「内臓の傷は良くなっていますよ。あとは骨が繋がるのを待つだけです」
退院してから三週間が経とうとするこの日、病院で診察を受けたところ、経過が良好であることを告げられた。はじめのうちは身体が思うように動かなかったが、最近はこれまで通りの生活を送っても支障が無いほど回復していた。
「足の方は如何ですか? 感覚は?」
医師は診察台に仰向けになるよう促しながら問いかけた。
「いや……。傷跡の少し上を触れれば触っているという感覚はあるが、それ以外は殆ど感覚が無い」
医師がゆっくりと右足を持ち上げる。感覚の有無を問う。だが医師が触れても、何も感じなかった。医師は暫く足の診察を行った。次第にその表情が厳しくなっていく。
「……これ以上の回復は無理だろうか」
「手術で繋いだ神経が上手く機能する可能性に賭けましたが……。足はおそらくこのままでしょう」
「そうか……」
先日、アンドリオティス長官とフェイ次官が改まって話をしたいということで、ロートリンゲン家に招かれた。フェルディナントとハインリヒもその場に居た。
アンドリオティス長官とフェイ次官が復職を要請するのだろうことは解っていた。これまでにも彼等は何度か私にそれを求めてきた。だがその都度、私はそれを断ってきた。
それはフェルディナントやハインリヒも同様で、この時も二人とも復職を固辞した。ところが、アンドリオティス長官達はさらに別の話をも持ちかけてきた。
国際会議常備軍を創設のうえ、ハインリヒや私がその司令官となることを――。
彼等が見せた書類には、国際会議の常備軍総司令官としてアンドリオティス長官の名が、そして司令官として、ハインリヒや私の名前が連なってあった。これには私だけでなくフェルディナントやハインリヒも驚いた。
『フェイ、このような話は聞いていないぞ……!』
『固辞されると思い、黙っていた。ロイにもヴァロワ大将にも必ず司令官の座に着いてもらいたい』
フェイ次官とハインリヒは軽い言い合いをはじめた傍らで、フェルディナントは趣旨を見返す。その様子から察しても、フェルディナントにとって納得のいくものだったのだろう。常備軍の話に関しては、フェルディナントは反対の意を示さなかった。
『ヴァロワ大将にもロートリンゲン大将にも是非、常備軍の人員に加わっていただきたいと私は考えています』
アンドリオティス長官が私を見て告げた。私はその場で辞退した。
『私は侵略を指揮した身。このような大役を引き受けることは出来ません。……それに今は満足に歩くことも出来ない状態。これでは指揮も執れません』
だが――。
フェルディナントが言っていた通り、この常備軍の話は今の帝国にとって断り切れる話でもない。私以外の誰かを一名推薦出来るよう、話が進めば良いが――。
「……閣下。ご不要かもしれませんが、義足のパンフレットをお渡ししておきます。このままでは鉛を下げて歩いているのと同じですし、御決断されるならば、お早い方が宜しいかと思いますので……」
医師が既に用意してあったパンフレットを手渡す。ざっと見ると、何種類もの義足が並んでいた。脱着の必要の無い、完全に足を繋げる類のものもあった。
「……念のため、もう一度聞いておきたいのだが、この足はもうこれ以上動かないのだな? 他の治療の余地は?」
「他の治療法が無い訳ではありません。アジア連邦でやはり閣下と同様に片足の機能を失った患者に対して、電子神経を埋め込み、歩行可能となった事例はありますが、完全に元通りという訳ではありません」
「では医師はその方法は勧めないということだな」
「はい。それよりは義足をお勧めします。運動機能は元に戻ります。今、片足で行動なさっていると腰に負担がかかってお辛いでしょうが、それも軽減……、人によっては無くなります。まだ閣下もお若い。杖や車椅子を使うよりも、思い切って切断なさった方が宜しいかと思います。切断の際にはひと月入院していただきますが、退院後には歩行に支障は無くなるかと」
確かに片足で動いてからは、腰痛に悩まされている。朝、眼が覚めても起き上がれないこともある。ひと月の入院は長いが、それで動けるようになるということか――。
「……解った。考えておこう」
「それから腕はあまりお使いにならないように」
「まだ固定していないと駄目か?」
「ええ。早く治すためにももう暫く動かさないで下さい」
右手をがっちりと固定されてから、診療室を出る。処方された薬を受け取り、病院を後にする。駐車場まで行き、車に乗り込む。
ああ、まただ――。
周囲を見渡す。不審な人物の影は無い。だが、明らかに今、視線を感じた。
最近、こういうことが多いが――。
誰だ?
フォン・シェリング大将派の人間か――。
誰かが私を見張っているのだろうか。
「お邪魔します、閣下」
夕刻のいつもの時間に呼び鈴が鳴り、その直後に扉が開く。よく通るこの声は彼女の声だった。
「仕事、お疲れ様。いつも済まないな」
フラウ・ルブランはにっこりと笑って、怪我の具合は如何でした――と問い掛けた。
「ああ、もう異常は無いと言われたよ」
「良かった。手の骨折は如何でした……?」
「其方ももう心配無いそうだ。君にも心配をかけた」
彼女はほっと安堵したように息を吐いた。手にしていたバスケットを私に手渡す。ありがとう――と言って受け取ると、温かいうちに食べて下さいね――と彼女は言った。
「それでは、失礼しますね」
「あ……。フラウ・ルブラン。明日、君の時間が空いていれば、また何処かに食事に行かないか?」
フラウ・ルブランは満面の笑みを浮かべ、はい、と応える。
私には、アントン中将が彼女を可愛がる気持がよく解る。笑った顔を見ると、此方まで笑みを誘われる。まるで幸せを分け与えるような笑みだった。
私などが食事に誘っても良いのかと思うが、彼女を見ているとそんなことも気にならなくなってしまう。