「済まないが、出立を一時間遅らせてくれ。もう一ヶ所、視察をしたいところがある」
   市庁舎に到着し、市長と別れてから、宰相室に連絡をいれた。この視察のあとでアルジェ支部に向い、其処から国際会議の開催される新トルコ共和国に向かう予定だった。
「悪いことをしたな。そんなに予定が詰まっていると思わなかった」
「いや。私もその農村を見ておきたい」
   そして、エドガルと共にその村ヘと向かう。市庁舎から約三十分車を走らせると閑散とした村が見えた。エドガルは此処だと言った。
   その村に降り立つと、麦畑が見えた。よく実っているようではあるが――。
「此処は旧領主が直接支配していた場所だ。麦の実りが良くてな。直接支配の頃は奴隷のように働かされていたよ。そして直接支配が否定されてからはどうなったと思う?」
「土地を均等配分するよう調査員を現地に派遣したが……」
「ああ。それは良いんだ。そのおかげで彼等は土地所有者となれた。だがその土地に特別税と称して重税が課せられたことを知っているか?」
「土地に特別税を……?」
   初めて聞く話だった。一体どういう理由で特別税を課したのだろう。
「その特別税でむしろ暮らしが苦しくなった人間も居る。そのことを知ってもらいたかったんだ」
   エドガルが携帯電話を取り出す。この村の誰かを呼び出してくれたようだった。程なくしてエドガルと同じくらいの年齢の男性がやって来た。本当に宰相だ――と彼は驚いた顔で私とエドガルの顔を交互に見遣った。
「この村の長を務めております、アブ・アビディンと申します」
「突然、押しかけて申し訳ありません。宰相のフェルディナント・ルディ・ロートリンゲンと申します」
   挨拶を交わし合うと、彼はエドガルを見、本当に連れてきてくれたのだな――と言った。
「ちょうどチュニスを視察に来ていたんだ」
「チュニスを視察……? ではもしかして嘆願書を……」
「あの嘆願書は貴方だったのですか……?」
   話が繋がった――。
   一週間前、チュニスの苦しい現状を訴えた匿名の嘆願書が寄せられた。嘆願書は内務省宛であることが多いが、この嘆願書は財務省に寄せられたため、メイヤー卿が私に報せてくれたものだった。
「宰相が読んで下さったとは……! 市役所に嘆願しても握りつぶされるだけ、政府に投書しましたが、一か八かの賭けでした」
「そうでしたか……。エドガルが見て欲しいところがあると言ったので参りましたが、まさか嘆願書の差出人の方とは思いませんでした」
   アビディン村長は手に持っていた茶封筒の中から、書類を取り出し、この地における度を超した地税について話してくれた。その数字は帝都の三倍にあたり、彼が訴えるようにこれでは生活が立ちゆかなくなるのは眼に見えていた。
「そして税金を払えなくなった人間は土地を没収され、スラム街に行きます。没収した土地は元の旧領主が買収しているのです。私も所有していた畑の三分の一を売り払いました。この村に残った全員が所有していた土地のいくらかを既に売り払っているのです。なかには次の納税の時には土地を捨てると言っている者も居ます」
   旧領主が所有出来る土地の上限を定める必要があるのだろう。これはまた物議を醸しそうだ。
   それでも早急に手を打たねば――。


   エドガルや村長と別れて、アルジェの陸軍支部へと向かった。アルジェ支部はチュニスからも近く、飛行場を有しているため、今回は此処から出立することになっていた。アルジェ支部の入口に入ると、秘書官のヘルムートが待機していた。
「予定を変更したうえ、遅れてしまって済まない」
   もう離陸間際の時間となっていた。ヘルムートは一礼してお疲れさまですと労いの言葉をかけてくれた。
「先に乗員を乗り込ませました。急ぎましょう、閣下」
   アルジェ支部の支部員が気を利かせて、車で搭乗口まで連れて行ってくれた。何とか予定時刻に間に合うことが出来た。
   機内に乗り込み着席すると間も無く、離陸体勢に入る。此処に来るまでの車中で少し休んだが、流石に疲れが押し寄せていた。
「閣下。お休みになられますか?」
「そうだな。……一時間経ったら起こしてくれ。眼を通したい書類がある」
「……視察関係の書類でしたら御帰国なさってからでも遅くないでしょう。共和国に到着したら、大統領との会談が待ち受けておりますので、どうぞ移動中はお休み下さい」
「ありがとう」
   彼の気遣いに礼を述べ、それから眼を閉じた。
   国際会議の開催される共和国では、今、常備軍会議も開かれている。ロイやヴァロワ卿は一足早く共和国に入り、協議をしている。そして、国際会議の最終日には常備軍からの法案が提出される。レオンとも少し話が出来るだろうか――。
   そんなことを考えているうちに眠気が押し寄せてきた。






