週末に催された晩餐会は、まるで19世紀の絵画の中が再現されたかのようだった。
   贅の限りを尽くしている――と言っても過言ではないだろう。謁見の間よりも広い部屋に、天井から下がるシャンデリアも壁に懸かっている燭台も、各所においてある花瓶も博物館や美術館でしか見たことのない一級品のようで、自分が此処に立っていることが場違いではないかと思わざるを得ない。
   そして同時に、これが帝国の本質なのだと感じた。一部の人間が利益を独占し、政治や経済も恣にする。彼等が作り上げるネットワークは、彼等の傘下にある企業で働く人々を土台にし、ヒエラルキーを持ちながら、横にも幅を利かせていく。
   それでも人々に、それに見合った利益が回るうちは良い。なかには出資本体である旧領主家への上納金が大きな負担となって、利益を得られない企業もある。
   おまけについ数年前までは、旧領主家の領地に起業したり居住したりするだけで、旧領主家に国税以外の税を支払わねばならなかった。宰相がそれを撤廃させたことは、この国において大きな進歩となるとも言えるだろう。
   だがそれでも――、この状況を見ると思わずにいられない。
   この国はあと何年持つのだろうか――と。

「ヴァロワ卿、浮かない顔ですよ」
   横にいたハインリヒが苦笑混じりに告げる。ロートリンゲン家の当主という立場から、ハインリヒもこの晩餐会に参加していた。軍服を纏い、旧領主家の証ともいえる縁飾りのついたマントを羽織っている。胸元にはロートリンゲン家の紋章があり、いつも纏っている軍服ではないことは一目で解る。そして何よりも、こうした場に慣れていた。卒無く動き、挨拶を交わしていく。
「いや、少し気後れしてしまっただけだ」
「そのうち慣れますよ。私も初めてこういう場に出た時は、気疲れしてしまったものです」
   するとその側に居た宰相が笑って、声を潜めながら言った。
「表面だけ取り繕っていれば良いのですよ、ヴァロワ卿」
「……意外に大胆なことを言うな」
「此処にある全てが表面的なものです。哲学的な中身があるわけではないのですから」
   涼しい顔でさらりと辛辣なことを言う。それから時計を見遣り、少し失礼します――と言った。
「陛下がお越しになる時間なので、先に挨拶してきます」
   宰相は軍服こそ着ていないものの、礼服に身を包ませていた。その胸元にはロートリンゲン家の紋章を象った装飾品がある。そして、誰にぶつかる訳でもなく、人々のなかを颯爽と抜けていく。何人かが彼に声をかけ、その度に立ち止まって挨拶をしているようだった。
「お前は良いのか?」
   いつも宰相ばかりが目立ってしまうが、ハインリヒもロートリンゲン家の当主だ。当主として挨拶回りがあるのだろうと思い、そう声をかけたら――。
「近くに寄った時で良いですよ。私もそう熱心な方ではありませんし」
「親子揃って似たようなことを言う」
   不意に背後からそう告げられて振り返った。ハインリヒは、苦笑混じりに笑った。
「似たような性格なのでしょう。ですが父上ほど頑固ではないですよ、小父上」
   ハインリヒは警戒心を解いた表情で返す。小父上――ということは、もしかしてこの人物が――。
「何、数年後には頑固さが現れてくるだろう。ところで、ハインリヒ。彼が……」
   初老の男性に見えるが背筋をぴしりと伸ばし、年齢を感じさせない。彼は私を凝と見て、穏やかな笑みを浮かべた。
「紹介します。このたび陸軍長官となられたジャン・ヴァロワ大将です」
「初めまして。ラードルフ・ハインツだ。君のことはよく聞いていた。このたびは就任、おめでとう」
「ありがとうございます。初めて御目にかかります」
   ラードルフ・ハインツの名はよく耳にする。長年、財務長官を務め、旧領主家にしては進歩的で珍しい思想の持ち主だと言われている。そのため、フォン・シェリング家や他の旧領主家にはあまり良い印象は無いらしいが、ハインツ家が鉱業部門において絶大な力を持っているから、爪弾きにすることも出来ないのだと聞いたことがある。
「フランツは君のことを高く評価していたよ。いずれ長官となってほしいと。君はアントン中将の部下だったと聞いたが……」
「はい。入省当初はアントン中将の部隊に所属していました」
「財務省に居た頃、彼には護衛についてもらったことがあってね」
   アントン中将のことも知っていたとは意外だった。その話は初めて聞きました――とハインリヒが横合いから言った。
「フランツからアントン中将を推薦されたんだ。暫くは国際会議に出席するたび、彼に護衛を務めてもらった。まだ彼が本部に居た頃の話だがな」
   私の知らないところで色々な人脈があるものだなと思う。尤も私自身があまりそうしたことに関心を寄せてこなかったから、今になってそれを知ることになったのかもしれないが。
   それ見ろというアントン中将の声が今にも聞こえてきそうだ――。
「そのアントン中将とフランツが高く評価した人物だから、君とは一度話をしてみたいと思っていた」
   ハインツ卿は穏やかに笑む。それから少し視線を動かして、陛下が此方にいらっしゃったぞ――と囁いた。
   皇帝が此方に来た?
   驚いて振り返ると、皇帝が立っていた。すぐに一歩下がり、一礼する。構わん――と皇帝は言った。皇帝の側には宰相も控えていた。
「フランツの話なら私も混ぜてほしいものだ」
「ヴァロワ大将にフランツが期待をかけていたことを話していたのですよ、陛下」
   ハインツ卿が告げると、皇帝は此方を見遣る。皇帝は鷹揚に頷いた。
「フランツが亡くなる半年前のことだったか、私の許に来て告げたことだ。陸軍にジャン・ヴァロワという若い大将が居る。実に有能で、武術にも戦略にも長けている。ジャン・ヴァロワが大将として五年の経験を経た後には、是非とも彼を陸軍長官にとな」

