車は市街地を駆け抜けていく。立ち並ぶ店や往来する人の様子は、帝都のような華々しさはないが活況を呈していた。しかし、そうした市街地の大通りの裏側は、建物が朽ち、道路も荒れている。そればかりか、道の片側にはゴミが積もって何十メートルもの壁となって連なっていた。
「……市長。あのゴミは何だ?」
「スラム街の住民が積み重ねたものでしょう」
「この辺りの衛生環境の保全は行っていないのか?」
「いいえ。行ってもすぐにゴミを溜めてしまうのです」
   どうも市長の言葉が信じられなかった。ざっと見ても二十メートルはゴミが連なっている。これはこの地区の衛生管理事情が悪いからではないのか。
「車を停めてくれ」
「閣下。このような場所で……!」
   車が停車すると、カサル准将がまず降りる。それから此方のドアを開けてくれた。その時、カサル准将がそっと囁いた。
「空気が宜しくないので、お早めにお帰りを」
   確かにカサル准将の忠告通り、空気が埃っぽい。なるべく深く吸い込まないように注意しながら、少し通りを歩いた。その時だった。
   突然、朽ちた建物から現れた十数人の集団に辺りを囲まれた。カサル准将やトニトゥルス隊の隊員達がすぐに私の回りを取り囲んだ。
「お役人がこんなところに来るとは珍しいが……」
「おい、あれは市長じゃないか?」
   市長だ、という声があちらこちらから聞こえて来る。此処には最早彼等だけでなく、数十人にも渡る人々が集っていた。先程まで、ぽつりぽつりとしか住人の姿は見えなかったが――。
「市長が軍人を連れて、俺達を捕らえようというのか?」
   誰かが発した一言に、この場が殺気立つ。車にお戻り下さい、とカサル准将が囁いた。それを聞いて市長までもが私にそれを促す。
「カサル准将、道を開けてくれ。彼等と話がしたい」
「閣下……!」
   カサル准将が止せと言いたそうな顔をする。大丈夫だ――と笑みを応えると、困惑した表情になり、渋々ながら隊員を下がらせた。
「帝国宰相、フェルディナント・ルディ・ロートリンゲンです。少しお話を伺いたいのですが」
   周囲が一気にざわめきを帯びる。宰相だと――という言葉が飛び交う。
「お国の宰相様が何故、こんなところへ?」
   斜め前に立っていた中年の男が問い掛ける。
「この地域の貧富の差は眼に余るものがあると報告を受けています。その原因ならびに今後の対策について考えるために、視察しています」
「原因はあんたの隣の男だ。その男が市長となってから、特別税は跳ね上がり、俺は勤めていた工場を潰された」
「そうだそうだ。その前の市長も悪い奴だったが、今の市長はもっと悪い奴だ。自分の親族の企業にだけ利益を上げさせて、他の小さな会社を潰していったのだからな。何人が解雇されたと思っている?」
「それに宰相、あんたも旧領主層だろう。自分の家の利益を上げるために返り咲いたんじゃないか。皆、言っているさ。ロートリンゲンの天下だと」
   そうだそうだ――と賛同する声が大きかった。一旦、引き上げましょう――と市長が促す。だが説明もせず、此処から退散する訳にはいかなかった。
「所信表明演説でも話した通り、私は旧領主家の特権を排除することを誓いました。そして特権排除に向けて……、旧領主家の課税優遇は先月から撤廃しています」
「それでも被支配地の俺達より税金は低いだろう」
「被支配地の高税率については再来月を目途に撤廃する予定です。国税については税率を一律とし、それに伴い、地方特別税も税率の上限を定めます。今回の視察はそれに伴うものです」
「は! 甘い言葉で騙すつもりか? 所詮、あんたも旧領主層だ。上手いことを言って、自分達の逃げ道を作るだけのことさ。あんたが上に居る限り、この国は何も変わらないね」
   私が宰相である限りか――。
   確かに、そう受け取られても仕方が無い。私は皇帝の許で宰相だった人間なのだから。
「私がこの地位に居るのは一年限り。その後は選挙を行い、国民から選ばれた代表が議会で物事を取り決めるようになります。私はこれまでの政務の残務処理を行いつつ、選挙に向けての下準備を行っています。その点は御理解いただきたいのです」
   咳がこみ上げてくるのをぐっと堪える。どうやら此処は予想以上に空気が悪いのだろう。
「それから……、あのゴミは一体誰が管理を?」
「管理? 管理している奴など居るものか。ゴミを此処に置いていくのは市役所の指定業者だぞ」
   市役所の指定業者――?
