風、そよぎて〜III



「卿もこの時間に昼食か?」
   宮殿の中庭に面した場所にあるラウンジで遅い昼食を摂っていると、前方から声が聞こえて来た。顔を上げると、ウールマン大将がトレイを持って立っていた。
「ウールマン大将こそ。宜しければ、お座り下さい」
   向かい側の席を勧めると、ウールマン大将はそうさせてもらうと言って、トレイを置き、椅子に腰を下ろした。午後三時を過ぎていたが、私も食べ始めたばかりだった。
   ウールマン大将と言葉を交わすのは三度目だっただろうか。一度目は就任式の後で、二度目は会議で。
   ウールマン大将は昨年、本部所属となった。それまではラッカ支部長を務めていた。陸軍長官となったばかりのヴァロワ大将が、参謀本部長に抜擢した人材だと聞いている。支部長から突然、参謀本部長に抜擢されるのは異例のことだった。


   私より年上のウールマン大将は、これまで本部に所属したこともない。とりわけ目立った功績を立てたという話を聞いたことがない。
   だが、私は彼のことが気にかかっていた。あのヴァロワ大将が無能な人間を参謀本部長に据える筈が無い。しかも噂によれば、ヴァロワ大将自らラッカ支部へ、彼に就任要請をするために赴いたらしい。
   おまけに就任当初に、あのトニトゥルス隊を手なずけたと聞いている。トニトゥルス隊は実戦での経験と実力のある者達が集っており、これまでの長官は指揮権すら彼等に与えていたとも聞いている。
   そんな部隊の指揮権を、ウールマン大将はまず取り戻した。参謀本部長がトニトゥルス隊の指揮を執るのは、それこそロートリンゲン元帥以来のことだ。あのトニトゥルス隊が、ウールマン大将のことをそれに相応しい人物と認めたということになる。

「卿は職務に慣れたか?」
   ウールマン大将は何気なく問い掛ける。
「少しずつですが。これまでの仕事とまったく異なるので、戸惑うことが多いですよ」
「アルジェ支部の支部長を務めていたと言っていたな。支部と本部では士官達の性格がまるで違って、なかなか遣りづらくないか?」
「そうですね。支部に居た頃は比較的のんびりと構えていられました。本部は士官達が足を引っ張り合う所ですから……」
「まったくだ。人のあら探しばかりする人間が多い」
   参謀本部はなかなか指揮を執り辛いのだろう。あそこはエリート意識の高い者が特に多い。今の陸軍参謀次長は自分が本部長となれると思っていた男だ。きっとウールマン大将の手助けどころか、あら探しばかりしているのだろう。
「参謀本部でしたら、ボルシュ中将とはお会いになりましたか?」
「何度かな。だが、なかなか会えない中将だ。支部回りが多くてな」
「彼はなかなか有能な人物ですよ。それにずっと参謀本部に所属しているから、内情もよく知っています」
「そうか。一度腰を落ち着けて話をしてみると良さそうだな。……卿は詳しいのだな」
「私は元々、参謀本部に所属していましたから。ですから、その頃から居る人物のことなら多少解りますよ」
「……もしかして、幼年コース出身者か?」
   頷き応えると、ウールマン大将はそれでは私と違いエリートなのだなと返した。それから傍と気付いた様子で、派閥の抗争にでも巻き込まれたのかと問う。参謀本部に居た人間が、遠いアルジェ支部に転属となったことに違和感を覚えたのだろう。
「ええ。本部はウールマン大将の仰った通り、ぎすぎすしたところですから、支部所属でのんびりするのも良いかと思っていましたが……。今年突然、長官から次官への要請がありまして……」
   実のところ、11年前に参謀本部からアルジェ支部に異動となった背景には、彼のことが絡んでのことだったから、彼が本部に私を呼び戻したことに些かながら、縁を感じずにはいられなかった。


   11年前――。
   あれはロートリンゲン大将がまだ士官候補生だった頃だった。演習中にインフルエンザが蔓延して、その時の艦内の状況説明が出来る士官がおらず、その艦に乗り込んでいたロートリンゲン大将――当時の士官候補生が、大将級会議で説明することとなった。その彼が、この本部内を歩いていた時、フォン・シェリング大将派の者に絡まれたので、庇った。
   それが仇となって、私は支部転属を命じられた。当時の海軍はフォン・シェリング大将派のフォン・バイエルン大将が我が物顔で人事を取り計らっていたから、仕方の無いことでもあった。それほど本部に未練も無かったし、支部でのんびり過ごすのも悪くないと思っていたので、落ち込むこともなかった。
   それが、二ヶ月前に――。





「失礼します、閣下!」
   慌ただしく執務室の扉を開いて、少将が入室する。彼は息を切らしながら敬礼して、帝都から長官がいらっしゃいました――と言った。
「……長官?」
   何のことだ――と思い聞き返すと、海軍長官です、と彼は返した。
「海軍長官が此方に?」
「はい。閣下とお話したいとのこと。応接室でお待ち頂いております」
   海軍長官というと、先週、ディールス長官に代わって就任したロートリンゲン大将のことに違いはない。彼が士官候補生の時に出会って以来、顔を合わせていなかったが、彼のことを聞くたび、本部で頑張っているのだなと何となく気に掛けていた。
   しかし、まさかこんな支部までやって来るとは思えないが。
「……長官の命令で別の人物が来たという訳ではないのか?」
「いいえ。間違いなくロートリンゲン大将閣下です。お若いですし、私も間違えません」
   話ながら少将と共に応接室に向かう。応接室の扉を開けると、中に居た青年が立ち上がり、敬礼した。
「先触れも無く突然の来訪、申し訳ありません。このたび海軍長官に就任しましたハインリヒ・ロイ・ロートリンゲン大将です」
   少将の間違いではなかった。驚いて彼を見つめてしまい、数秒、返礼が遅れた。
「アルジェ支部長クリスト・ヘルダーリン大将です」
   名乗ると、ロートリンゲン大将は微笑を浮かべて、御無沙汰しております――と言った。彼も憶えていてくれたのだろう。
   少将を下がらせて、ロートリンゲン大将の向かい側に移る。こうして正面から見ると、あの頃の眼差しを思い出す。真っ直ぐな瞳で、父親の元帥によく似ていて――。
「長官就任、おめでとうございます」
「ありがとうございます。ヘルダーリン大将、私こそずっと御礼を申し上げなくてはならなかったのに……。先日、初めて貴卿がアルジェ支部長となっていることを知りました。……申し訳ありません」
   ロートリンゲン大将は頭を下げた。私の異動の経緯について気付いたのだろう。
「そのように謝らないで下さい。貴卿の責ではないのですから。それに本部から離れたこの支部は意外に快適なのです」
   ロートリンゲン大将は困ったような、申し訳無さそうな笑みを浮かべる。
   誠実で、人の良さそうな男だ。こんな人物が長官に就任したということは、本部も少し変わるかもしれない。尤も彼がそれだけ強固な姿勢を示すことが出来たらの話だが――。
「ヘルダーリン大将。実は、お願いがあって参りました」
「何でしょう?」
   何だろう。まったく思い当たらないが。
「もう一度本部に戻っていただけませんか? 私の副官となって頂きたいのです」


[2011.4.9]
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