来週にはクリスマスを迎える。今日、本を買いに街に出掛けたら、クリスマスの色彩で溢れていた。
「君もクリスマス休暇は実家に帰るのだろう?」
この日もフラウ・ルブランが夕食を作りに来てくれて、共にテーブルに着いた。その時、何気なく問いかけると、彼女はいいえ――と肩を竦めて応えた。
「帰ったら、きっとそのまま実家に留まるように言われてしまいますから……」
「……帰らないなのか?」
「ええ。そうしようかと……。仕事も明日で終わりますが、再就職先を探さなくてはならないので……」
「あてはあるのか?」
「……いいえ……。でも一社、書類を受け取ってもらえたので」
フラウ・ルブランは心配させまいと微笑みかける。この情勢下では、やはり難しいのだろう。
「おそらく君が職を追われることになったのは、私に関わったからだ。私としてはその責任は取りたい。知人に話をしたところ、採用を頼めるというから、君さえ良ければ其方に……」
「私が解雇されたのは閣下のせいではありません。それに大丈夫です。必ず自分で見つけます」
「だが……」
「閣下こそ……、軍にはまだ復帰なさらないのですか?」
フラウ・ルブランは話題を此方に振ってきた。復帰するつもりは無いんだ――と応えると、彼女は驚いて私を見つめた。
「まだ停職期間中の身でね。尤も退職届けも未だ受理されていない。私としてはこのままのんびり暮らそうかと考えている」
停職、と彼女は呟いて傍と気付いた様子で、すみません、と言った。
「気にしなくて良い。本当は公職停止どころか、禁錮刑となってもおかしくないと思うのだが……」
「閣下……」
「この家のローンも完済しているから、私はこのまま無職でも生活出来ないことはない。だが……、同時に悩んでもいる。私は辞めても代わりの人間が居るが、私と同じ理由で身を退いた人には代わりが居ない。この国にとってその人はとても重要な人で、私としても彼には復職してほしいと思っている。だが自分が復職しないのに、他人にそれを求めることも出来なくてね」
「……もしかして……、宰相閣下のことですか……?」
「ああ。この混乱を収束させることが出来るのは彼しかいない。だが、彼も私と同様、侵略に加担した身だ。彼が身を退く理由も頷ける」
フェルディナントには宰相に復職してほしいと考えている。偶に此方に来るカサル大佐やウールマン大将の話では、終戦から未だ収束の糸口が見えないのだと言っていた。政府中枢の人間は、フェルディナントの復職を求めていた。
そして、裁判以後、マスコミの多くもそれを求めている。
「いつまでも悩むのは性に合わないのだがな。……ところで話を戻すが、もし君の都合が良ければ、クリスマスに食事に誘いたいと思っているのだが……」
フラウ・ルブランは眼を大きく見開いて、嬉しそうに、はい、と言った。彼女のそうした表情を見ると、此方まで嬉しくなる。
彼女と距離をおかなければと思っているのに、離れられなかった。彼女にそのことを告げられないままだった。
アントン中将夫人の言葉が本当なら――。
フラウ・ルブランが本当にそれで良いのなら――。
このところ、そのことがずっと頭の片隅で疼いている。彼女を一人の女性として見ている自分に気付いていた。
クリスマスを彼女と共に過ごし、展望の良いレストランで食事を共にして、翌日からは普段通りの生活に戻った。彼女とはいつも夕食を一緒に摂った。実家に戻らないと宣言していた彼女だが、実家の両親に叱られたようで、年末からリヨンの実家に戻っていった。
彼女と出会ってから、丸一日一人で過ごすことが無くなっていたせいか、何となく詰まらなく感じてしまう。
そうするうちに年が明けた。
本を読んだり、これからのことを考えたりしていた。
軍からは相変わらず復職の要請が来ている。公職停止期間が終わりに近付いているからだろう。来月の初旬には停止期間が明ける。
ウールマン卿もヘルダーリン卿も口を揃えて、復職を求めている。復職したうえ、国際会議の常備軍メンバーに加わってほしい――と。この件については外務省からも要請があった。現状の国力を維持するためにも常備軍に名を連ねてほしい――と。
一昨日の夕方、ハインリヒが家にやって来た。話したいことがある、と年末からずっと言っていたが、ハインリヒ自身がロートリンゲン家の関連事業や催事やらで時間が取れなかったらしく、年明けまで持ち越していた。
その日、ハインリヒは帝国軍の軍服を纏って現れた。
『……復職したのか』
そうとしか受け取れない格好ではあったが、尋ねると、ハインリヒははい、と確りとした口調で応えた。
『12月に決心して今日から復職しました』
『そうだったのか。フェルディナントも喜んだのではないか?』
『喜んだかどうかは……。ヴァロワ卿、私はこの国のためと、そしてルディの背を押すために、軍に戻ることを決めました』
ハインリヒは笑いながらそう言って、私を見つめた。
『私が復職しない限り、ヴァロワ卿もルディも復職しないでしょう』
この時のハインリヒの言葉に絶句した。次の言葉が出なかった。
『軍にはヘルダーリン卿やウールマン大将が居ます。私が居なくとも軍はきちんと機能出来ている。ですが、内政は未だ混乱状態にあります。これはルディに復職してもらわないと仕方が無い。そのルディの背を押すために、一足早く軍に戻りました』
『では海軍長官に?』
『いいえ。ヘルダーリン卿からは海軍長官の復任を求められましたが、それは辞退したのです。そのうえで、軍務局総司令官の任命を受け、国際会議の常備軍の話を引き受けました』
『……そうか』
『私が常備軍の話を引き受けたのは、ヴァロワ卿、貴方に軍に戻って頂きたいからです。個人的な感情は別にして、この国のために』
私自身、随分悩みました――と、ハインリヒは言った。
この時、私は何も即答出来なかった。フェルディナントを復職させるよう仕向けるために行動したことは、確かに頷ける行為であり、またそれをハインリヒが率先して行ったということに驚いてもいた。これまでのハインリヒは、有能なのに軍の深部まであまり関わりたくなさそうな雰囲気を持っていた。本人が望んで軍に入った訳ではないからだろう――と思っていた。ところが、あの時のハインリヒは何か吹っ切れたように、ひとつの目的を持ったかのような眼をしていた。
そんなハインリヒを前にして、いつまでも悩んでいる自分が情けなくなってきた。
『ヴァロワ卿、どうか軍に戻って下さい。私もこうして戻ったのですから……。この国のために、今一度尽力して頂きたいのです』
『ハインリヒ……』
『常備軍メンバーとして名前が挙がっているのは、この国のなかでは私とヴァロワ卿の二人だけです。敗戦国であるこの国においては代理指名が出来ないので、もし断ったら帝国はその席をひとつ失ってしまうことになります』
この国のために――。
もう力を尽くしきったと思っていた。そして前時代の遺物である私は軍を去るべきだと。
だが確かに――。
ハインリヒの言う通りだ。
況してや私はこの国を敗戦に導いた人間でもある。この混乱の責任は取らなくてはならない。
それでもまだ私には躊躇がある。何よりもこの足を抱えて何が出来るというのか――。