「羨ましいな。良い先輩達に囲まれて」
   この日の帰路、ルディは俺を見てそう言った。
「本当に……、ありがたいと思ってる。ザカ中将、仕事の時は厳しくて叱られてばかりだったけれど、あんな風に仕事を教えてもらったことは無かったんだ」
「確かに、傍目で見ていても厳しいと思ったが……。でも良かったな、ロイ」
   頷くとルディは笑みを返してくれた。
「俺としてはヴェネツィア支部に配属出来るなら、そうなりたかったな」
「ロイ……」
「でも本部で頑張れと言われたからそうするよ。折角士官学校を卒業して邸に戻って来られたのだし。それにザカ中将もいつでも相談に乗ってくれると言ってくれたしな」
   頑張ろう――と奮起する。俺はヴァロワ卿やザカ中将に会えて、幸運なのだろう。ザカ中将が言っていたように、俺が父上の息子だからという理由で色々と面倒を見てくれている訳ではない。俺が甘えてばかりいたら、二人からは見放されるだろう。そういう人達だ。
   そして、俺自身も自信が持てた。軍務局でただ上官の指示を待っていることはない。自分に出来ることはやってみよう――。


   翌日からそれを実行した。
   上官から数枚の書類を手渡され、それを読み返すだけの仕事を終えると、仕事は終わる。ザカ中将から聞いた書類棚の前に置いてある書類を持って来て、読み始める。何をどうすれば良いのか――解る。
「資料室に行って来ます」
   上官に告げると、上官は不思議そうな顔をしたが、許可をくれた。書類を持って資料室に行き、必要なものを揃える。そして局内の自分の席に戻り、処理を行う。昨日まで取り組んでいた案件より簡単な処理で済む。あっというまにひとつの仕事を終えた。この分ならあとひとつ取り組めそうだ。
   この日、二つの案件を処理して局長の許に持っていった。局長はそれを見て驚いた様子で言った。
「バッベル少将から頼まれたのか?」
「いいえ。少将から頼まれた仕事を終え、時間がありましたので、未処理の書類に取り組みました。不備があれば仰って下さい」
   局長はその場で確認し、それから顔を上げて言った。
「いや、何も不備は無い。意欲的に職務に取り組むとは結構なことだ」
   書類棚の前の書類は、誰が取り組んでも良い仕事だとザカ中将が言っていた通り、局長から注意を受けることもなかった。


   その後もそうして自分で仕事を見つけ、取り組んでいった。ヴェネツィア支部から持ち込まれる仕事は、直接、俺の許に持ち込まれることになった。そのことを直属の上司である少将達が訝しんだが、誰も何も言わなかった。
   そうするうちに、書類の纏め方や資料の見方が自ずと身についていった。経験も積み上がっていく。それが功を奏して、大佐となって一年が経とうとした頃、局長から昇級の話を貰えた。



「准将か。おめでとう」
   試験に合格し、晴れて大佐から准将へと昇級した。任命式の後で、ヴァロワ卿がもっと忙しくなるぞ――と揶揄しながらも、祝いの言葉をかけてくれた。
「そういえば、フェルディナントも参事官に昇進らしいな。あの若さで大したものだ」
   奇しくも同時期に、ルディも昇進が決まっていた。ルディに至っては異例の昇進だと聞いている。先月に大きな事案を一人で解決したことが、決定打となったらしい。ルディは半年前に一度昇進の話があったが、その直後に身体を壊したために昇進は見送られていた。だからルディ自身も今回が初めての昇進ということになる。今回の昇進が決まり、ルディもとても喜んでいた。
「ありがとうございます。ヴァロワ卿。ヴァロワ卿やザカ中将の助言が無ければ、私はこんな早くに昇進出来なかったと思います」
「礼には及ばんよ。誰でも知っていることを教えただけのことで、あとは自分の努力の結果だ。今後も頑張れよ」
   書類を手に去っていくヴァロワ卿の背を見、それから俺も早速資料室へと向かった。その途中、不意に窓に准将の階級章が映った。
   頑張った結果――そう言われると何か誇らしくて嬉しかった。また頑張ろうという気力も湧いてくるようだった。




