家の中は惨状と化していた。それでも誰一人命を落としていないことは、不幸中の幸いだっただろう。
銃撃戦が終わった時、フラウ・ルブランはぺたりと座り込んだ。どうやら腰が抜けてしまったようだった。立てずにいた彼女をハインリヒが抱き上げ、とりあえずこの家から出ることにした。
「カサル大佐、もしかして君は……、ずっとこの家を見張っていたのか?」
彼の加勢で命拾いしたものだが、救援にしても早すぎる。それにこれまでにも幾度となく誰かの視線を感じていた。
「あ……。はい。閣下の身に危険が迫るかもしれないと、上官から命令を受けていましたので」
ハインリヒを見遣ると、時期が時期でしたから、と肩を竦めて言った。
「私が復職したことで、敵が焦って行動に及ぶかもしれないと。それに元々、フェイからの指示もあってヴァロワ卿にはそうと気付かれぬよう、カサル大佐に護衛を頼んでいたのです」
「言ってくれれば良いものを……」
「護衛など必要無いと言われると思ったので。……ところでヴァロワ卿、暫く私の邸に身を寄せてください。フラウ・ルブランもそうして頂けると助かります」
「え? ですが私は……」
「フラウ・ルブラン。そうしてくれた方が私も安心する。今、君の自宅に戻っても、もしかしたら襲撃されるかもしれない。だが、ロートリンゲン家ならば君の安全は保障出来る」
「ロートリンゲン家……? では此方の方は……」
フラウ・ルブランは驚いた顔でハインリヒを見遣った。ハインリヒは自己紹介が遅れました、と言って名乗った。
「ハインリヒ・ロイ・ロートリンゲンです。ヴァロワ卿から話はよく伺っていましたが、初めまして」
私は家に残って片付けをするつもりだったが、彼女一人では気後れしてしまうでしょう――とハインリヒに囁かれ、私もロートリンゲン家に赴くことになった。軍の実況見分が終わるまで立ち合い、それから窓と扉を直してもらうため業者に連絡を取った。杖も作り直さなくてはならない。それは折れ曲がり、使い物とならなくなっていて、ハインリヒに肩を貸してもらい、車へと乗り込んだ。
「ヴァロワ卿も修繕が終わるまでは屋敷に居て下さい」
車を発進させて、ハインリヒはそう言った。それでは迷惑がかかるだろう――と返すと、話し相手が出来て、ルディが喜びますよ、とハインリヒは言った。
「部屋はいくらでも空いていますし、気になさらないで下さい。警備体制のことを考えると、ホテルや宿舎よりうちに滞在して頂くのが一番ですので」
宿舎も、ということは軍内部の人間である可能性も否定していないということか。ハインリヒを見遣ると、後で詳しく話します――とハインリヒは言った。
そうするうちにロートリンゲン家に到着する。ハインリヒは車を玄関脇につけた。予め報せを受けていたらしく、フリッツが出迎えてくれた。
「災難で御座いましたね。ヴァロワ様」
「押しかける形になってしまい申し訳無い」
「いいえ。フェルディナント様も喜びます。其方の方が……」
フリッツにフラウ・ルブランを紹介する。フリッツは彼女を快く出迎えてくれた。
屋敷に足を踏み入れると、フェルディナントが待っていた。フェルディナントはまずフラウ・ルブランに自己紹介をした。フラウ・ルブランはフェルディナントに一瞬見とれ、そして恐縮しながら名乗った。
こういう時、フェルディナントは鷹揚に構えている。笑みを浮かべ、労いの言葉をかける姿は、流石宰相に相応しい人間と言えるだろう。
「ミクラス夫人に後程、部屋を案内させます。滞在中はどうぞ気楽にお過ごし下さい」
フラウ・ルブランはミクラス夫人に案内されて、庭園を見に行った。その様子はこのリビングルームからもよく見える。この部屋は幼い頃、外に出ることの出来なかったフェルディナントのために、こういう設計が為されたのだと聞いていた。
「良い女性ではないですか」
ハインリヒは会議があると言って、私達をロートリンゲン家に連れて来るなり、軍に戻っていった。フェルディナントは窓の外の二人を見遣ってそう言った。
