時を刻む



   チュニス市は帝国の最南端に位置する。
   元々、新エジプト国領だったが、建国当初の領土拡大により帝国領となった土地だった。鉱石の採れる地でもあり、旧領主家もその利益を求め、支配を強めてきた。また、被支配地ということもあり、税金も高い。
「宰相閣下、このような南部にまで足をお運びいただき恐縮です」
   市庁舎に到着すると出迎えた市長が恭しく頭を下げる。先入観を持つのは禁物だが、この市長はフォン・シェリング家と些かの縁があると聞いている。夫人の遠縁にあたる企業の会長の親戚で、自身もフォン・シェリング大将と懇意にしていたらしい。フォン・シェリング家の力を借りて市長となり、このチェニスの資源を傘下企業に有利な形で流しているという噂も流れている。
   ヴァロワ卿が嘗て話してくれた。天然資源の豊かな地域の市長は大抵がフォン・シェリング家と繋がりがある――と。
「此方こそ忙しい中、時間を割いてもらって申し訳無い」
「閣下のお忙しさを思えば、大したことは御座いません。さあ、応接室にどうぞ」
   市庁舎は一昨年建て直したばかりらしく、外壁も中も綺麗なものだった。市長専用の応接室は最上階にある。其処で一時間ほど彼から世情について話を聞き、市内を視察してから、今度は国際会議の行われる新トルコ共和国へ赴くことになっている。

   宰相に復職してから為すべきことが山積していた。また、それに伴い、国内を移動する機会も増えた。ロイやミクラス夫人は常に私の身体を案じており、今回の日程については特にミクラス夫人が苦言を漏らした。移植を受けて一年も経っていないのに、このような激務ではまた身体を壊してしまう――と。
   だが私自身、どうしても自分の眼で見ておかなければならないことがある。国内における被支配地と本領土の税の格差は急いで取りかからなければならない課題であり、そのためにも今回は早期に視察をしておく必要があった。
「閣下。このチュニス市域においては何も問題ありません。民は常に平穏に暮らしており、治安も良好です」
   御覧下さい――と市長は横にあるモニターに市域の様子を映し出す。どうやら事前に撮影しておいたものらしい。賑やかな市街地の様子、国境警備隊の様子が映し出されてはいるが、私の知りたい一番肝心なことは何も触れられていなかった。
「この地は帝国領の被支配地として税率が他の地域より三割高い。そのことについて住民達の声を聞きたいのだが」
「畏れながら、不満の声は挙がっておりません。というのも、この地は鉱石が採取できることから、他の地域より経済的に有利な立場にあります。そのため、税率としては高いのですが、国民の生活に負担をもたらすようなことはありません」
   市長の言葉とは裏腹に、この地の住民から陳情書が提出された。先月末のことだった。税金が高く、日々の生活がままならない。そのうえ、この地域のみで課せられる特別税の負担も大きすぎる――と。
「この地域の特別税の使途についてお尋ねしたい」
「どうぞ。此方の書類をご覧下さい」
   私が特別税について言及するだろうことを予測していたのだろう。彼は昨年度の会計表を差し出した。それを一覧する限りでは主に市域の環境保全に私用したことになっている。
「細かいことを尋ねるが、この道路工事を受注した会社は?」
「ガウディ建設です。受注業者のリストは此方に」
   どうやらこの様子では早々に手を打っておいたようだ。視察することを伝えたのは今週に入ってからだが、おそらく私が宰相に復職する時に過去の事業について不審な点を整理しておいたのだろう。
「今は市の特別税について政府からは制限を設けていないが、今後はある一定率以上については制限を設けるつもりです。そのことについて、市長の意見を伺いたい」
「私は閣下の意見に賛同致します。政府の決定であれば、それに従いましょう」
「……私の意見に賛同いただけるというのなら、もうひとつお尋ねしたい」
「何でしょう?」
「先ほど、市長はこの地域の税は生活を逼迫するものでもないと仰った。だが、この地域において貧富の差が特に激しいことは既に報告を受けている。市長はそのことを御存知だろうか?」
「……スラム街があることは存じていますが、そうした地域には特に手厚い保護を施しております」
「これから其処を視察したい。案内してもらえるだろうか」
「閣下のような御方がお行きになる場所ではございません。町も醜く、住民達も凶暴です」
「市長はつい先ほど、このチュニスは治安が良いと仰ったではないか」
「スラム街は別です。あそこは悪の巣窟ともいえる場所です」
「では問おう。何故、スラム街が出来る? 悪の巣窟とまで言うのなら、もっと早く何故手を打たなかった?」
「それは……」
   市長は言い淀む。答えは簡単なのだが、それをこの私の前で告げることは出来ないのだろう。特別税や国税の負担が人々の生活を圧迫させ、財産も持たずその日暮らしも難しい状態に陥らせてしまったのだということを。
「資本主義に則れば、どうしても格差は生じてくる。だがその格差を是正しようとするのが公的機関の役割ではないだろうか?」
「お言葉ですが閣下、彼等は市役所の決定にも従わない、非国民ともいえる者達です。こちらが下出に出れば、要求をさらに引き上げてくるでしょう」
「彼等は何を要求していると?」
「生活の保護を。閣下が復職なさる前には彼等は反旗を掲げてこの市庁舎に乗り込んできたのです。野蛮で横暴な……」
   其処まで言って、市長は言葉を止めた。自らの失言に気付いたのだろう。
「暴動が起こったという報告は受けていないが?」
「いえ、あの、それは……。暴動までに至らず……」
   正式な報告には受けていないが、穏やかでない動きがあったことは聞き知っていた。オスヴァルトがそうした情報を全て集めてきてくれた。
「どうやら市長は政府に隠し事があるようだな」
「いえ、閣下。隠し事など……」
「町を視察したい。市域の様子をこの眼で見て、今後の判断に活かしたい。勿論、スラム街も含めてな。市長も御同行願えると良いが……」
   市長はこれ以上に無いほど気まずそうな顔をした。ソファから立ち上がると、市長も慌てて立ち上がる。応接室を出たところに今回の護衛役として付き添ってくれたカサル准将が控えていた。
「カサル准将。申し訳無いが、視察地域に変更がある」
   そう告げるとカサル准将は承知致しました――と応える。尤もこれは表向きのことで、当初からスラム街も視察することはカサル准将に伝えてあった。カサル准将は隊員達に指示を下す。私の傍らに立つ市長は色々と考えを巡らせているような顔をしていた。


[2012.8.10]
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