クリスマスに



   俺の両親は俺が10歳の時に、事故で亡くなった。
   もう13年前のことになる。電車の脱線という大事故だった。

   その日は両親の結婚記念日で、家族揃って郊外のテーマパークに行くことになっていた。その途中で、事故に遭遇した。
   事故のことは、よく憶えているようで、あまり憶えていない。大きな音と身体がふわっと浮かぶような感覚――その瞬間、俺とテオの向かい側に座っていた父が母と俺達を庇うように覆い被さってきた。
   そのあとはただ――、暗闇だった。
   俺とテオは両親の下に居た。テオの泣き声が聞こえて傍と我に返った。何が起こったのだろう。辺りを見回そうにも身体がまったく動かなかった。テオの泣き声が矢鱈大きく聞こえるのは、テオの顔が俺の隣にあるからだということは解った。テオ、と呼び掛けるとさらにテオは泣く。
「父さん、母さん……?」
   身体が動かないのは両親が覆い被さってるからだと解って、二人に呼び掛けた。二人からの返事は無かった。
「父さん、母さん?」
   もう一度呼び掛けてみた。それでも返事が無かった。何とか身体を動かしてみようとした。しかしずっしりと重くのし掛かっていて動かない。テオもまったく泣き止む気配が無かった。
   そしてそのテオの声の他に、うーうーと唸るような声が耳に届いた。助けてくれ、という声も聞こえた。
   俺達は事故に遭ったんだ――とその時漸く解った。父と母も怪我をして動けないに違いない、俺はその時、そう思っていた。

   どうにかしないと――。
   どうしたら良いのか、必死に考えた結果、助けてと何度も声を上げた。大きな声を出さなければ気付いてもらえないと思った。

   おそらく一時間ぐらいそうしていただろう。すぐ助けるぞ――と大人の声が聞こえて来てほっとした。暗闇に徐々に光が射し込んでくる。その時、自分の眼の前に父の着ていた服の色が映った。安堵した。どうやら父の胸の下に居たようだった。
「子供の声が此処から……」
   声がすぐ近くで聞こえる。助けて、と言った。がらがらと上から音が聞こえてくる。光がすうっとさらに大きく伸びてきたとき、父の身体がずるりと俺の上から放れた。

「父さん!」
   起き上がって呼び掛けた時、俺は声を失った。父の頭は潰れ、その形を半分失っていた。
   救助に来た大人達が何か言って、俺の眼を覆った。父の姿を見せまいとしてのことだろう。大人の大きな手に両眼を覆われて、俺はまた暗闇を見つめていた。
   それから後の記憶は暫く途絶えている――。



   父の無残な姿を目の当たりにして、俺はその後どうしていたのか、まるで憶えていない。
   レオンと呼び掛けられ顔を上げると、祖父母が側に居た。後から聞いた話だが、事故を聞きつけた祖父母が駆けつけるまでの間、俺は一点を見つめたまま茫然と立ち尽くしていたらしい。
   気付いた時には、祖母が隣に居た。祖母の隣に立つ祖父の腕のなかには、テオがいた。テオは擦り傷を負っていたものの、ほぼ無傷の状態で救出された。それは俺も同じだった。

   あの事故で、俺達が乗っていた車両が一番大きな被害を受けたらしく、生存者はたった5人だった。ほぼ満席だったことを考えれば、その被害の大きさが解る。死者87名、その大部分が俺達の乗っていた車両の乗客だったらしい。

   父は頭部挫傷による即死だった。母は俺達が救助された時、まだ微かに息があったらしい。しかし、救助中に息絶えた。俺とテオは救助員達によって一時避難所に移された。
   怪我の手当を受け、看護師達が俺に質問したようだが、俺はそのことを何ひとつ憶えていない。祖父母がすぐに駆けつけてくれたのは、迷子になった時のためにと、いつも持たされていた連絡カードを看護師が見つけたからだった。

   小さな鍛冶屋を営む祖父母は、母方の両親だった。娘の突然の悲報を受けて衝撃は大きかったことだろう。しかし悲しむ間すらなかったに違いない。まだ小さな、途方に暮れた俺達が居たために。
「レオン」
   聞き覚えのある声に顔を上げると、祖母が心配そうに見つめていた。大丈夫かい、と問い掛ける。
「怖い目にあったね。もう大丈夫だよ。お祖父さんとお祖母さんがいるからね」
   祖母が俺を抱き締めてくれた。うん――と返事をしたくとも、声が出なかった。ただ荒い息が口から出て来るだけだった。

   俺はその時、声を失っていた。声が出せなかった。喘ぐような声しか出ない。祖父母はすぐに俺を医師に診せた。だが、声はすぐには出て来なかった。喉に外傷も異常も無い。事故による心因的なもので、それから数日は声が出なかった。

   俺の声が出るようになったのは、両親の葬儀の最中だった。テオが葬儀中にも関わらず、何も知らないままはしゃいでいるのを見て、自分が確りしなくてはならない――と思った。その時から、ふっと喉の痞えがとれたかのように声が出るようになった。

   俺とテオは祖父母に引き取られることになった。祖父は厳しく頑固だったから、その頃の俺はあまり好きではなかった。家族で祖父母の家に遊びにいったときにテオと騒いでいると、五月蠅いといってこっぴどく叱られたこともある。

   その祖父が、両親が亡くなってから暫くの間は、俺達を叱ることもなかった。一度に両親を亡くして不憫に思ったのだろう。何も解らないテオは普段通りの生活を送っていた。俺は暫く学校を休んだ。
   それまで両親と住んでいた家と、これから住むことになる祖父母の家は少し遠かった。そのため、転校しなくてはならなかった。祖母が転校手続きをしてくれて、クリスマス休暇が明けてから復学することとなった。だからそれまでの間は、引っ越しとテオの世話に明け暮れる毎日だった。

   無邪気にはしゃぐことの出来るテオが少々羨ましかった。10歳という年齢は少しずつ物事が解ってくる時期でもあって、高齢の祖父母の許に二人も押しかけては生活が立ちゆかなくなるのではないか――と子供心ながら心配した。

   祖父母は何も心配しなくて良いと言ってくれた。しかし、鍛冶屋を営んでいるといっても祖父が趣味で営んでいるようなもので、祖父母はそれほど豊かな生活をしている訳ではなかった。それでも祖父母は俺達の前でそうしたことは一切口にしなかった。俺達に不自由もさせなかった。


[2009.12.20]