ベーレンス建築会社。
調べてみると、私が思った通りだった。ベーレンス建築会社にはフォン・シェリング家が出資している。ロートリンゲン家との繋がりは無く、フォン・シェリング家が一手に出資を行っている。
フォン・シェリング家は現在、主と後継者を失い、破綻寸前にあると言う。そうなると、フォン・シェリング家が出資していた企業は倒産の危機に晒される場合もある。ハインリヒが少し前にそんなことを言っていた。フォン・シェリング家とフォン・ビューロー家をはじめとする一部の旧領主家が破綻寸前の状態に陥っており、彼等が出資していた企業を救済する術を講じなければならない――と。そのために、今度ハインツ家と話をすることになっている、と。
ベーレンス建築会社はおそらく、フォン・シェリング家が破綻寸前に追い込まれたことで、経営が危うくなっているのだろう。おまけに自社の社員がフォン・シェリング家を破綻に追い詰めた私と懇意にあることを何処からか知って、怒りの矛先をその社員――フラウ・ルブランに向けたのだろう。
彼女の解雇の取り消しを私が求めたとしても、取り合ってはもらえまい。不当解雇だということで解雇の取り消しが出来たとしても、今度は彼女が会社に居づらくなる。
だが、彼女が解雇となったのは間違いなく私が原因だ。
「どうすれば良いものか……」
新たな会社を探すといっても、この社会状況では容易なことではない。ハインリヒにロートリンゲン家の傘下企業への就職を斡旋してもらうのもひとつの手段ではあるが、彼女が果たして納得するかどうか――。
呼び鈴が鳴ってソファから立ち上がる。フェルディナントとハインリヒがやって来たのだろう。
「どうぞ」
扉を開けると、フェルディナントとハインリヒが其処に立っていた。ハインリヒは兎も角、フェルディナントの顔色が随分良い。
「お邪魔します、ヴァロワ卿」
「入ってくれ。フェルディナント、具合が良さそうだな」
「ええ。今は少し外を散歩するように心掛けています。ヴァロワ卿のお加減は如何ですか?」
「私も良好だ。さあ、部屋に入ってくれ」
二人を部屋へと促す。リビングに通し、ソファを勧める。何か飲み物を持って来ようとすると、ハインリヒが私に座るよう促した。
「勝手にキッチンを借ります。ミクラス夫人が作った焼き菓子があるので、皿も借りますね」
ハインリヒはそう言って、リビングから出る。彼に任せることにして、ソファに腰を下ろすと向かい側にフェルディナントが座って言った。
「右足の感覚は戻りませんか?」
「付け根から10cmは鈍いながらも感覚があるのだが、それより下は全くだ。先日、医師から義足を勧められたよ」
「義足……ですか……?」
フェルディナントは驚いた様子で尋ね返す。頷くと、切断するのですか――と問うてきた。
「まだ悩んでいる。20代30代というのなら、早々に切断して義足をと考えるが、もう40代……、もうじき50歳だ。家で大人しく余生を過ごすと考えれば、多少は不便だが切断せずこのままで居ようか……とな。だが、不便を感じる時は切断してしまった方が良いかと思うこともある」
「ヴァロワ卿……」
「まあ、切断にも抵抗がある」
「そうですね……。私もヴァロワ卿と同じ立場なら悩んでいると思います。痛みは無いのですか?」
「ああ。何処にぶつけようと何も感じない。おかげで右足は打ち身だらけだ」
ハインリヒが盆を片手にリビングに戻ってくる。ありがとう――と礼を告げると、ハインリヒは意味ありげに笑って言った。
「キッチンが随分片付いているではないですか。きちんと珈琲や紅茶が並んでいるのを見ると、彼女とは上手く言っているようですね」
「別にそういう訳ではない」
ハインリヒは私の前に珈琲を置き、テーブルの真ん中に焼き菓子を置く。キルシュクーヘンのようだった。以前、ロートリンゲン家を訪れた際、ミクラス夫人のキルシュクーヘンを絶賛した。夫人はそのことを憶えていたのだろう。
「しかしヴァロワ卿にしては珍しいではないですか。彼女のことを気に入っているのでしょう?」
フェルディナントはそう言って微笑する。ハインリヒの淹れてくれた珈琲を一口飲む。その様子だと一緒に食事をしているのでしょう――とハインリヒは言った。
「部屋のなかは綺麗だし、ヴァロワ卿が痩せた様子も無い。ヴァロワ卿は本を読み始めると寝食を忘れますからね。ということは、彼女がきちんと食事の支度をしてくれているのでしょう」
