「閣下。お邪魔します」
   新年を迎え、一週間が経った頃、フラウ・ルブランが私の家を訪れた。実家からたった今戻って来たところなのだと、微笑みながら言った。
「お帰り……というのもおかしいか。リヨンはどうだった?」
「やっぱり此方より少し寒いです。雪が降っていました」
   フラウ・ルブランは私の右手を見て、あっ、と声を出した。昨年末、病院に行った時にギブスが取れて、右手は自由に使えるようになっていた。
「ああ、もう右手を使えるようになったんだ。この通り、何とも無い」
「良かった。でも無理なさらないで下さいね」

   本当は――。
   彼女が私の許に来るのは右手が使えるまでという条件だった。だから、彼女がこうして此処に来る必要は無くなってしまった。彼女との関係を断ち切るにはちょうど良い機会ではあったが――。
   困ったことに、それが出来そうに無い。こうして久々に会って、やはり実感してしまう。
   私は彼女を手放したくない。
   ……愛してしまった。

「……こうして両手が使えるから、家事の必要は無いのだが……。その、偶に……君の時間のある時で良いから来て貰えるかな? 勿論、私の甘えだということは解っているが……」
   フラウ・ルブランは嬉しそうに微笑んで、はい、と応えた。
   だが、その笑みが数秒して消えていく。
「……あ、いや。勿論、君の用事を優先して……、もし無理ならば無理と……」
「……仕事を辞めたこと、両親に話してしまったんです。そうしたらやっぱりリヨンに戻って来いって……。どうしてもと頼み込んで、三月までは此方に居たいと言ってきました。でも再就職先が決まらなければ、三月には帝都を去らなくてはならなくて……」
   三月まで――。
   三月で彼女は帰ってしまうのか――。
「……そうか……。寂しくなるが、君にとってはその方が……」
   フラウ・ルブランは首を横に振った。眼に涙を溜めて、何とかこのひと月で次の職を決めようと思ってるんです――と告げる。そうすれば、両親も納得する、と。
「フラウ・ルブラン……」
「でも閣下。私は自分で必ず見つけますから、どうかお気遣いなさらないで下さいね」
   涙を堪え、気丈に笑みを浮かべてみせる。
   全く――。
   この意志の強さはアントン中将譲りだろう。頷くと、フラウ・ルブランは微笑んで、あとひと月、頑張って職探しをします――と言った。
「あ、ナポリにも行って来たんです。叔母のところに」
「アントン中将夫人の所か。夫人はお元気だったか?」
「ええ。閣下のことを心配していました。そして、私はこってり叱られてしまいました。飼ったこともないのに生き物を預かるんじゃないって……。閣下の手が使えなくなったらどうするのって言われたので、心配していたんです」
「夫人も心配性だ。これぐらい時間が経てば治るのに」
「あとナポリに遊びに来るようにって。きっと本ばかり読んでいるだろうから、来月にでも来るようにお伝えするように言付かってきました」
   アントン中将夫人らしい――。
   笑うと、フラウ・ルブランも笑った。夫人には怪我のことで随分心配をかけたし、一度顔見せに行って来た方が良いかもしれない。
「そうだな。また今度……」

   不意に視線を感じて言葉を止めた。窓の外をそっと窺う。人影ひとつ無い。
   否――。
   妙だ。静かすぎる。

「閣下……?」
「フラウ・ルブラン、今日はこのまま帰った方が……」
   否――。
   一人で帰しては駄目だ。彼女が巻き込まれる恐れがある。
「いや、此処に居た方が良い。すぐに救援を呼ぶから、君は二階に行って天井裏に……」
   その時、がさりと音が聞こえた。植え込みのなかから銃身が伸び、此方に銃口を向けているのが見えた。
「伏せろ!」
   フラウ・ルブランの身体を覆うようにその場に臥せる。パン、と音が響いたのはその直後だった。ざざっと足音が庭を取り巻く。
「良いか? このまま体勢を低くして、二階に上がるんだ。一番奥の部屋のクローゼットに天井裏への入口がある。其処に逃げ込むんだ」
   身体を伏せたまま、少しずつ扉に向かって進む。銃声が背後から何発も響き渡る。
   応戦しなければやられる――。
   だが、この身体でどうやって応戦するのか。おまけに拳銃も剣も無い。
   それに彼女を守らなければ――。

