「ザカ中将!」
   約束していた場所までもう間もなくというところで、ジャンの姿が見えた。此方に気付いて、軽く手を挙げる。
「済まないな。折角の休日に呼び出して」
「いいえ。ザカ中将こそ、休日に此方に来るとは珍しいですね。御家族と一緒ですか?」
「ああ。昨日から帝都に来ているんだ」
   ジャンを促して、馴染みのある店に向かう。予約しておいた個室に入り、料理とワインを注文してからジャンに本部の様子を尋ねた。
「相変わらずですよ。フォン・シェリング大将が我が物顔で仕切っていますから。先日も会議で口論になりました」
「きっとフォン・シェリング大将も苛立っているのだろうな」
「ええ。彼にとっての眼の上の瘤が次第に大きくなっていますからね」
「ということは、やはり来年には中将に昇格出来そうなのか?」
「おそらく。ハインリヒの仕事能力は高いですよ。あの様子だと最短で大将まで上り詰めるでしょう」
「それを聞いて少し安心した」
「ハインリヒもザカ中将と会いたがっていましたよ。副官付となってからはなかなか忙しいようですから」
   副官付――。
   ああ、そうか――。
   うっかり忘れていたが、彼は副官付に昇格していたのだった。
   ということは――。

   あることに思い至って苦笑した。何故、今迄気付かなかったのだろう。こんな単純なことに。
「ザカ中将?」
「ジャン。実は急な話なのだが、私は軍本部に戻ることになった」
   私がそう切り出すと、ジャンは驚いて私を見つめて本当ですか――と尋ね返した。それに頷き応え、軍務局に戻ることを告げると、ジャンは言った。
「では今後一緒に仕事をする機会が……」
「ああ。増えるだろう。少将ともな」
   私は軍務局司令課副官となることが決まっている。立場としては、ジャンと同じ立場となる。ジャンは陸軍軍務局司令課副官、私が海軍のそれ――そして、少将は私の直属の部下となる。
   私自身、つい先程気付いたことだった。ジャンには伝えておいても良いことだが、このことは本部に行った時、驚かすために黙っておこう――。
「それにしても驚きました」
「実は本部転属の話はこれまでにも何度かあったんだが、そのたびに断っていた。ヴェネツィア支部長も楽ではないが、ヴェネツィアの風土が好きでね。子供を育てるにも長閑なあの町が良かったのだが……。このたびはアントン中将に説得されてね」
   ナポリでのアントン中将との会話を話した。
   あの時、アントン中将と出会わなければ、私は今回の本部転属の話も断っていただろう。私が本部から離れた理由を一番知っているのはジャンだった。本部勤務だった当時、自宅に帰る時間すら削って働いた。書類を家に持ち帰ることも多く、結婚したばかりでそのような状態に陥っていたので、カレンと喧嘩になることもあった。ウィリーが誕生してからも超過勤務状態が続いており、悩んだ挙げ句、転属願いを出すに至った。その時、ジャンには相談に乗ってもらった。
   ジャンだけが知っていた。私が家庭のことを一番大事にしたい理由を。
『私としては残念ですが、この激務が減るとも思えません。ですから、ザカ准将の決断、間違っていないと思いますよ』
   元帥からも同僚からも引き止められるなか、ジャンだけが私のことを理解してくれた。
『偶には本部に顔を出して下さい。それにウィリーが大きくなったら、また本部に戻って来て下さい』
   あの時の言葉はどれだけ私を勇気づけただろう。背中を押してもらい、元帥に期待を裏切ったことに対して丁重に謝罪してから、ヴェネツィア支部に移った。
「では本部に戻られるのを楽しみに待っています」
「ああ。またこれから宜しく頼む」


   ジャンと別れてから、カレンとウィリーの待つホテルに戻った。部屋に入ると、お帰りなさい――と出迎えてくれる。ウィリーはもう就寝時間が近いので、寝間着姿だった。
「ジャン、驚いていたでしょう?」
「ああ。それに私自身も失念していたことがあって驚いた」
「あら。何を?」
「私は軍務局司令課副官として戻ることになっている。……ということは、陸軍で司令課副官を務めるジャンとまったく同じ立場となる。そしてもう一点、少将が直属の部下となるということだ」
「少将って……、あのロートリンゲン元帥閣下の御子息の?」
「ああ。彼の現在の職は海軍軍務局司令課副官付だ。私も先刻気付いた」
「ジャンってパパのお友達……?」
   カレンと話している側から、ウィリーが問う。ああ、と応えると、カレンが言った。
「ウィリーも会ったことがあるのよ。まだ赤ちゃんだった頃にね」
「それに此方に越して来たら、また会える」
「どんな人? 僕と同じぐらいの子供居る?」
「残念だが、ジャンは結婚していないんだ。だから子供も居ない」
   身を乗り出すようにして問い掛けたウィリーにこう応えた瞬間、ウィリーは残念そうな表情をした。子供とは面白いもので、感情がそのまま表に出る。
「さあ、ウィリー。貴方はもう寝る時間よ」
   カレンに促され、ウィリーはお休みなさいと言って、寝室に向かった。
   窓辺に移動し、帝都の夜を見渡す。こんな風に帝都を眺めるのも久しいことだった。夜とはいえ、帝都はまだ眠りについていない。道は行き交う人が多く、ビルにも灯りが点されている。此処から僅かに見える宮殿も同様に、灯りが満ちている。

   五年前は酷く苦労した。本部で正しいことを為そうとすると、必ず邪魔が入る。それらに気を取られていると仕事が進まない。彼等を切り捨てることも出来ず、また上官達からの圧力もかけられた。何度となく、行く手を阻まれ、中断を余儀なくされた。
   これからもそうしたことは起こるだろう。

「ウィリーったらベッドに入ったらすぐ眠ったわ。きっとはしゃぎすぎて疲れたのね」
   カレンは奥の寝室から此方に来ると、何か飲む――?と問い掛けた。
「いや。ジャンと飲んできたから今日は止めておくよ」
   そう応えると、カレンは側のソファに腰掛けた。久々の帝都ね――と、夜景を見つめる。
「今日、帝都を歩いてみて感じたのだけど、五年前と変わらないわね」
「そうだな……。何も変わっていないな」
   きっと今後も苦労するだろう。上層部の分厚い壁はなかなか突破出来まい。自分の意見を変えざるを得ないこともあるだろう。
   だが――。
「……カレン。私は期待しているんだ。もしかしたら軍が少しずつ変わるかもしれない――と」
   ロートリンゲン家の若い後輩達が、何かを成し遂げてくれるような漠然とした予感がある。その彼等のために、そして今後の軍を担う後輩達のために、ジャンや私に出来ることがある。
「ノーマン」
   カレンが背後から腕を回してきた。
「頑張ってね。私やウィリーは必ず貴方の側に居るから」
   私には守るべきものがある。そして、私自身もカレンやウィリーが心の支えとなっている。
「ありがとう。カレン」
   手を重ね、それをそっと解いてから、帝都の夜景を背景に抱き締めた。


[2011.10.23]
Back>>3<<Next
Galleryへ戻る