「現在、卿の邸宅にはトニトゥルス隊の隊員を警備に当たらせています。今のところ異常はありません。そして暫くは警備を続行したいとヴァロワ卿も仰っているのですが……」
「そうですね。私も利き手を負傷していますし、万一の時は手に余ります。警備の件は宜しくお願いします」
   ヘルダーリン卿は快く頷いて解りました――と言った。そしてぎっちりと固定され、其処から管まで伸びている俺の手を見て、暫く仕事は難しいようですね――と気遣わしげに告げる。
「明日には帰宅予定なので、明後日からは仕事に戻る予定ですよ。右手は使えませんが、それ以外は何も異常は無いので」
   するとヘルダーリン卿は眉根を寄せ、無理をしてはいけない――と言った。
「コールマン少将に仕事を任せ、休んで下さい。手術直後ではないですか」
「仕事が溜まっています。あまり長々と休むことも出来ませんし……」
「せめて一週間は休んで下さい。急を要する仕事はコールマン少将を使って邸宅に遣りますので……」
   今回はヘルダーリン卿の言葉に甘えることにした。一週間ならちょうどルディと同じ日に復帰することになるだろう。邸の警備のためにもその方が良い。
「それから……、ハーメル少将のことを卿は知っていたのですか?」
   ヘルダーリン卿は切り出すようにそう言った。コールマン少将やトニトゥルス隊のカール中佐から事件の詳細を聞いているのだろう。ええ、と応えると、そうでしたか、と何か察したように呟いた。
「ハーメル少将は私も何度か顔を合わせています。……というより、同じ仕事に携わったこともあります。確か入省当初は陸軍特務派に配属され、期待されていたのですが……」
「陸軍特務派ですか……? 入省当初というともしかして……、父が上官だったのですか……?」
   ヘルダーリン卿は少し眼を開いた。俺が知らなかったことが意外だったようだった。
「ええ。ただ、すぐに海軍部に転属となったのです。噂では元帥の機嫌を損ねたとのことですが……。ハーメル少将は確かに能力の高い男でしたが、自分の力を過信するところがありました。おそらくはそういう点で元帥と衝突したのでしょう」
   確かに――確かにハーメル少将はそういう男だった。組み手で俺が買った時、鋭い眼で俺を睨み付けたのをよく憶えている。試合後の握手で、下級生の癖に――と、俺だけに聞こえる声で言っていた。
「その後、海軍支部……ヴェネツィア支部に転属したのです。其処でも上官と争って……。その頃、私も彼と一緒に仕事をしたことがあるのですが、兎角、エリート肌の男でした。支部での上官も穏やかで良い方だったのに……。あ、上官という方も元々元帥の部隊に所属なさっていた方なのですが……」

   ヴェネツィア支部で上官、穏やかな人柄、父上の部隊に居た――。
   まさかそれは――。
「ヘルダーリン卿。まさかその上官とは支部長のザカ中将ですか……?」
「ええ。あ、ザカ中将のことも御存知ですか? 卿が配属された時には既に支部に居た筈ですが……」
   やはりザカ中将のことか。ハーメル少将はザカ中将の許にも居たのか――。
「ザカ中将には入省した頃から世話になったのです。准将に推薦して下さったのもザカ中将ですし……。しかしヘルダーリン卿がザカ中将を御存知とは思いませんでした」
   推薦人だったのですか――とヘルダーリン卿は驚いて問い返す。どうやらこのことはあまり知られていないようだった。
「私は何度か共に仕事をしたことがありますよ。アルジェ支部とヴェネツィア支部の合同演習もありましたし……。残念な事故でお亡くなりになりましたが、穏やかで誠実な良い方でした。そんな方でしたから、ハーメル少将と諍いを起こすとは余程のことがあったのだと思うのです」
「ハーメル少将はヴェネツィア支部の次はどちらに?」
「バルセロナ支部ですよ。……少将への昇級と同時に支部に異動、そして再び陸軍に配属変更となりました。確か……、ザカ中将がお亡くなりになってすぐのことだったと……」

   ザカ中将が亡くなってすぐに昇級した――?
   それも、フォン・シェリング大将と縁の深いバルセロナ支部に?
   まさか――。
   まさかハーメル少将はザカ中将の一件とも関係があるのか。
   ザカ中将の車に仕掛けられた爆弾は、フォン・シェリング派の誰かが施したものなのだと解っていても、当事者は誰なのか解らないままだった。父上は詮索するなと俺を制した。
   待て。頭を整理しなければ。
   ハーメル少将は当時ヴェネツィア支部所属で、ザカ中将と諍いを起こしていた。そのハーメル少将はフォン・シェリング派で――。
   否、偶然だ。偶然に違いない。
   ハーメル少将がザカ中将の車に爆弾を仕掛けたなど――。

