辞令が下るのは着任の一週間前と決まっているが、それより先に知らせておきたい人物が居た。
   このヴェネツィア支部には将官が三名しかいない。中将である私、少将が二人で、准将は所属していない。二人の少将は半年前、配属となった将官であり、おまけにフォン・シェリング派に与している。前任の少将達とは良好な関係を築いていたが、彼等とはなかなか打ち解けることも出来なかった。二人とも此方を探っている節はあるし、私の知らないところで物事を取り決めてしまうこともある。二ヶ月前にもそのことで、二人を叱責したところだった。

   そんななかで、頼りになるのがベルトリーニ大佐だった。彼は、私が此処に配属となる前からこの支部に所属している。仕事も出来るし、来年には彼を准将に昇級させたいと考えていた。
「……閣下……。本当に異動なさるのですか……?」
「ああ。突然で申し訳無いが」
   今日、ベルトリーニ大佐を執務室に呼んで、異動の話をしたところ、ベルトリーニ大佐は驚きを隠せない様子でそう言った。
「新しい支部長はグラン中将と内定している。現在、本部に所属していて、私もよく知っている方だ。……あまり強く物を言う方ではないが、自ら率先して不正を行う方でもない」
「バレーラ中将やフライシャー中将まで居なくなったうえに、閣下まで……。それでなくとも最近、このヴェネツィア支部にフォン・シェリング大将の手が伸び始めているのに、今閣下が本部に行ってしまわれては……」
「その点を私も悩まなかった訳ではない。……だがベルトリーニ大佐、私はひとつ希望を持っているんだ」
「希望……ですか……?」
「今ならば、軍の体制を是正出来るのではないか……とな。自惚れているように聞こえるが、今の本部にはその条件が揃っている。軍本部を少しでも改革出来れば――、フォン・シェリング大将の力を抑えることが出来れば、支部の状況も変わってくる。……それに、ヴェネツィア支部がフォン・シェリング大将に掌握されてしまうのは時間の問題だ。彼の支援者が市長となったのだからな。此処で手を拱いているよりも……とも考えてのことだ」
「閣下……」
「私は軍務局司令課副官として本部に戻る。支部へも影響力を持てる立場となる。ヴェネツィア支部のことも其処で見守るつもりだ。何か生じたら報告を頼みたい」
「……解りました。ですが閣下、私個人としてはとても残念です。閣下の下で今後も働きたかった……」
「そう言ってもらえて嬉しいよ。ベルトリーニ大佐。海軍部も徐々に反フォン・シェリング派が増えつつある。尤も、上を恐れて表明はしていないがな」
   明らかに毛嫌いしているのはジャンぐらいだ――。
   取り入ることはせずとも、上手く立ち回れと何度注意したことか。ある意味、ジャンも大物だということだが。

「……ベルトリーニ大佐。もうひとつ君に頼みたいことがある」
「何でしょう? 私に出来ることなら何でも仰って下さい」
   私が本部に戻る話は、もうフォン・シェリング大将の耳にも届いている。私が元帥の元部下であることも、ジャンや少将と仲の良いことも知っているだろう。
   そんな私が軍務局司令課副官として戻ることを、彼が黙認するとも思えない。何か手立てを講じてくるかもしれない。その可能性を否定出来ない。
「……万一、私に何かあったら陸軍部軍務局のジャン・ヴァロワ中将に伝えてほしいことがあるんだ」
「閣下……?」
   万一のことは考えておかなければならない。今のところ、何も生じていないが、考えておくに越したことはない。
   本部に行くからには、それだけの覚悟を持たなければならない――。
「何があろうと、本部に留まるように――そう伝えてくれれば良い」
「閣下。万一などと、不吉なことを仰らないで下さい」
「済まんな。だが、今回の人事に関しては此方も覚悟しなければならないんだ」
「閣下……」
   おそらくフォン・シェリング大将は家族には手出しをして来ないだろう。家族に手を出しても事態は悪化するばかりだ。狙うとしたら、私の命だろう。私を本部から遠ざけることが不可能ならば消してしまおうと考える人間だ。だから此方が充分に気を付けなければならない。


   ベルトリーニ大佐が執務室を去って間もなくのことだった。机の上の電話が鳴った。外部からの電話だった。
「はい。ヴェネツィア支部ザカ中将です」
   応えると、受話器の奥から声が聞こえた。このヴェネツィア支部の隣、シラクーザ支部のドレシャー中将だった。親しくもない彼からの連絡とは一体何だろう。
   ドレシャー中将は私より十歳上で、中将としての職歴も長い。おまけにフォン・ビューロー中将と親しい。そのフォン・ビューロー中将は旧領主家の出身で、フォン・シェリング大将と親しい。次に大将に昇級するのは彼だという話もある。仕事能力は高くないが、旧領主家の出身だから、いずれは大将となることが決まっている。
   フォン・シェリング大将と同様、旧領主であることを鼻にかけるような人間だが――。
「は……? 南部に異動……?」
   ドレシャー中将の話にそれ以上の言葉が返せなかった。私に南部異動の話が持ち上がっているという。
   ニコシア支部への異動が――。
   ドレシャー中将は言った。

「この話は海軍長官も賛同していてね。君に本部転属の話があることは知っているが、君には是非ニコシア支部で活躍してほしいと……。その代わり、この話を飲んでくれたら、年内に大将の昇級試験を実施する用意があると」
   私を本部から遠ざけたいのだろう。
   昇級という餌をぶら下げて――。
「……すぐに返事は出来ません。いつまでに回答すれば良いですか?」
   私の心は決まっていた。だがこの場で断っては、この瞬間から彼を敵に回すことになる。今後敵が増えるのは仕方が無いが、それは此方の体勢を整えてからでなくては――。
「そうだな。再来週までに返事を」
「解りました。では」


[2011.11.2]
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