入院する当日の朝、彼女に会いに行くと、彼女は気を付けて行ってらして下さい――と笑みを浮かべて言った。カサル大佐に彼女の護衛を頼み、それから病院へと向かった。
到着するなり医師の診察を受け、検査を受けた。検査は明日の朝まで続くらしい。医師から義足も見せてもらった。自分の足と寸分代わり無いもので、その精巧さには本当に驚いた。
検査の合間に病室に入り、持ち込んだ本を読みながら過ごした。半分ほど読み進めたところで、扉が叩かれる。また検査か――と思い本を閉じたところ、現れたのはフェルディナントだった。
「失礼します。手術前でお忙しいかとは思ったのですが、ちょうど私も此方に寄ったので……」
「検査の連続だ。どうぞ、此方に来て座ってくれ」
フェルディナントに椅子を勧める。フェルディナントも検査のために病院を訪れたらしい。それが終わって、此方に来たとのことだった。
「結局、フラウ・ルブランには話さなかったのですか?」
「ああ。その方が余計な心配をかけないだろうと思ってな」
「ヴァロワ卿らしい。ヴァロワ卿が留守の間は、ロイがカサル大佐と共に護衛すると言っていましたから、安心なさって下さい」
「ハインリヒが……? 忙しいのではないか?」
「空いた時間に見回りに行くことは出来ると言っていましたから……。ですからヴァロワ卿は安心して手術を受けて下さい」
ありがとう――と礼を述べたところへ、看護師がやって来た。フェルディナントと別れ、検査室へと向かう。
そうしてこの日が過ぎていき、翌日も淡々と過ぎていった。
手術日当日の朝は医師の診察が相次いだ。その合間にフェルディナントとハインリヒが見舞いにやって来た。手術が終わるまで付き添ってくれると言う。その必要は無いと以前にも言ったのだが、二人は気遣って来てくれたようだった。
「ヴァロワ卿、フラウ・ルブランの許には何の異常もありませんから、安心なさって下さい」
昨晩も見回ってきました――とハインリヒが告げる。不審な人物の影も無いとのことだった。
それを聞いて、本当に安心した。
「ただカサル大佐に尋ねたようですよ。ヴァロワ卿が何処に行ったのか、と」
「……カサル大佐にも入院することは伝えていないが」
フェルディナントとハインリヒにしか、今回の入院のことは伝えていない。カサル大佐や軍の方にも暫く留守をするとだけ伝えていた。
「カサル大佐も遠出なさったということしか伝えていないそうです。……というか、彼もそれ以外は伝えられなかったそうで……」
「そうか……」
医師が入室する。麻酔を投与する時間となったのだろう。二人は待合室に控えていると告げて、部屋を後にした。
簡単な診察の後、医師の手によって麻酔薬が投与される。暫くしたら眠気が来る――という医師の言葉通り、時間と共に頭が茫としてきた。
寝て起きたら、私の右足は義足に変わる。
そして新たな一歩を踏み出すことになる――。
閣下、と呼び掛けられて眼を開けた。頭に靄がかかっているようで何も考えられない。手術が終わったのだな――ということは、漠然と解った。
ヴァロワ卿――と呼ぶフェルディナントとハインリヒが朧気に見えたが、意識が朦朧としていて、何も応えることが出来なかった。
その日は一日中うつらうつらと眠りにつき、夜中になって眼が覚めた。全身の感覚が鈍く、腕を動かすのも億劫だったが、そっと右足に触れてみた。
膝の少し上――いつもは其処に触れても何も感じない。だが、この時は――。
僅かにだが、触れているという感覚があった。
手術を終えたその週はベッドに横たわったままの生活だったが、一週間が経ってからは徐々に歩行の訓練を開始した。はじめは病室のなかを、それから廊下を歩く。初めて両足で立ち上がった時は微妙な違和感を覚えた。すぐに慣れると医師が言っていたように、初めの数日でそれに慣れた。
だが訓練開始当初は、歩くたびに右足の接合部が痛んだ。それに耐えて、十日後には何とか足を引きずることなく、両足で歩けるようになった。
「素晴らしい快復力ですね。閣下」
此処までの道程が随分早かったらしく、医師は私にそう言った。見舞いに来たフェルディナントやハインリヒも驚いていた。
私は出来るだけ早く退院したかった。
彼女に、会いたかった。
病院のフロアを歩くことが日課となり、二週間が経つ頃には階段をゆっくり昇降することが出来るようになった。それでもまだ支えが必要ではあったが――。
この日も階段を上り下りして、病室に戻ろうとした。フロアでは出来るだけ壁に手を触れないように心掛け、ゆっくりと二本の足のみで歩いて行く。
「閣下……」
フロアの半ばまで進んだ時、後方から呼び掛けられた。
その声の主が何故此処に居るのかと――、本当に私を呼んだのだろうかと思いながら振り返った。
「閣下……。何故、教えて下さらなかったのですか……?」
フラウ・ルブランが悲しそうな顔で立っていた。
何故、知れたのか――。
「フラウ・ルブラン……」
歩み寄ろうとすると途端に体勢を崩す。すぐに壁に手をついた。どうやら私はかなり動揺しているらしい。
「具合が悪かったのならそう仰って下されば良かった……。私が側に居ては迷惑ですか?」
「いや、違うんだ」
即座に否定すると、彼女は私を見つめ、では何故教えて下さらなかったのですか、と再び尋ねた。
「具合が悪くて入院した訳ではないんだ」
まずは誤解を解かなくてはならない。頭のなかを整理しながら、彼女にそう告げた。
「え……?」
驚いて尋ね返す彼女に一歩近付く。慎重に両足で歩いて行く。
「あ……」
フラウ・ルブランは私の歩き方に気付いたようで、足下を注視した。
「元通りに動くことの出来るように、右足を義足にしたんだ。君に言わなかったのは、無用の心配を避けるためだった」
「義足に……? どうして……」
「……どうしてもやりたいことがあったんだ。フラウ・ルブラン、このようなところで立ち話をするよりも病室に行こう」
看護師がちらちらと此方を見ていることに気付いて、彼女を病室に招いた。両足で歩いて行く。まだ歩き方は不自然で、たどたどしいものだった。
出来れば、彼女の前では確りと歩いていたかったのだが、意識すると余計に歩きづらくなる。