「ユーリ」
   声が聞こえた。瞼が重くて、それでも何とか引き上げると、ウィリーの姿が見えた。
「具合は? 傷の痛みは無いか?」
   ウィリーは安堵した様子でそう言った。視界に靄がかかっていて、まだ夢の中に居るようだった。それを追い払うように、瞬きを繰り返す。
   つんと鼻を刺激する消毒液の臭い、ぽたぽたと規則的に雫を落とす点滴――。此処は病院なのだろうか。
「俺は……?」
「此処はオデッサの軍病院だ。傷を負った者は皆、此処で手当を受けている。動けるようになったらローマに搬送する」
「皆は……?」
「死者が25名、負傷者8名。……最悪の結果だ」
   死者25名――。
   第15部隊は33名だった。そのうちの半数以上が命を落としたのか――。
「ビューロー少佐は……? アーレンス大佐達は……?」
「アーレンス大佐は隣の病室に居る。お前よりも軽傷だ。ビューロー少佐は……、森の中で遺体で発見された」
「そんな……」
「今、本部から派遣された第5部隊が実態調査を行っているところだ。俺もこの後で、状況説明に行かなければならない」
   ビューロー少佐が亡くなった――。
   あんな無謀な作戦でなければ、死ぬことはなかった筈だ。それも25名も……!
「何で……っ! どうして上官はあんな命令を……っ!」
「落ち着け、ユーリ。傷に障る。……お前が俺に連絡してきたことは本部に伝えてある。口惜しいだろうが、お前は出来る限りのことをしたんだ。……それに、お前が庇ってくれなければ俺の命も無かった」
「違う……! 違う……! 何か別に方法があった筈だ……!」
   ずきんと背が痛みを発した。
   だがそれ以上に胸が痛い。ビューロー少佐が命を落とすことは無かった。あの無謀な作戦を遂行しなければ……!
「落ち着いて少し休むんだ。お前自身、あと少しで脊髄を損傷するところだったんだぞ」
   ウィリーは厳しい眼で私を見つめる。俺を庇ったばかりに歩けなくなったらどうしようかと不安だった――と言った。
「ウィリー……。その手は……」
   この時になって気付いた。ウィリーは右腕を負傷していた。首から腕を吊り下げてあって、指先まで包帯が巻かれている。
「俺は軽傷だから大丈夫だ」
   ウィリーが怪我を負ったという記憶は無い。ということは、俺が気を失ってから負ったものなのだろう。
「……もしかして俺を助ける時に怪我をしたのか?」
「そうじゃない。それよりも今は何も考えず、安静にしていろ。今回の一件はすぐにニュースで報じられたから、家には連絡を入れておいた。小母さんが心配していたぞ。ローマに移送されたらすぐに病院に行くと言っていた。……ほら、俺の携帯を貸すから無事だと連絡を入れておけ」
   ウィリーは胸元から携帯電話を取り出して、私に手渡した。促されるまま電話をかけると、執事のロルフが応対する。ロルフ――と名を呼ぶと、オトフリート様、と少し高揚した声が聞こえて来た。
「オトフリート様、御怪我は大丈夫ですか? 具合は?」
「大丈夫。まだ病院だけど、無事だから、父上と母上にそう伝えておいて」
「お待ち下さい。奥様に替わります」
   その後、電話を替わった母上は頻りに傷の心配をした。大丈夫――という言葉を何度連発しただろうか。
   電話を終えて、ウィリーに礼を述べてから携帯を返すと、ウィリーはそろそろ会議に行ってくると言った。
「何も考えずにゆっくり休んでいろ。今晩、ローマに向かう便がある。お前もその時、移送される筈だ」
   ウィリーはそう言い残して、病室を後にした。
   だが、何も考えるなと言われても、考えずにはいられなかった。自分はどうすべきだったのか、為す術が本当に無かったのか、たとえ立場を利用してでも父上に連絡すべきだったのではないか――。
   そうすれば、仲間が命を落とすこともなかったのではないか――。
「……っ」
   口惜しさに拳を握り締めた。自分一人では何も出来ない。今回も、もしウィリーが助けに来てくれなければ、命も無かったかもしれない。
   軍人となり、人の手助けがしたいと考えていた。それは甘い考えだった。思い知らされた。自分一人で決断することさえも出来ない。結局、俺は何も出来ないではないか――。



   ウィリーの言っていた通り、意識を取り戻したその日の夕方、首都ローマへと移送された。アーレンス大佐やカミュ中佐も一緒だった。二人とも起き上がることが出来る状態で、俺だけが寝台に横たわったまま搬送された。出来る限りのことはやったんだ――と、アーレンス大佐は私を見て言った。
   出来る限りのこと――そう言われると、却って胸が痛んだ。父上に連絡を取ればどうにかなったのではないか――、そう思えてならない。

   病院に到着すると、父上と母上が待ち受けていた。無事で良かった――と母上は涙を浮かべながら言った。
「……心配をかけてごめん……」
   母上の涙を見たのは今回が初めてで、だから同時に酷く申し訳無く感じた。母上の手が身体に触れた時感じた気の抜けるような安堵感、生きていて良かった――とこの時、心の底から思った。
「状況は聞いている。大変だったな」
   父上の言葉に返答出来なくなる。
   大変――だった。
   その一言で片付けられるものでもなくて――。
「何も……っ、出来なくて……っ」
「お前は出来る限りのことをした。辛い経験だろうが、今の段階でお前に出来る最大限のことは成し遂げた」
「でも……っ! 作戦が失敗すると解っていたのに……! 犠牲を回避出来たのに……っ!」
   作戦を取り止めていれば、誰も犠牲にならなかった。ビューロー少佐も命を落とすことは無かった……!
「それはお前の責任ではないんだ、ユーリ」
   父上は静かにそう言った。

「今回の作戦はお前の上官の責任だ」
「父上に……、父上に連絡を取って作戦命令を却下してもらおうとも考えたんだ。でも自分の立場を利用しているようで、踏み切れなくて……。でも俺のその判断が間違っていたから、ビューロー少佐も皆も……」
「私に連絡したところで、事態が変わったとも思えない。ユーリ、軍に入る時に言った筈だ。正論を言ったとしても、一人ではどうにもならないこともある、と」
「結果が解っていても!? 損害に眼を瞑れと……?」
「お前は出来る限りのことをした。お前の立場では、それが精一杯だったんだ。それ以上何か出来たのではないかと考えることは、自惚れだ」
「自惚れ……?」
   自惚れている――?
   俺が……?
「お前が意図せずとも他人からはそう見える場合がある。……ユーリ、今回の一件が口惜しいと思ったのなら、自分の胸に刻み込むことだ。自分が上官と同じ立場になった時、同じ失敗を犯さないように」


[2011.7.8]
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