に運び込まれている筈だった。僅かにでも何か手がかりが残されているかもしれない。
ヴェネツィア支部には半旗が掲げられていた。衛兵達に身分証を提示してから中に入る。ヴェネツィア支部は突然の支部長の訃報に、騒然としていた。
「陸軍部軍務局司令課所属、ジャン・ヴァロワ中将だ。この支部の事務官と話がしたい」
事務室でそう告げると、佐官級の男が出て来て、ブルーノ・ベルトリーニ大佐ですと名乗り、敬礼した。彼は周囲をさっと伺ってから、別室に案内した。
「ザカ中将閣下からジャン・ヴァロワ中将閣下のお話は伺っております。ザカ中将閣下が本部で親しくなさっている方がいらっしゃると……」
「ああ。ザカ中将とは士官学校の頃から親しかった。今回の事故について、少し調べさせてもらうために此方に来たのだが……」
「閣下。ザカ中将閣下に万一のことがあったら、本部に居るヴァロワ中将閣下に伝言を頼むと告げられていました。それも一昨日のことです」
「私に伝言……?」
「何があろうと本部に留まるように――と。そう伝えてほしいと仰っていて……」
ザカ中将――。
何かあるかもしれないと予期していたのか――。
やはりザカ中将は事故死ではない。誰かの策に嵌ってしまったのだ――。
黒幕は誰だ?
ザカ中将を本部に配属とさせないように、誰が動いた?
「……ベルトリーニ大佐。ザカ中将が乗っていた車は此方にあるのか?」
「ええ。地下にあります。……残骸で殆ど何も残っていませんが……」
「見せて貰えないか? それからもう一つ、聞きたいことがある」
「はい。小官が答えられることであれば」
「ザカ中将は隣のシラクーザ支部に向かったと聞いた。そのシラクーザ支部長のドレシャー中将とは、ザカ中将は親しかったのか?」
「いいえ。ドレシャー中将閣下はフォン・ビューロー大将閣下と親しい間柄でしたので、ザカ中将閣下は当たり障り無くお付き合いなさっているようでした」
これで話が繋がった――。
ドレシャー中将はフォン・ビューロー大将と懇意だったのか。フォン・ビューロー大将は旧領主家の出身で、フォン・シェリング大将とも仲が良い。
間違いない。彼等がザカ中将を排除しようとしたに違いない――。
地下に置いてあったザカ中将の乗っていた車は、殆ど形を残していなかった。特に運転席部分は残骸すらも無い。ハンドルは丸い形を失い、黒く焼き焦げている。特に損傷の激しいのが、運転席の下の部分のようだった。其処には黒い煤以外、何も残っていない。
「ザカ中将閣下の御遺体は頭部と胴体の損傷が激しく、辛うじて左腕が残っていました」
「それで……、ザカ中将だと?」
「ええ。左腕は車外から発見され、薬指の指輪から……」
「そうか……。この車を検分したのは、この支部所属の者達か?」
「いいえ。ヴェネツィア市警が。市警の事故という判断が下されるまでは、私達は触ってはならないと通達があったのです」
妙だ――。
如何に民間用と変わらない普通の車だとはいえ、軍人の絡む事故には軍が検分を行うことになっている。しかも任務中の事故となれば必ず軍がそれを行う。部外者に軍の情報が漏れないようにするために。
ヴェネツィア市警ということは、ヴェネツィア市長からの命令を受けたのか。そうだとしたら、フォン・シェリング大将とも関係性が浮かび上がってくる。
車の下を覗き込む。煤だらけで、まだ焼け焦げた匂いが残っている。
きっと一瞬のことだったのだろう。逃げる間も無かったに違いない。
それにしても――。
横転事故ならば、屋根の部分の損傷が激しいだろうに、どちらかといえば下の――、座席部分の損傷が激しい。
まさか――。
爆弾を仕掛けられていたのではないだろうな。座席の下、車体の裏側に――。
「ヴァロワ中将閣下?」
車体の裏側の焼けただれた部品をハンカチで取り出す。ベルトリーニ大佐に鑑識部に知り合いが居るかどうか尋ねた。
「信頼できる人間だ。フォン・シェリング大将やフォン・ビューロー大将と縁のない人間が良い」
「一人思い当たる人物が居ます。ザカ中将も懇意になさっていた人物です」
「ではその者に頼んで、これを解析してもらってくれ」
ベルトリーニ大佐はハンカチを受け取ると、すぐに鑑識部へと向かった。一時間程で結果は出るだろう。
おそらくは――。
爆薬の成分が出て来る筈だ。
この損傷から考えても、爆破されたと考えた方が自然だ。リモコン操作かそれともタイマーがかけられていたのだろう。ザカ中将はそんなものが仕掛けられた車だと知らずに乗り込んだ。
否――。
ザカ中将は万一の事態が起こるかもしれないと、危惧していた。だから私に伝言を残した。身辺に気を配っていた筈だ。
だがまさか車の下に何か仕掛けられているとは思わず――。
許せない――。
ザカ中将を陥れた者達を。必ず真相を追求して、このことを問い詰めてやる。
そのためにはまずは証拠だ。
車を暫く調査していると、ベルトリーニ大佐が戻ってきて、分析結果を手渡した。
「彼を連れて来ようと思ったのですが、此処に人が集まると目立ってしまうので……。分析結果によると、車の内部構造品とは関係の無い物質が数種類検出されたそうです」
書類にはやはり爆薬と思われる薬品名が記されてあった。
予想した通りの結果だった。
ザカ中将は暗殺された――。
「ヴァロワ中将閣下……」
「……協力ありがとう。ベルトリーニ大佐」
これ以上、此処で調査をすれば彼等にも迷惑がかかる。この証拠を得られただけで充分だ。
あとは私が一人で動けば良い。必ず黒幕を追及してみせる。それがザカ中将へのせめてものたむけになる筈だ。