カチャリと音が聞こえて、眼が覚めた。時計の針は午前6時30分を指している。ハインリヒが起き出した音では無いだろう。これは玄関の扉を開いたような音で――。
   何者かが入り込んだのか――。
   側に置いておいた拳銃を手にとり、安全装置を解除し、そっと部屋を出る。カタンという物を開ける音、それにトントンと聞こえる足音――。これだけ音を立てるとは、随分不用心な奴だ。
「誰だ!?」
   音の聞こえる部屋の扉を開けると、きゃあっと声が響いた。
   女性のような悲鳴?
   恰幅の良い後ろ姿、それに身につけているのは女性物のスカートで――。
   咄嗟に銃口を天井に向ける。そして即座に済みません――と謝った。侵入者では無かった。ハインリヒの身の回りの世話に来たミクラス夫人で――。
「ヴァ、ヴァロワ様!?」
「申し訳無い」
   一礼して侘びをいれると、ミクラス夫人は驚きました――と胸を擦りながら言った。済みません――ともう一度謝る。
「あの、どうかなさったのですか……? あ、もしかして私、お部屋を間違えました!?」
   ミクラス夫人はきょろきょろと辺りを見渡した。
「いいえ。此処はハインリヒの部屋です。私の部屋が昨晩荒らされまして、それでこの部屋で休ませてもらいました」
「お部屋が荒らされた……?」
「ええ。ミクラス夫人、此処に来る時、何かに付けられませんでしたか?」
「フェルディナント様が護衛を伴わせて下さったので私は何も……。でもヴァロワ様、御無事で何よりです。あ、ハインリヒ様」
   何かあったのですか――とハインリヒは言いながら、リビングに現れた。ミクラス夫人を侵入者と勘違いしてしまったことを告げると、ハインリヒは納得しながらも苦笑した。

   ミクラス夫人は手際良く朝食を用意してくれた。私達が朝食を摂っている間、ミクラス夫人は私の部屋を覗きにいった。そして戻ってくるなり、大変な状態ではないですか――と驚愕した様子で言った。
「ヴァロワ様。替えの軍服はお持ちなのですか? 下着は?」
「総務課に申請すれば軍服は用意してもらえるから大丈夫ですよ」
   今日のところは昨日のものを着ていれば良かった。そう汚れてもいないから大丈夫だと思っていたら。
「長官となる御方が何を仰っているのです! 身だしなみは大切ですよ! 今すぐ軍服をお出し下さい」
「しかし時間が……」
「一時間あれば綺麗に整えられます。お早く」
   夫人の勢いに圧倒されて、軍服を出すと、ミクラス夫人は浴室へと向かって行った。向かい側の席でハインリヒが笑う。
「ミクラス夫人にはルディも勝てませんからね」
   結局、部屋の掃除まで任せてしまった。この日も嘗ての上官やら大将級の緊急会議やらに呼びつけられ、一日の殆どが仕事にならなかった。とはいえ、仕事は溜まっていくから、残らざるを得ない。結局帰宅出来たのは日付が変わる直前だった。その時には部屋は綺麗に片付いていた。



   そして試験当日がやって来た。午前中に筆記試験が執り行われ、午後から皇帝の試問を受けることになる。朝は暴漢に襲われ、ハインリヒと対応したものの出勤時刻に遅刻し、試験開始のぎりぎりの時刻に何とか滑り込んだ。フォン・シェリング大将はちらりと此方を見遣って、遅れるとは何事だ――と苦言を漏らした。
   二時間にわたる記述試験が終了し、一息吐いていたところへ、結果が開示される。100点中95点という結果だった。大問が10問出され、一題につき10点の配点となっていた。間違えた設問は無いにせよ、内容に不足があったのだろう。
対して、フォン・シェリング大将は90点だった。これは意外なことだった。彼はきっと問題を事前に入手しているだろうから、満点を採るだろうと予想していた。問題を入手出来なかったのか、それとも満点の解答を用意出来なかったのか――。
「流石はヴァロワ卿。リードしているではないですか」
   そろそろ宰相室に向かうか――そう思っていたところへ、ハインリヒがやって来た。
「大差は無い。次の試問次第といったところだろう。ハインリヒ、済まないが私はそろそろ宰相室に行く。また後程……」
「ルディから、宰相室までヴァロワ卿を護衛するよう告げられました。決して遅れてはならないからと」
「流石に宮殿内では嫌がらせも出来ないだろう」
「どんな策を使ってくるか解りませんから」
   ハインリヒと共に執務室を出て、宰相室へと向かおうとしたところ、大将級の面々がずらりと現れ、今からでも遅くない――と私に向かって言った。宰相とハインリヒの予想通りだったということか。
「棄権することだ。そうすれば、今回の責任は支部への転属ということで許してやる。君はいつになったら眼が覚めるんだ」
「棄権はしません。遅れますので、道を開けてください」
「行くなと言っておるのだ! 君の性格は嘗て上官だった私がよく知っておる。君の思想は危険すぎる……!」
「キール大将。お退き下さい。私は宰相閣下の命令を受けて、ヴァロワ卿を護衛しています」
「ロートリンゲン大将、控えよ! 大将となって日が浅い貴卿が出る幕ではない!」
「宰相命令を受けていると申しあげたでしょう。これ以上、道を阻むのならば、此方も強硬手段を取らざるを得ませんが……」
「お退き下さい。キール大将。話ならば全てが終わってから、伺います」
   キール大将は此方を睨み付けたまま、その場を動こうともしなかった。まさかこんな子供じみた行動に出るとは――。
   さて、どう此処から抜け出すか。無闇に手を出すことも出来ない。それにこのままではハインリヒが強硬手段に出る。それも避けたい――。

   不意に、軍務局の扉が開いた。将官達五人が歩み寄って来る。彼等も行く手を阻もうとするのか。そうなると、此処で一騒動起こす以外ないか――。
   ところが、彼等は、失礼します、と一言キール大将達に言って、その身体を羽交い締めにした。
「ヴァロワ大将閣下、お行き下さい! お早く!」
   そのうちの一人、ブラマンテ准将が此方を見て言い放つ。コールマン准将やビアラス少将も私達に先を促した。
「お前達……」
   驚いて、言葉にならなかった。守旧派の大物でもあるキール大将達相手にそのようなことをしたら、自分達の身が危うくなるだろうに――。
「ヴァロワ卿、彼等に任せて行きましょう」
   ハインリヒが私の腕を引く。お前達は何をしているか解っているのか――と、キール大将の怒声を背で聞いた。まさか軍務局の部下達が、あのような行動に出るとは予想もしていなかった。

   宰相室に到着すると、ヴァロワ卿、とハインリヒは呼び掛けた。
「頑張って下さい。軍務局の部下達のためにも」
「……そうだな」
   私が長官の指名を受けなければ、彼等は間違い無く支部移動となる。下手をすれば降格処分も喰らう。
   そうさせないためにも、何としてもフォン・シェリング大将には勝たなければ――。


[2011.9.2]
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