   第二部会議が終わり、三十分の休憩が設けられる。些か息が詰まったから、外の空気を吸ってくることにした。朝から立て続けに七時間に及ぶ会議では、集中力も途切れてしまう。
   傍らに控えていたコールマン少将の携帯電話が鳴る。失礼します、と側を離れたコールマン少将は程なくして戻って来て、閣下、と呼び掛けた。
「宰相閣下の搭乗なさった機体が今し方、アルジェ支部を離陸したとのことです」
「……予定より大分遅れていないか?」
   確か午後三時に発つと言っていた。もう午後四時を過ぎている。機体に何か不具合でもあったのだろうか。
「視察先に変更があったそうです」
   ということは、きっとルディは予定していた以上の場所を巡ったのだろう。絶対にそうだ。
「護衛を務めるトニトゥルス隊も振り回されているのだろうな。急に予定変更されると警備上の策を考え直さなくてはならないから……」
「カサル准将のことですから、きっとそのことも想定していたでしょう」
「ヴァロワ卿に知れたら叱られるだろうな」
「……ヴァロワ大将閣下はお厳しい方ですから」
   コールマン少将と苦笑し合う。以前にも視察で同じようなことがあった。ルディが急に視察先を変えた。それを知ったヴァロワ卿は、視察を終えたルディの許に乗り込んでいった。
   今、トニトゥルス隊は本来の所属先である軍務局に戻っており、総指揮は軍務司令官のヴァロワ卿が執っている。宰相であるルディの護衛はトニトゥルス隊が担っているから、ルディの行動はヴァロワ卿にも筒抜けになる。
   前回の視察での変更はまったく予定していなかった地域にルディが行ってしまったものだから、ヴァロワ卿が酷く怒ったらしい。ルディはルディで自由に動き回りたいものだから――。
『護衛は不要だと以前にも言ったでしょう! 問題があるなら、立場と名前を伏せていきます』
『以前と違い、メディアで大々的に映像が流れているのに、単独で視察に行く宰相が何処に居る!? 今はまだ帝国を再興させようと動く者達が多く、宰相の命は常に狙われているのだぞ』
『ならば護衛をつける代わりに、自由に動くことを容認してください。市側が決めた通りの場所にだけ足を運んでは、何も実情が見えて来ない。それでは視察の意味がありません』
『自分の眼で見たいという気持は理解出来ないでもない。だが、現状と立場を考えろ。もし視察の結果が思うように得られないのなら、後日、誰か他の担当者に任せれば良いことだ。予定外の地域まで動き回られると、万が一の時の対処が取れないのだからな』
   ルディを言い負かすことが出来るのはヴァロワ卿だけだった。尤もあの二人の口論となると壮絶で、側に近寄りたくないものだが――。

「叱りつけたくもなるというものだ」
   不意に背後から声が聞こえて振り返った。いつから其処に居たのか、ヴァロワ卿が書類を片手に立っていた。コールマン少将は慌てて敬礼する。
「市長を連れてスラム街に入ったらしい。其処で住民達に取り囲まれたと言う。そしてそのあと、郊外の農村にも行ったそうだ。一時間も離陸が遅れたのはそのためだと」
「……ご迷惑をおかけしました」
「警備のことは問題ないが、スラム街にゴミの山が連なっていて空気が悪かったそうだ。カサル准将は宰相の身を案じていた」
   ルディの身体は大気汚染に敏感に反応してしまう。すぐに肺炎に罹るから、大気の悪い場所には行くなといつも言っているのに――。
「しかしゴミを溜め込むことは禁じられているのに、何故山となるほど積もっていたのでしょうね」
   コールマン少将の言葉に、ヴァロワ卿は詳しくは聞いていないが――と前置いて言った。
「チュニス市は貧富の格差が極めて大きい。以前から宰相も気にかけていたが、なかなか手出しの出来なかった地域でもある」
   ヴァロワ卿はふと時計を見た。今日の会議は陸軍と海軍が分かれて会議を行っている。陸軍は次の会議がそろそろ始まるのかもしれない。
「では先に行く」
「はい。またのちほど」
   あと十五分ほど、時間が残っていた。ルディに電話をかけてみようかとも思ったが、おそらく機内で休んでいるだろう。息抜きを済ませてから会議室に戻ると、今度は第三会議が開催される
   その会議を終えると午後八時を過ぎていた。今日の予定はこれで全て終了した。持ち帰り議題が多く、帰国してからも会議が続きそうだ――。
「ホテルに戻ろう。コールマン少将」
   コールマン少将を促して会議場に程近いホテルへと向かう。打ち合わせのために部屋に行こうとしていたところ、ロビーに置かれていたテレビにルディの姿が映った。生中継のようだった。
「宰相閣下も到着なさったようですね」
「そうだな。今から大統領との会談だろう」
   ルディは大統領と握手を交わし合っていた。具合を案じたが、体調には問題がないように見える。少し安堵して、部屋へと移動した。


[2012.8.11]
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