   市長を見遣ると、誤解だ――と彼は狼狽えながら言った。
「此処のゴミがあまりに多くて回収出来なかったと聞いています」
「嘘を吐くな! 毎度毎度、処理が追いつかないゴミをこの地区に放置していくだろう。何度俺達が苦情を出した? このゴミの山で、具合が悪くなる子供も多い。市役所は手に終えないものを全部此処に持って来るからな」
   そうだそうだ――と声を揃える住民達に市長は明らかに狼狽えた。どうやら住民達の言葉が正しいようだ。
「市長。今週中に此処にあるゴミを全て撤去するよう、業者に申し渡して下さい」
「閣下……」
「きちんと撤去されたかどうか、監査員に調べさせます。良いですね」
「閣下……! 新環境法の下では処理能力に限界があるのです。とても全てを処理することは……」
「それは妙な話だ、市長。処理能力の限界に達するほどの人口ではないと思いますが」
「それは……」
   市長が言い淀む。大体は解った。処理場が足りないに違いない。表向きでは処理場と看板を掲げていても、中身は別の工場ということもある。おそらくは此処は鉱石関係の工場を造っているのだろう。鉱石関係の工場は新環境法において単位面積あたりの工場数が決められているから――。
「宰相さん。あんた本当に税金を軽くしてくれるのかい」
   いつのまにか私の前に進み出てきていた初老の男性が問い掛ける。彼は咳き込みながら私を見つめた。
「はい。国税は全国一律に。来月中には税制改革案を発表し、再来月に施行できるよう調整しています」
「出来るのかね? あんたに。税金のために持ち家も家族も無くした儂等の気持が解るのかね?」
   どうせ出来やしないさ――と声が聞こえてくる。口先だけ立派なことを言っているだけさ、来年になっても何も変わりはしない――。
   彼等はこの国に絶望しているのだろう。これまで搾取され続け、最低限の生活さえままならないのだから――。

「その宰相ならやってくれるぞ。口先だけの男じゃない。柔な男に見えるが、根性も座ってる」
   コルノーさん、と数人の男が振り返る。
   コルノー? この声は――。
「久しぶりだな」
   エドガル――。
   アクィナス刑務所で同じ階に居たエドガルに間違い無かった。
「エドガル……。何故此処に……」
「儂はチュニスの生まれなんだ。今は別のところに住んでいるが、偶に此処に来て彼等に仕事を回してる。いつも通り、仕事の紹介に来たら、人だかりが出来ているから何かと思ったら……」
   見知った顔を見たら気が緩んだのか、咳き込んでしまった。カサル准将が車に戻るよう促す。だがもう少し彼等と話がしたかった。
「大丈夫だ、治まった」
   カサル准将にもう少し待ってくれ――と告げて向き直ると、エドガルが住民達と話をしているところだった。
「ああ。信頼に足る人物だ。だからそんなに殺気立てずとも大丈夫だ。ほら、だから皆、もう解散だ」
   エドガルの言葉を聞いて、住民達が去っていく。あっさりと立ち去るその様を驚いて見つめていると、エドガルが振り返って言った。
「話せば解る奴等ばかりだ。政府や市役所には恨みを抱いているがね」
   エドガルはそう言ってちらりと市長を見遣る。市長は憤然とした態度で眼を逸らした。
「此処はあんたみたいな身体には辛い場所だろう。大丈夫か?」
「ああ。しかし驚いた。まさか此処で会えるとは……」
「閣下。此方の方は?」
   カサル准将が問い掛ける。アクィナス刑務所で知り合ったことを告げると、カサル准将は納得したようだった。しかしまた咳がこみ上げてきた。
「閣下。コルノー氏と共に一旦此処を退きましょう。御車に」
   車に乗り込んで暫くすると咳が治まる。隣に座っていたエドガルが、私を見て言った。
「移植を受けたと聞いたが、それでも体質は治らないんだな」
「だが格段に良くなった。それにエドガル、刑務所の中では本当に世話になった。礼が遅れたが、ありがとう」
「礼を言うべきはアランにだ。献身的に介抱していたからな。儂は正直なところ、もう駄目かと思ってた」
「皆のおかげでこうして今も生きている。エドガルにも本当に感謝しているよ」
「そう畏まらないでくれ。ところで、ちょうど良い。話したいことがあったから、アランを通じて伝えてもらおうかと思っていたところだ。少し見てもらいたい場所があるんだが……」
「見てもらいたい場所?」
「ああ。この市域ではあるが、鉱物資源の採れない農村部があってね。貧しい農村にもかかわらず、同じチュニス市だから税率は一緒、殆どの住人は生活の苦しさに耐えかねて、先ほどのようなスラム街にやって来る」
「解った。それは見ておかなければならないな」
「あの、閣下。私はこれから会議が入っているのですが……」
   市長がおずおずと告げる。同行したくないのだろう。強制的にそうさせることも出来るが、彼が居たからといって何か策を練られる訳でもない。
「では一度市庁舎に戻ってから、その地に向かおう」
   市長はほっと安堵した様子だった。
   だが今回のことでよく解ったが、諸悪の根源はやはり彼にある。出来ることなら地方選挙までは彼を留任させたいが、もし本庁の命令を執行しないようなら対策を講じなくてはならない。
   こうした問題はこの地だけではない筈だ。フォン・シェリング家の息のかかった市長は数え切れないほど存在するのだから――。


[2012.8.10]
Back>>2<<Next
Galleryへ戻る