ザカ中将は仕事に対してとても厳しかった。完璧な書類を求め、ひとつのミスも許さない。だが、これまで自分がどれだけ粗い仕事をしてきたかが良く解る。思い返すと恥ずかしいことこのうえない。
   一方、ルディは電話での交渉を続けていた。流暢なビザンツ語で、メモを取りながら話を進めている。ビザンツ語は第二外国語として習ったから、一応内容を聞き取ることが出来るが、俺は何とか会話が出来る程度で、ルディほど流暢には話せない。そのルディが、軍務省の担当者に替わります――と言って、受話器をヴァロワ卿に差し出した。
   ヴァロワ卿はそれを受け取り、軍務省陸軍部軍務局のジャン・ヴァロワ中将です――と名乗る。それから、ルディに劣らない流暢なビザンツ語で話し始める。
ヴァロワ卿は語学が堪能だとは知っていた。以前も、ムガル王国からの電話があった時、ヴァロワ卿が応対した。軍務局内で他国からの電話が入った時は、いつもヴァロワ卿に任される。そしてヴァロワ卿はいつでも怯むことなく、電話を受ける。ビザンツ語を話すのは初めて聞いたが、一体何ヶ国語を話せるのだろう。

「大佐、終わったか?」
   何気なくヴァロワ卿を見遣ると、ザカ中将が声をかけてきた。
「あ、はい」
   纏め終わった書類をザカ中将に見せる。ザカ中将はそれに眼を通していく。二度も読み直した書類だった。間違いも不備もない筈だ――と自分では思っているが、ザカ中将から見ればまだまだ改善の余地があるかもしれない。
   ぱらりと二枚目を捲り、俺の作った報告書を読み終わると、ザカ中将は最後にさらりと署名を施した。署名を施してくれたということは――。
「よく纏まっている。今回の纏め方を確り憶えておくのだぞ」

   初めて――。
   初めて褒められた。この三日間、手厳しい注意ばかりだったのに――。
「ザカ中将のおかげです。ありがとうございます」
「一度教えただけで此処まで綺麗に纏めてきた者を、私は見たことが無い。君はきちんと基礎があるし、応用を利かせることも出来る。自信を持って取り組んで良い」
   その言葉は――嬉しかった。この三日間、注意を受けるのは俺ばかりでルディもヴァロワ卿も非の打ち所がない書類を作成していることを考えると、俺にはこの仕事が向いていないのではないかと思うこともあった。ザカ中将はそれだけ厳しかった。書類を提出する際、何か間違いがあるのではないかと、いつもひやひやしていた。
「ザカ中将。話は纏まりましたよ」
   いつのまにか電話を終えていたヴァロワ卿が告げる。予定していたより早かったな――とザカ中将は驚いた様子で言った。
「フェルディナントのおかげですよ。それにハインリヒが資料を纏めてくれていたから、此方は交渉に専念することが出来た」
「私はずっと教えてもらってばかりでした。ヴァロワ卿こそ、一体何ヶ国語を話せるのですか? 軍務局でもいつもどんな国の言葉でも流暢に話していて……」
「ジャンは大抵の国の言葉は話せる。だから軍務局で重宝されているんだ」
「軍務局で雑務が無くなったら、遠い支部に飛ばされるでしょうがね」
「支部向きではないがな。まあ、たとえ軍務省から追い出されても外務省あたりが声をかけてくるだろう」
   二人のそんなやり取りは傍で聞いていても面白い。ヴァロワ卿とザカ中将は本当に仲が良いのだろう。
「今回、もしまだ仕事に不慣れなようなら、君をヴェネツィア支部に配属させようかとも考えていたが、どうやらその必要は無さそうだ」
「私をヴェネツィア支部に……?」
「悪い意味での転属ではないぞ。今の本部では却って優秀な人材を無能にしてしまう。上官が自分のことしか見えていないからな。ならばむしろザカ中将が支部長を務めるヴェネツィア支部で、仕事の経験を積んだ方が良い。ザカ中将も私も当初はそう考えていたんだ」
   ヴェネツィア支部に――。
   帝都から離れてしまうが、確かにその方が色々なことを教えてもらえる。今の上官よりも、ザカ中将の許の方が――。
「だが、君は此処に居なさい。今回のように処理が出来れば、本部で軽視されることはない」
「ザカ中将、もし転属出来るなら私は……」
「君はまだ若いが、ロートリンゲン家の人間だ。功績を挙げれば、内規に従って、必ず昇進は出来る。今回の仕事は充分な功績となるから、あとは通常の仕事をきちんとこなせば、来年には准将となれる」
   裏を返せば、ロートリンゲン家でなければ本部での昇進は難しいということか。
「そうだな、もう一点重要なことがある。軍務局で仕事を取ってくることだ」
「……仕事を取る……ですか……?」
   どういう意味か解らず問い返すと、ザカ中将は頷いて教えてくれた。
「君が優秀だということに気付いている将官達が、仕事を回さないのだろうことは予想がついている。ジャンや私の場合は、上官から雑務を押しつけられていたから自ずと功績が増えていったが、君の場合はそうしたことが無い。ならば、自分で取ってくるしか無いんだ」
「ですが……、大佐のうちは上官の指示を仰ぐようにと……」
「ジャンや私のように上官に恵まれていれば良いが、残念ながら君の場合はそうではない。軍務局の書類棚の手前に、書類が積み上がっているだろう? あれは全て未処理のものだ。手の空いた者がそれに取り組むことになっている。大佐がそれに手を付けてはならないという規則も無いから、今度から君がそれに取り組むと良い」
   確かに書棚の前にはいつも書類が積み重なっている。上官達は其処に書類を置いておくばかりだったが――。
「処理を終えたら、直属の少将に渡さず、軍務局長の許に提出すること。そして出来るだけ早く将官になった方が良い」
「それと未処理の書類を机に残して帰宅するのではないぞ。局内には性質の悪い者も居るからな」
   ヴァロワ卿が側から言い添える。ザカ中将はそうだなと頷いて、何事にも用心することだ――と言った。
「用心しながらも、仕事には思い切って取り組んだ方が良い。直属の上官が仕事を与えてくれないのなら、自分から探してくれば良いことだ。人がやりたがらない仕事というのは必ずあるからな。それからヴェネツィア支部からも時々、本部軍務局に仕事を通すのだが、今後それは君に任せることにする」
「まだ佐官なのに……、良いのですか……?」
「誰が処理しようと構わんよ。それにこれだけ仕事の出来る人材を放っておく訳にはいかない。このまま着実に仕事の実績を積めば、来年には准将への昇級の話が必ず持ち上がる。もし君の上官が推薦してくれないというのならば、私が推薦する」

   驚いて言葉が出なかった。
   ザカ中将は傍と何かに気付いた様子で勿論――と言い添える。
「君が元帥の子息だからという理由で推薦するのではないぞ。きちんと仕事の出来る人間だから推薦するんだ。だからもし君が現状に甘えて仕事に取り組まなくなったというのなら、推薦はしないからな」
   俺は上官に恵まれていないと薄々気付いていたが――。
   その代わりに、ザカ中将という力強い存在を得ることが出来た。ヴァロワ卿といい、ザカ中将といい、尊敬の出来る人に会えた――。
「ありがとうございます。頑張ります」
   それしか言えなかった。今の俺には感謝を伝えることしか出来ない。
「期待しているよ」


[2011.4.2]
Back>>3<<Next
Galleryへ戻る