ドレシャー中将からの話だったが、背後に長官やフォン・シェリング大将が居る。
   やんわりと転属を求めてきたが、あれは強制と同じだ。断れば、何らかの報復がある。
「パパ。見て!」
   ウィリーが側にやって来て画用紙に描いた絵を掲げてくる。幼稚園の庭を描いたのだと嬉しそうに語り掛けてきた。
「上手くなったな。……この木は今迄で一番綺麗に描けたのではないか?」
「先生にも褒められたんだよ!」
   無邪気に語るウィリーを見ていると、不安にも駆られる。私が南部転属の話を断ることで、ウィリーやカレンに被害が及ばないだろうか、と。その可能性を一度は排除したのに、また考えてしまう。本当に大丈夫だろうか――と。
「……パパ。パパったら!」
「ああ、済まない。何だ?」
「ウィリー。そろそろ大好きな番組が始まるわよ」
   カレンの呼び掛けに、ウィリーはぱっと立ち上がる。カレンがテレビをつけると、後で遊んでねと私に言い残して、テレビの前に移動した。程なくしてアニメ番組が始まる。ウィリーがそれに熱中し始めると、カレンがダイニングから私の名を呼んだ。

「どうした? カレン」
   ダイニングに行くと、カレンが珈琲を淹れて待っていてくれた。自分の席に腰を下ろすと、カレンはカップをひとつ私の前に置いた。
「何があったの? ノーマン」
「カレン……」
「今日は帰ってきてからずっと考え込んでいるじゃない。……このところ、考え込むことが多いけど、今日は特に様子がおかしいから……」
「……ウィリーが寝てから話すつもりでいたよ」
「大丈夫よ。今は番組に夢中だから」
   カレンは徐に立ち上がってリビングを見遣り、そっと扉を閉めた。そして再び私の向かい側に座ってから尋ねて来た。
「転属のことで何か揉めているの……?」
「今日、シラクーザ支部のドレンシャー中将から連絡があった。フォン・シェリング大将派の一人だ。その彼が、私に南部にあるニコシア支部への転属を持ちかけてきた」
「ニコシア支部……? どうしてまたそんなところへ……?」
「ああ。本部転属の話を断り、その話を受けるようにとな。だがニコシア支部へ異動すれば、年内に大将の昇級試験を受ける機会を与える、と」
   カレンは暫く黙って私を見つめていた。こんな風にあからさまに軍上層部にかき回されたことはなかったから、驚いているのだろう。
「カレン。私はもう結論を出しているんだ。……私は南部に行くつもりは無い。予定通り、本部転属を希望する。……だがそう決めることで、カレンやウィリーを危険な目に遭わせてしまうかもしれない。フォン・シェリング大将達の勢力にどう対処すれば良いか、それを考えていたんだ」
   カレンは黙ったままカップを持ち上げて、珈琲を飲んだ。コトリと音を立ててカップを置くと、当たり前よ――と声を落としながらも強い口調で言った。
「ドレンシャー中将の指示に従うことないわよ。貴方が本部配属となると何か不都合なことがあるから、フォン・シェリング大将が仕組んだことでしょう。昇級を持ちかけてくるなんて、汚いやり方ね」
「断れば、フォン・シェリング大将を完全に敵に回すことになる。私はそのことを案じているんだ。もしかしたらカレンやウィリーに危険なことが……」
「元から好かれてはいないでしょう? 貴方はロートリンゲン元帥閣下の部下だったのだし……。それにフォン・シェリング大将も周囲の目があるから、馬鹿な行為には及ばないでしょう」
「だと良いが……。不安が残るんだ」
「ウィリーと私のことなら大丈夫よ。ウィリーは絶対に一人では外出させないし、私も何かあったからすぐに貴方に連絡するわ。だからニコシア支部の話は清々と断って良いわよ」
   清々というカレンの表現が面白くて、真剣な話なのについ笑みが漏れてしまった。
「ありがとう、カレン。……それとあとひとつ。今回の昇級の話を断ったら、もしかしたらもう二度と昇級は出来ないかもしれない。それでも構わないか?」
「今のままの中将で充分よ。大将となると気苦労も多いでしょう?」
   カレンはさらりと言ってのける。
   話し終えると、少し気が楽になった。
   ただし――。
   二人の安全のことは今後のことも含めて考えておかなければならない。帝都の家に警備を備えるといっても限界がある。やはり此処は事情を話して、元帥の力を借りるべきか。元帥が背後に居るとなれば、フォン・シェリング大将も容易く手出しは出来まい。
   だが、今、私が元帥と接触するのは避けたほうが良い。おそらく、フォン・シェリング大将は逐一、帝都での私の行動を見張っているだろう。彼の眼を少しでも逸らすためにも、着任してからのほうが良い。
「……来週、ドレンシャー中将の許に行ってくる。すぐ断るとまた色々提示されそうだからな」
「あ、そうそう。今日、帝都の不動産屋さんから連絡が入ったの。月末にでも正式に契約をって。来週のそれが終わってからで良いから、帝都に行く日を確保してね」
「解った。そうだな。もうそろそろ引っ越す日も決めなくてはな」





