「……パパ、パパったら!」
   ウィリーの声で傍と我に返った。ソファに座っている私を、ウィリーが半分怒ったような顔で、見上げていた。
「ああ、済まない。何だ?」
「あのね、来週、ジュニアスクールの見学会があるんだけど、一緒に行ってくれる?」
   ウィリーはあと数ヶ月で、ジュニアスクールに入学する。見学会のことはカレンからも聞いていた。確か土曜日に開催されると言っていたか。幸い、来週の土曜日の予定は何も入っていない。
「来週の土曜日だったな? 空いているから大丈夫だぞ」
   自宅からそれほど遠くないところにジュニアスクールはある。ウィリーは其処に通う予定だった。
   ああ、だが――。


   今日、人事から連絡が入った。希望するならば、本部軍務局司令課副官のポストがある――と。
   突然の電話連絡に驚いた。だがすぐに思い当たった。アントン中将と元帥が動いたのだと。
   これまでにも何度か本部への異動の話はあった。私は常にそれを断り続けて来た。だが今回は、即座に断ることが出来なかった。私自身、揺れ動いていた。
   本部の風向きが、これまでとは変わってきている。嘗ては元帥が居ても、海軍部にはフォン・シェリング大将の一派が蔓延っていたから、意見を握り潰されることも多かった。しかしその流れを、少将――元帥の次男が懸命に変えようとしている。有望な彼の後押しをしてやりたい。本部に居れば、彼をサポートすることが出来る。そしてそれは、軍を変えるきっかけともなる。
   だがもし軍務局に戻るとなれば――、ヴェネツィアの自宅から帝都に引っ越さなければならない。ウィリーのジュニアスクールも帝都で見つけなくてはならない。
   月末までに本部に回答しなくてはならないが――。


「ノーマン。どうしたの?」
   ウィリーを寝かしつけたカレンが、気遣わしげに私の側にやって来た。隣に腰掛けて、何かあったの――と問い掛けてきた。
「……今日、人事から連絡があったんだ。希望するなら、本部軍務局にポストがある――と」
   突然、このようなことを切り出したら、カレンは驚いてしまうだろう――そう思っていたのに、カレンはさして驚きもせず言った。
「どうするの?」
「正直なところ、悩んでいる。忙しい本部から離れ、家族三人落ち着いた生活を送るため、このヴェネツィアを選んだ。だが……、本部のことが全く気にかからないといったら嘘になる」
「ヴェネツィアに来て五年。本部に居た頃とは違って、のんびり出来たものね。週末は必ずウィリーの面倒を見てくれるし、休暇になると何処かに連れて行ってくれるし……」
   カレンは本部に行くことを反対するだろうと覚悟していた。私も静かな生活を望んだが、カレンもそれを望んでいたのだから。
「……でも何となく予感はあったわ。ノーマンはいつか本部に戻るだろうなって」
「カレン……」
「ヴェネツィアへの異動が決まった時、元帥閣下は貴方を必死に引き止めようとしたし、この間アントン中将閣下と会った時も、きっとそのことを説得されたのでしょう? あの時から、もしかしたらそろそろ……とは考えていたわ」
「……参ったな。カレンの推察通りだ」
「本部に戻らないでとは言わないわ、ノーマン。仕方の無いことだと解ってる。こうして五年間、のんびり過ごせただけでも贅沢なことよ。未だ帝都にいるジャンのことを考えるとね」
   カレンはそう言って笑う。そして、貴方の希望を選んで――と、言った。
   カレンは気付いている。私がどうしたいのか。また、それを選んで良いのかどうか逡巡していることも。
   膝の上にあるカレンの白い手をそっと握った。
「良いのか……? また仕事ばかりで家庭を顧みない毎日となるぞ」
「まったく休日が取れない訳でもないでしょう? ウィリーも学校にあがるまで大きくなったから大丈夫よ。それに、休日には思いきり家庭サービスをさせるから覚悟しておいてね」
   ヴェネツィア支部か本部か――揺れ動いていた私の心に、ひとつの区切りが出来た。
   本部に戻ろう――。
   今、自分に出来ることを務めよう――そう決意した。



「ええ!? お引っ越しするの!?」
   本部に軍務局に異動したい旨を伝え、副官にも異動することを伝えてから、ウィリーに帝都に引っ越すことを話した。ウィリーはどうして、と問い返した。
「軍務省の本部で仕事をすることになったんだ。ウィリー、月末に帝都まで家を探しに行こう」
「僕の学校は!? ジュニアスクール行けないの!?」
「帝都の引っ越し先の近くでジュニアスクールを探そう。大丈夫、必ず良い学校があるから……」
「お友達とお別れするの……?」
「……ごめんな」
   がっくりと肩を落とすウィリーに謝ると、側からカレンが言った。
「大丈夫よ。またヴェネツィアに遊びに来ましょう。それに帝都に行ったら、新しいお友達も出来るわよ」
   カレンにはまるで頭が上がらなくなってしまった。明るく、愚痴ひとつ零さず、帝都行きを飲んでくれた。ウィリーの学校の入学も今年だから、ちょうど区切りが良いわよ――そう言ってくれた。
「そういえば、ジャンには知らせたの?」
「いや、忙しいようでなかなか連絡が取れないんだ。帝都に行った時、会って話もしたいのだがな」
「あらあら。ジャンも相変わらずなのね」
「あと……、着任する前には元帥の許にも挨拶に行っておかないとな」


   通常業務に加えて、異動の事務処理等で一日一日が過ぎていき、あっという間に月末がやって来た。帝都には二日間滞在することにし、この二日間で住居も決めてしまうことにした。ジャンとも連絡が取れ、日曜日に会うことになった。


[2011.10.17]
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