『君のことは陛下にも話しておく』
   元帥は確かにそう言ったが、まさか本当にそのことを告げに皇帝の許に行ったとは思わなかった。
   私を其処まで推薦した理由は――。
   軍を変えろということなのか――。

「なかなか難しい面もあろうが、宜しく頼むぞ、ジャン・ヴァロワ」
「ありがたきお言葉、身に余ります」
   皇帝はどのような人物なのか――。
   これまで接したこともなく、よく解らない。宰相にフェルディナントを起用し、今回また急進的な私を陸軍長官に据えたということは、彼自身が改革を望んでいるのだろうか。
   それとも――。
   何か別の思惑があるのだろうか。

「ワルツが流れ出したな。フェルディナント、ハインリヒ。娘達と踊ってやってくれないか?」
「私達で宜しければ」
「エリザベートもマリも喜ぶ」
   宰相とハインリヒは一礼して、部屋のさらに奥へと進んでいく。皇帝は旧領主家の誰かに声をかけられ、この場を去っていった。

「陛下はフランツとは同年で、幼い頃から親しかった。事情あって、フランツが陛下から遠退いたのだが……。尤もその事情も馬鹿馬鹿しいものだがな」
   ハインツ卿は少し声を落として話し始めた。不意に話を止め、通りがかった給仕係にワインを持って来るよう告げる。
「フランツはよく闇と表現したものだ。この帝国は大きな闇が巣くっていると……。それを断ち切ることが出来るかどうかは、闇の大本でもある軍を変えられるかどうかだと。フランツは変えようと尽力したが、あの頃はフランツに同調する者が少なかった。闇の側は出世という蜜を振り翳していたからな。皆、どうしても其方に流れていってしまう。其処でフランツは人材の育成に力を入れたんだ」
   ワルツが流れるなか、ハインツ卿は静かにそう言った。それは私の知らない元帥の姿だった。
「当時の軍務局、および参謀本部所属でフランツの部下だった者は全員、本部から距離を置き、今は支部で活躍している。彼等は君の力になってくれるだろう」
   ハインツ卿はにこりと笑んで、何を言いたいか解るな――と告げた。
   まずは人事に取りかかれということだろう。はい、と応えると、有能な人材は支部に居る筈だと彼は教えてくれた。
「本部に居ても抗争に巻き込まれるだけだからな。あの当時、フランツは良い人材を見つけては支部に送り出していったよ。何故君を本部に置いておいたのかと尋ねたら、君は本部で伸びる人間だと言っていた。もう一人、そういう人物が居たようだが、残念な結果を生じてしまったと言っていたよ」
   ザカ中将のことか――。
   やはり、私達がそうと気付くかなり前から、元帥は動いていたのか――。
「尤も、フェルディナントが宰相となったことは予想外だったがな」
   ハインツ卿のグラスにワインが注がれる。彼にも、とハインツ卿は給仕係に告げた。給仕係の男は快く、新しいグラスにワインを注いでくれた。
「だが若い二人のことだ。突っ走ることもある。幼い頃から……、否、もう赤子の頃からあの二人を見てきた私としては、それが少々不安でね」
   ワインを一口飲んで、ハインツ卿は言った。
「二人とも君のことを信頼し、尊敬している。そんな君の忠告ならば聞き入れるだろう。ヴァロワ大将、未熟な二人を宜しく頼む。そして君の手腕に期待しているぞ」
「私こそ、二人に期待しているのですよ、ハインツ卿。……嘗て私の先輩とよく話していました。二人が帝国を変えてくれるかもしれない……と」
   視界の端に宰相とハインリヒの姿が映る。相手の女性が皇女なのだろう。まったく非の打ち所のない様子でダンスを披露している。周囲もそれに眼を奪われていた。特にフェルディナントには女性達の嘆息が集まっていた。


[2011.9.7]
Back>>5<<Next
Galleryへ戻る