   ドドドドドッと銃声の雨が降る。
   窓が砕け散る。フラウ・ルブランは眼を固く閉じて私にしがみついていた。
   何とか彼女を避難させなくては――。


   彼女の身体を抱え、ゆっくりと這い進む。侵入者達の足音と声が聞こえる。この部屋に居る、今のうちに仕留めろ――と。足音から察して五人か。それ以上は居ないのか。
   扉を片手で開いて、すぐにそれを閉める。扉から離れた瞬間、扉に穴が開く。万一の時のためにと外側にも設置してあった鍵をかける。その間に、階段へと向かう。
「私が此処を食い止める。君は二階に行くんだ。良いな!?」
「閣下! 閣下も一緒に……!」
   階段の下に置いてある杖を手に取る。扉が蹴破られる。
   一人の男の銃口が此方に向けられる。閣下、と背後から叫ぶような声が聞こえた。
   杖を男に向かって放り投げる。左足をばねにして跳び上がり、フラウ・ルブランの身体を抱えて臥せる。

   パンと音が聞こえた。
   銃を下ろせ、という声も聞こえる。
   この声は――。

「閣下! 御無事ですか!?」

   カサル大佐だった。カサル大佐は拳銃を構え数発を撃ち放ち、それから私に言った。
「カサル大佐……」
「これを持って、二階に避難なさって下さい。侵入者は私達が殲滅させます」
   カサル大佐が銃を放る。それを受け取ってから、フラウ・ルブランを促す。フラウ・ルブランは気丈に立ち上がると、私の腕を取った。
「莫迦! 先に逃げろ!」
   思わずそう言うと、彼女はその足では階段が上れないではないですか――と言い返してきた。口論している場合ではなかった。彼女に肩を借りながら二階へと上がる。一番奥の部屋に向かったところで、二階の窓が音を立てて割れ、一人の男が姿を現した。

   拳銃を構え、その男の手を狙う。拳銃を弾き飛ばし、もう一発を撃ち放とうとしたところ、閣下、とカサル大佐の声が聞こえた。
   銃弾が横を掠めとんでくる。下からの流れ弾だった。咄嗟に避けることは出来たものの、その銃弾のために拳銃が弾き飛ばされてしまった。
   男が跳びかかってくる。フラウ・ルブランを横に追いやり、受身の体勢を整える。短刀を持った男の攻撃を紙一重で避け、拳を腹に喰らわせる。男は一度よろめいたものの、再び此方に向かってくる。
「閣下!」
   フラウ・ルブランが私を呼ぶ。ちらと其方を見遣ると、彼女は先程吹き飛んだ拳銃を私に向けて投げた。
   それを受け止めて、男の足に一発を食らわせる。男は悶絶しながら、その場に倒れ込む。
   彼女は安堵したように笑んだ。
   が、次の瞬間――。

   窓から侵入した二人目の男が彼女に銃口を向けた。
   すぐさま、銃を構えて撃ち放つ。
   男は二発の銃弾を受けて倒れた。

   二発――?
   私は一発しか撃っていない。

「逃げた者達を追え! 侵入者全員を捕縛しろ!」
   ハインリヒの声が下から聞こえる。
   ハインリヒはトニトゥルス隊の隊員達に命じると、此方を見上げ、間に合って良かった――と言った。
「ハインリヒ……」
「御怪我はありませんか? ヴァロワ卿、そしてフラウ・ルブラン」


[2010.7.12]
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