「レオン、テオ。クリスマスにはケーキを作ろうね」
   クリスマスを間近に控えたある日、祖母がそう言った。テオは嬉しそうにはしゃいだ。俺も元気よく頷いてみせた。そうしなければならなかった。祖父母を安心させるためにも――。
   祖父母は俺達の前では気丈に振る舞っていた。
   母は一人娘だったから、その死を悲しんでいない筈が無い。それなのに、祖父も祖母も俺達の前では一切の涙を見せなかった。だから俺も確りしなくてはならないと思った。

   クリスマス前日、祖母が買い物に出掛けている間、俺はテオと一緒に家で遊んでいた。祖父は工房に居て、いつも通り熱心に鉄を叩いていた。いつも元気なテオが、この日はさらに元気が良かった。今日がクリスマスイブで、サンタクロースがやって来るとテオはまだ信じていた。
「ねえねえ、サンタさんに何をお願いしたの?」
   テオは眼を輝かせてそう聞いて来た。
「僕は何も……」
   先週、祖母にサンタさんに何をお願いするのかと聞かれた。俺はこう応えた。サンタさんにお願いするような年じゃないよ――と。

   本当は、もし両親が生きていたら、自転車をプレゼントしてもらえる筈だった。今迄の小さな車輪ではなく、大きな車輪で、変速付きの自転車を。同年代の子供達が憧れる自転車があって、俺も例外無くそれを欲しいと思っていた。

   しかしそれを祖父母に言うことは出来なかった。普通の自転車に比べると高価なものであったから、言えなかった。

「僕ね、電車の玩具が欲しいってお願いしたの。部屋にずーっとレールを伸ばして遊ぶんだ!」
「電車……」
   その言葉を聞いただけで、あの光景を思い出す。ぞくりと背中に悪寒が走る。あれ以来、電車に乗ることもなかった。祖父母も俺のことを考えて、遠回りであってもいつもバスを利用してくれた。
「お兄ちゃん?」
「どうしても……欲しいの?」
「うん!だってこの間、テーマパークに行けなくて、新型の車両を見られなかったんだよ!」
「……そうか」
   テオは無邪気だった。何の悪気もない。それに幸いなことに、テオは両親の姿を見ていなかったようだった。あの姿を見ていたら、テオもパニックを起こしていただろう。あんな思いをするのは俺だけで充分だった。



「レオン、テオ。さあそろそろ寝なさい」
   9時になってもまだ遊び足りない様子のテオを見ながら、祖母は就寝を促した。俺はテオの手を引いて、二階に上がっていった。祖父母の家は古かったが広くて、部屋数も多かった。二階の奥に俺達の部屋があった。俺の部屋の隣がテオの部屋で、俺はいつもテオを部屋まで送っていく。
「サンタさん、お願い叶えてくれるかな?」
   テオは期待に胸を膨らませながら俺に問い掛けてきた。ベッドの上をぴょんぴょんと跳ね上がる。
「そんな風にはしゃいでいると、サンタさんが逃げていくよ」
   するとテオはぴたりと跳ねるのを止める。まだ小さいから、こういうところは単純だった。
「じゃあ静かにしてる!」
「今から15分で眠ったら、サンタさんがお願いを聞いてくれるかもね」
「ほんとに!?」
   テオはすぐさまベッドに横になって眼を閉じる。ブランケットをかけてやり、俺は部屋を出ようとした。

「お兄ちゃん」
「何?」
   振り返ると、テオは俺を見て言った。
「お父さんとお母さん、サンタさんと一緒に帰ってきてくれないかな……?」
   テオは死ということをまだ確り理解出来ていない。遠くに行ってしまったという感覚しか無いのだろう。
「……それは無理だよ……」
「何で?いつか帰ってきてくれるんでしょ?」
   帰って来る筈が無い、と言いかけて言葉を止めた。テオを悲しませたくなかった。いつか理解して貰えることとはいえ、せめて今日は。
「テオ。早く寝ないとサンタさんがお願い事を聞いてくれないぞ」

   俺はテオの質問を交わして、部屋を出た。
   悲しかった。両親に返ってきてほしいと願うのは俺も一緒で――、一日一日が過ぎるたび、両親が居ないことを、死んでしまったことを実感させられる。それが辛かった。



   あの事故からほぼ連日、俺は悪夢に魘されていた。大きな衝撃音と人々の声、息も出来ないほどの圧迫感。そして最後に見るのが、潰れた父の顔――。
   父のように潰れた顔が、いくつも俺の周りを取り巻く。
   何人も何人も――。

「レオン、レオン!」
   怖くて堪らなくて必死に逃げ回っている俺の手を、誰かが捕まえた。レオン、と呼び掛けながら。
   その時、眼が覚めた。
「レオン。大丈夫か?」
   祖父が俺の手を握っていた。俺もその手を確りと握り締めていた。
「あ……」
「随分魘されていたから起こしたぞ。怖い夢を見たのか?」
   祖父はベッドに腰掛けながら言った。俺はぜいぜいと荒い呼吸を繰り返していた。まるで全力疾走した後のように。
「大……丈夫。……ごめんね、起こして」
   知らず知らずのうちに、俺は祖父の手を握り締めていたようだった。その手を緩める。しかし逆に、祖父は俺の手を握ってくれた。
「……お前は強い子だ」
「お祖父さん……」
「だが辛い時は泣けば良い。まだ10年しか生きていない子供が、辛さに耐える振りをするのは痛ましいことだ……。あの事故は、大人でさえ耐えきれない恐ろしく悲しいもの。況してや子供のお前には深い傷となっている筈だ」
   俺の身体は俺の気付かないうちに、がたがたと震えていた。それを抑えようにも抑えられない。どうして良いか解らないでいると、祖父が俺を抱き締めてくれた。
「あ……」
「大声で泣いて楽になってしまえ。胸にため込んでいては悪い夢も消えやしない」



   この時俺は初めて――、あの事故から初めて、泣いた。葬儀の時にも泣けなかったのに、涙が止めどなく溢れ出てきて、胸が詰まって、祖父にしがみつきながら声を上げて泣いた。
   こんなに泣いたことは無かった。多分、それまでの悲しさや辛さが一気に溢れ出たのだろう。


[2009.12.21]