まったく洞察力が鋭いというか、何と言うか――。
「朝食と昼食は彼女が作ってきてくれる。夕食は此方に来て作ってくれることがある。……外食の時もあるが」
「彼女と外に食事に?」
フェルディナントが驚いて聞き返すので、ああ、と応えると、本当に意外そうな顔をした。
「……だが、そろそろそうした甘えも止めなくてはならないと考えていたところだ」
「ヴァロワ卿。ロイから色々と話は聞いていましたが、悪いことではないではないですか。アントン中将の姪御殿は可愛らしい方だったと記憶しています。察するにきっと心優しい女性でしょうし……」
「……フラウ・ルブランのことを知っているのか?」
フェルディナントの口振りからして、彼女のことを知っているかのようだった。フェルディナントは一度姿を見たことがありますよ――と微笑しながら言った。
「先日思い出したのですが……。ヴァロワ卿もロイも見かけたことがある筈ですよ。アントン中将の葬儀で」
「……アントン中将の葬儀は人が多くてあまり一人一人の記憶が無いが……」
「アントン中将の棺を埋葬した時に、泣き崩れた若い女性――彼女が姪御殿なのでしょう。アントン中将には子供が居なかったと聞いていたので、親族の誰かなのだろうとずっと思っていたのです」
「……おそらくその女性が彼女に間違いないだろうが……、22歳ぐらいの女性だったか?」
「ええ。遠目ですが、年齢はそれぐらいですよ」
「大したものだ。よく憶えているな」
フェルディナントの記憶力と観察力の高さにはいつも舌を巻く。ただ印象的だっただけですよ――とフェルディナントは返したが、そうした能力が際立っているからこそ、宰相が務まったのだろう。
「ヴァロワ卿は固すぎる。年齢差ぐらい構わないではないですか。互いに気が合うのなら」
ハインリヒはカップをことりと置いて言う。フェルディナントもそれに賛同して頷いた。
「いや……。これ以上、彼女と親しくしてはならない。私の問題に彼女を巻き込んでしまいそうでな」
「問題? 何かあったのですか?」
「ベーレンス建築会社という会社を知っているか?」
二人に問い掛けると、ハインリヒは小首を傾げたが、フェルディナントが、ええ、と頷いた。
「フォン・シェリング家の傘下企業のひとつです。フォン・シェリング家の別荘を建築したり、宮殿前の街路整備も行ったりしています。都市的なデザインからバロック的なデザインまでありとあらゆる要望に応えるということで定評がありますよ」
フェルディナントはさらりと答える。まったく何から何までよく憶えている男だった。
「フラウ・ルブランはその会社に勤務しているのだが、月末で解雇されるらしいんだ」
「……まさか」
フェルディナントは傍と気付いたようで私を見つめる。それに頷き返す。
「おそらくは私のせいだろう。私と懇意にしていることを気付かれたのだろうと思ってな。そのために、彼女は会社を解雇されてしまったに違いない。……だから、これ以上迷惑をかける訳にはいかないんだ」
「しかしヴァロワ卿。彼女の解雇の理由がそうと決まった訳ではないのでしょう? もしかしたら他に原因が……。なあ、ルディ」
フェルディナントは少し考えて、いや、と応えた。ヴァロワ卿の考えた通りだろう――と言い添える。
「フォン・シェリング家傘下の企業は、支援者を失って危機的な状況にある企業も多いと聞いている。ロートリンゲン家やハインツ家に支援を請うところもあるが、大半はライバル企業になるから今は動向を窺っている状況だ。……そうなると、フォン・シェリング家を追い詰めたヴァロワ卿やロートリンゲン家は恨みを買うことになる」
ハインリヒは黙ってそれに聞き入った。フェルディナントは此方に向き直って、建築会社で彼女がどのような仕事をしていたか御存知ですか――と尋ねて来た。
「建築デザインということは聞いている。詳しいことは解らんが……」
「傘下企業に問い合わせてみましょう。ベーレンス建築で働いていたという実績があるのなら、喉から手が出るほど欲しがりますよ」
「いや……。私も二人に相談して傘下企業への斡旋を頼もうかと考えたが、おそらく彼女が嫌がる」
「そうですか……。私達に力になれることがあれば、何でも仰って下さい」
フェルディナントとハインリヒは一時間程で帰っていった。フェルディナントがまだあまり長い外出は出来ないようだった。