   いつもと変わらない、しかし少し緊張感を持った日々が過ぎていった。
「パパ。今日、早く帰って来る?」
   今日はニコシア支部異動の話を断るために、ドレシャー中将のシラクーザ支部に行かなくてはならない日だった。そのことを知らないウィリーは出掛ける前に私を見上げて問い掛けた。
「今日は少し遅くなるかな。ウィリーが寝る少し前に帰ってくるよ」
   ウィリーは残念そうな顔をする。仕事とはいえ、こういう顔をされると少し胸が痛む。
「明日はいつも通りの時間に帰って来る。……そうだ。明後日は休みだから、その時公園に行こう」
「本当?」
「ああ。約束する」
   帰宅の早い時は近所の公園で一時間ほど遊びに連れて行く。ウィリーはそれを楽しみに待っていた。このところ、私が慌ただしく遊んでやることが出来なかった。
「ウィリー、幼稚園のお迎えが来るわよ」
   はあいとウィリーは応えて、駆け出す。部屋を出る前に私を振り返って、約束だよ、と念を押した。
「ああ。約束する」
   そう返すと、ウィリーは嬉しそうな表情で行って来ます、と言って玄関に向かった。
   私もあと少しで出掛けなければならない。カップに残っていた珈琲を飲み干し、読み終えた新聞を畳む。そうして立ち上がったところへ、ウィリーの見送りを終えたカレンが戻って来た。
「今日、シラクーザ支部に行く日でしょう?」
「ああ。3時までに通常業務を終わらせて、それから支部に行く。異動を断ったら早々に辞するつもりだ。だがもしかしたら少し遅くなるかもしれない」
   上着を手に取って、袖を通す。出掛ける時刻が迫っていた。
「解ったわ。気を付けて行ってらっしゃい」
「カレンも何かあれば連絡を」
   いつも通りカレンの頬に軽く口付けて、自宅を後にする。さり気なく自宅の周囲を見回したが、何も異常はなかった。そして、私自身をつけ回す影も無い。


「この案件は君が取りまとめてくれ。それとこの書類は本部の担当者に送付を」
   副官の少将に書類を頼むと、彼ははい、と答えて書類を受け取った。
「これから私は所用でシラクーザ支部に行ってくる。何かあれば携帯に連絡を」
「了解しました」
   副官が去ってから、車の鍵を持って席を立つ。支部の地下に公用車がある。そちらに向かう途中でベルトリーニ大佐と出会った。
「閣下。お出掛けですか?」
「ああ。少し厄介なことがあってね。ベルトリーニ大佐、何かあったら連絡を頼む」
「解りました。……お一人でお出掛けですか? 運転しますよ?」
「申し出はありがたいが、異動に絡む件だ。一人で行くよ」
「異動……のことですか……? では本部へ?」
「いや、シラクーザ支部に。ドレシャー中将に呼ばれてしまってね」
「……何だか本当に厄介そうですね」
「ああ、まあな。今回きりだと思いたいが……」
   ベルトリーニ大佐は敬礼をして私を見送った。階段を下り、地下に到着すると、一番奥の車に向かう。自動運転モードで車のエンジンをかけて、目的地をシラクーザ支部に設定する。シラクーザ支部まで此処から二時間かかる。その間、明日本部に提出予定の書類に眼を通しておくことにした。
   本部から送られてきたこの書類は、少将の手によるもので、要点や資料がきちんと纏められている。一度教えただけで仕事術を完璧に覚えるのだから、将来が楽しみだ。
   本部で共に仕事を担うようになったら、余計にそう感じるだろう。
   何よりも、私が直属の上官となることに驚くのではないだろうか――。
   書類を読み終わり、封筒に収める。時計を見ると午後四時を過ぎたところだった。あと三十分程で到着するだろう。
   車窓に視線を映す。大きな公園が見えた。明後日はウィリーを連れて少し遠出しようか――そんなことを考えていた。
   カチリ、と何か物音が聞こえた。車の不具合だろうか。強制的にブレーキをかけようとしたとき――。
   轟音と共に光が飛び出して来た。
「な……」


【End】


[2011.11.3]
Back>>5<<End
Galleryへ戻る