本部に戻って、副官――?


   咄嗟に返答が出来なかった。
   ああ、もしかしたら――。
「私のこのアルジェ支部への異動に責任を感じて、それで本部にということなら御断りします」
   そんな恩情で本部に足を踏み入れたくない。本部はそのように甘い場所でもなければ、人を蹴落とす場所だ。馴れ合いで務まるところではない。
「いいえ。そうではありません」
   ロートリンゲン大将はきっぱりと言い放った。
「本来ならば中将級の職であることも解っております。ですが、私はまだ軍務省を統括するにしては若すぎます。出来るだけ公正な判断をしたいと思っていますが、経験不足ゆえに至らぬこともあります。どうか、ヘルダーリン大将に次官となっていただき、私の足りない部分を補っていただきたいのです」
「……経験ということならば、本部所属の大将がいらっしゃるではないですか」
   何も支部所属の私に頼まずとも良いことだ。本部所属の大将はそれこそ長年、本部に在籍している者が多いのだから。
「貴卿の経歴を拝見しました。もし本部にいらっしゃったら、今回、長官の任命を受けていたのは貴卿だと思います」
「それは買いかぶりすぎですよ」
   ロートリンゲン大将の方がよほど功績がある。若いながらに見事なものだ――といつも思っていたのだから。
「加えて、本部所属の大将に適任が居ないことも事実です。……フォン・シェリング大将の派閥の力が強すぎて、会議でもまともな意見が通りません。それが昨年、陸軍長官にヴァロワ大将が任命されてから、陸軍部は様相を変えつつあります。私は海軍部もそのように変化させたいと考えています。そのためには、是非とも貴卿の力をお借りしたい」

   成程――。
   若くとも、自分なりの思考を持った人物だ。これでは海軍部の大将達も扱いづらかっただろう。それにも関わらず、こんなにも早く地位を確立出来たということは、やはり有能だからか。
「……急激な変化は内紛を生むこともあります」
「しかし今変わらねば、海軍部は腐敗しきった状態から脱することも出来ません」
   腐敗か――。
   確かに腐りきっている。もう何十年も前から。
「……敢えて厳しい言い方をしますが、貴卿の考えているほど容易く変えられるものでもありませんよ」
   良家の子息にありがちなことだ。自分が何でも出来ると思う。そうした気持で問題に取り組むというのなら、それだけの覚悟も持っていないというのなら、力を貸す気にはなれない。此方にもリスクの伴うことなのだから。
   ロートリンゲン大将は私を見つめた。良い眼をしている。正義感の強いところは父親譲りだということか。
「承知しています。覚悟を決め、長官に立候補しました。海軍部全てを敵に回すことになるかもしれませんが、この国のためにもこの国を蝕む悪習は絶ちきらねばならないと考えます」

   覚悟がある、か――。
   まだ若い――20代から脱したばかりの青年が、この国に何十年にも蔓延っている曲者達と対決するか。
   愚かな若者の発言だと切り捨てるには早い。若くとも往年の大将と同等の実績がある。一目置かれている存在だ――という話は何度も耳にした。単に良家の子息というだけではなく、真の実力を持っている。

「ヘルダーリン大将、どうか力を貸して頂きたいのです」

   何よりも評価すべきは、彼は高圧的ではないということだ。私利私欲のために長官となり、フォン・シェリング家と対峙しようとしている訳ではないことは、彼の態度を見れば解る。
   もしかしたら彼ならば――と期待をかけたくなる。
   彼の志には敬意を表することが出来る。
   そして私自身も軍を変えたいということは、長年考えていたことだ。ただ実行出来なかっただけで。
   それならば――。

「解りました。海軍部の状態は以前から眼に余るものがあります。私もそうだが他の将官達もそれを変えることはおろか、変えようとさえ思わなかった。強大な権力の前にただ眼を背けるばかりでした。長官、貴方の御決断に敬意を評します」
   この時、彼はほっと安堵したような嬉しさを噛み締めるような表情をした。
「ありがとうございます」





   副官の任命を正式に受けて、本部に戻った私を待っていたのは、フォン・バイエルン大将の冷ややかな視線と言葉だった。いつかの恩が実ったのだな――と彼は私に言った。
   何とでも言うと良い。私は私の意志で彼を選び、本部に戻ったのだから。
   そしてロートリンゲン大将の手腕は、私が予想していた以上だった。次から次へとこれまでの矛盾を指摘していく。論戦となっても怯むことなく、却って相手を怯ませる。彼の兄が宰相だから、手解きを受けているのではないかと陰口を叩く者も居たが、側にいればすぐに解る。彼自身が相当な能力の持ち主なのだということが。それこそ、逸材なのではないだろうか。


[2011.4.11]
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