「ロートリンゲン卿?」
「あ……いえ」
   その時、面会終了時間を告げる音楽が鳴った。ヘルダーリン卿は時計を見遣る。
「長々とすみませんでした。仕事のことは気に掛けずゆっくり休んで下さい」
「ありがとうございます。ご迷惑をおかけします」
「では」
   ヘルダーリン卿が去っていったあとも、胸の中に広がる衝撃が消え去らなかった。もう少し頭のなかを纏める必要があった。ハーメル少将のことをもっと知りたい。彼が果たしてあの時の実行犯だったのか――。
「ハインリヒ様」
   ミクラス夫人が部屋に戻ってくる。花を飾り、ゆっくり休んで下さいね――と言った。
「明日の朝、また参ります。無闇に動いてはなりませんよ」
「解ってる。ルディにも心配するなと言っておいてくれ」
「解りました」
   ミクラス夫人が去っていく。どうも気にかかって仕方が無かった。明日、少し調べてみるか――。



   翌朝、右手を診察して貰い、異常は無いとの診断を受けてから、邸に戻った。右手はがっちりと固定され、また首から吊り下げられることとなった。
「お帰り、ロイ。大丈夫か?」
   帰宅すると、ルディが玄関まで出迎えていた。ベッドから降りて大丈夫なのかと逆に問い掛けると、少しぐらいなら大丈夫だと微笑して応える。とはいえ、寝間着姿だから、ずっと横になっているのだろう。
「フェルディナント様! また発熱なさいますよ!」
   俺と共に帰宅したミクラス夫人がきつく咎める。少しぐらい大丈夫だ――と言い返すルディに、ミクラス夫人がさらに言い返す前、ルディを促した。
「部屋に行こう」
「ハインリヒ様も! 今日は一日ごゆっくりお休み下さい! 昨日、手術を終えたばかりなのですからね!」
   解った――と応えて、そのまま二階へと向かう。心なしかルディはゆっくりと階段を上っていた。やはりまだ体調が万全ではないのだろう。
   ルディは部屋に戻ると、ベッドに腰を下ろした。熱は下がったのにな、とぽつりと零す。
「早めに休んだから肺炎には至らなかったのだろう。来週には復帰出来るのだから良いではないか」
「この忙しい時期に一週間も休むのは避けたかった」
「俺もそうだ。まあ、この休暇中に英気を養って来週、執務に集中するしかないな」
   ルディにはハーメル少将のことは黙っていた。まだ不確定要素が多すぎる。俺自身でもう少し調べてから、どうするか考えよう――そう考えた。


   邸には24時間、トニトゥルス隊の隊員が警備に当たっていた。何度か彼等の許に行ったが、何も異常は無いという。翌日からコールマン少将には書類を持って来てもらった。俺の名で決裁しておかなければならない書類もあった。
「済まないな。邸まで足を運ばせて」
「いいえ。何でも仰って下さい。此方が書類です。この二件だけは明日が決裁となっています」
「ありがとう。すぐに決裁するから、待っていてくれ」
   書類と資料に眼を通し、左手で署名を施していく。多少、ぎこちない書体となってしまうが、これは仕方無い。二十分程でそれを終え、コールマン少将にそれを手渡す。ありがとうございます――と彼は言った。
「それから……、これは別件というより……、私個人の関心からなのだが」
「何でしょう?」
「明日、ハーメル少将の経歴書を持って来てくれないか?」
「ハーメル少将の経歴ですか……? 昨日、ヴァロワ大将閣下からも提出を求められ、今朝、お渡ししたのですが……」
「ヴァロワ卿が既に調べたのか……?」
「今回の一件の首謀を明らかにする、と仰っていました。トニトゥルス隊が処理しますので、ヴァロワ大将閣下御自身がお調べになるのは不自然ではないと思ったのですが……、問題があったでしょうか……?」
「あ、いや……。それはそうだが……。そうか……、もうヴァロワ卿の手に渡ったのか……」
「閣下……?」
「少し気になることがあってハーメル少将の経歴を見たいと思ったんだ。済まないが、頼めるか?」
「はい。解りました」
   その後、軍務局の様子を聞いて、それからコールマン少将は本部に戻っていった。明日の朝、ハーメル少将の経歴を持ってきてくれることになったが――。
   ヴァロワ卿が既にハーメル少将の経歴を見たとなると、ヴァロワ卿も何か気付いたかもしれない。ヴァロワ卿はどう対処するだろう――。


[2012.8.18]
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