「彼女には申し訳無いことをしたと思っている。私のせいで危険な眼に遭わせてしまったのだからな。……それに私と関わったことで仕事も失ったのだから」
「彼女さえ良ければ、いつでも職を用意しますよ」
「ロートリンゲン家の傘下企業なら安全であるし、安定していると思うのだが……。彼女が承諾しなくてね。流石はアントン中将の姪というか」
「ヴァロワ卿にも似ているではないですか」
フェルディナントは笑う。それから私を見つめて言った。
「ヴァロワ卿、もしかしたら心を決めてらっしゃるのではありませんか?」
いきなりそう言われて驚いて見返すと、フェルディナントはやっぱりと呟いた。
「彼女のことも、そして復職のことも。ヴァロワ卿はいつまでも中途半端な状態に留まっておくような方ではないので、そんな気がしました」
「……フェルディナントは?」
「私はまだ決めかねています。ロイのように決断力が無いもので」
「……以前のように、復職しない、とは断言しないのだな」
そう告げると、フェルディナントは苦笑して、悩んでいます――と言った。
「理想としては選挙を行い、新たな代表を選ぶのが筋だと思うのです。ですが、現在はそれを為すべき議会すら上手く機能していない状態……。議会は旧領主家に操作されているのと同じなので、まずは議会を一旦解散させなければならない。ですが、副宰相であるオスヴァルトにはその権限が無く、各省の長官にも無い。皇帝の権利も停止されている今、議会が自主解散するしかないのですが、旧領主家がそれを阻んでいます」
「お前が復職すれば一声で済む。私もお前が宰相としてもう一度復職するのが、この国の再生への一番の近道だと考えている」
「しかし私は旧領主家の人間です。1つの旧領主家がこの国を動かすことになる。そのことに危機感を抱いているのです」
だから悩んでいます――とフェルディナントは言って、再び庭に眼を遣った。フラウ・ルブランとミクラス夫人が楽しそうに話をしていた。
「……フェルディナントが言ったように、私は心を決めている。尤も決心したのは今回の事件があってからだ。それまではずっと悩んでいた」
「ヴァロワ卿……」
「停職期間が明けたら、私は軍に戻る。常備軍の話も引き受けるつもりだ。……だがその前に……」
その前にやることが二つある。
「その前に?」
フェルディナントは興味津々の態で問い返す。
「……フラウ・ルブランに交際を……、いや、結婚を申し込む。玉砕覚悟でな」
「彼女の様子から察しても、彼女もヴァロワ卿に気があると思います。きっと上手くいきますよ」
「そうだと良いがな。……彼女から見れば私は親ほどの年が離れている。そのことを考えると躊躇してしまうが……」
「20歳差もよく聞きます。ウールマン卿もそうですし、ハインツ家もそうですよ」
「だがそれよりも先に為すべきことがあるんだ」
フェルディナントは軽く眼を見張った。何をなさるつもりですか――と問い返す。
「……私はこの足では満足に動けない。今回の一件でよく解った。これでは誰も守れないし、隊を指揮するにしても誰も付いてこない」
この足では大切な人を守れない――。
そのことがよく解った。フラウ・ルブランを早く安全な場所に連れて行きたかったのに、それさえも出来なかった。どれだけ歯痒かったか――。
「そのようなことは無いでしょう。ヴァロワ卿のこれまでの功績で、命令に背くような軍人は居ないかと思います」
「私自身が納得いかないんだ。……だから、この右足とは別れようと思う」
この一件で、一番にそれを決意した。
足を切断しよう――。
義足にして、これまで通りに動けるようになろう――と。
「ヴァロワ卿……」
フェルディナントは驚きを隠せない様子で私を見つめた。
「明日がちょうど検診の日でな。その時に医師に申し出るつもりだ。以前から医師には義足を勧められていたのだが、なかなか決断出来なかった。だが、漸く思い切ることが出来た」
彼女を守りたい――その思いが、最終的に私を踏み切らせた。
フラウ・ルブランは此方に気付いて手を振る。手を挙げると、彼女は今度は微笑みを返してくれた。