「ああ、聞いたぞ。支部でも噂になっているからな」
   トレント支部への出張があって、その帰りに少し足を伸ばしてヴェネツィア支部へと行ってみた。この支部に来るのは初めてだが、内部の雰囲気が良いことはすぐに解った。廊下を歩いていると書類を片手に談笑する声が聞こえて来る。その案より此方の案が有利だ――とか云々、語り合っているのはきちんと連携が取れている証拠でもあった。
   支部長室はそんな本部の奥にあって、ザカ中将は突然の来訪にも関わらず、快く迎えてくれた。ハインリヒとフェルディナントの昇進の話をすると、ザカ中将は頷いて言った。
「准将から連絡があってね。兄の方の昇進のこともその時に知ったのだが……。それから数日と経たないうちに支部内でも噂が広まってきたんだ」
「いくつか飛ばして昇進したと?」
「ああ。いきなり参事官だとな。異例だからか、良い噂も悪い噂も入って来る」
「ひと月休んでいたのに――と、やっかむ人間が居ることは知っていますよ。しかし今回の昇進は国際問題になりかけたものを取りなしたことがきっかけですから」
「そうらしいな。あの若さで大したものだ。第三国を介して調停を頼んだのも彼だと聞いている」
「昇進にばかり明け暮れる奴等より、余程仕事が出来ますよ」
「身体さえ丈夫なら……と思わずにいられないな。頑張ってほしいが、あまり無理をさせられないだろう。ひと月も休むということは相当、身体が参っていたのだろうし……」
「ええ。ちょうど四人で仕事を行った翌月でしたよ。姿が見えないと思ったら、休暇を取っていると聞いて……。ハインリヒによると、その時既に昇進の話が持ち上がっていたそうですが」
   身体を壊したことで、昇進の話は立ち消えてしまったことを聞いた。休養を経て快復したフェルディナントも、残念だが仕方が無いということを言っていた。またいつか機会が巡ってくる――と言っていたところ、国際問題になりかけた案件を沈静化させたという話が本部内に持ち上がった。
「そのうち若い外務長官が誕生するかもな。そうなると軍もおちおちしていられなくなる」
「それを必死に阻んでいるのだと思いますよ。外務省も軍の息のかかった人物が多いですから」
「それもそうだが……。しかし外務長官に兄が、軍務省海軍長官に弟の方が就任する時代が来たら、この国も大分まっとうな国になるだろうな」
「いずれそうなってくれることを期待していますよ。彼等の場合、無理難題ではありませんからね」
   まだフェルディナントもハインリヒも若く、そのため軽んじられる傾向があるが、ロートリンゲン家の出身ということは大きい。あの二人は優秀だから、周囲も軽視していられなくなる。あと数年もすれば発言権も高まってくるだろう。
「ところでジャン、今日の仕事は終わりか? 夕食を一緒にどうだ?」
「残念ながら、今日中に処理をしなければならない案件があるんですよ。申し訳ないのですが」
「そうか。それは残念だ。相変わらず忙しいのだな」
「上官の尻拭いです。今日中に処理を済ませて外務省に提出して、明日打ち合わせて、明後日には新ロシアに出張ですよ。これで協定の話が白紙に戻されたら、辺境地への異動が待ち受けてます」
「やれやれ……。いつもながら危ない綱渡りをしているな、お前は」
「やりたくてやっている訳ではないのですけどね。上はどうしても私を追い落としたいようで」
「昇進して大将となり五年が経てば、お前は一番陸軍長官に近い人物となる。上官が邪魔をしているだけで、功績は大将級だ。フォン・シェリング大将に取り入るような人物なら兎も角、その真逆となれば今全力でお前を排除しておかなければという気持にもなるだろう」
「雑用・雑務係に大将の称号は必要無いですよ。ザカ中将こそ、そろそろ昇進の頃合いでは?」
   ザカ中将は自分のことを棚に上げて話をするが、ザカ中将の功績も相当なものだ。海軍中将という立場ながら、功績は大将級で、そもそも本人が希望しなければ本部にずっと在籍していただろう。
「本部と支部では事情が異なる。私が此処で大将となったら、必ず異動を命じられる。重要支部なら兎も角、支部長というのは中将の職だからな。私はまだ此処から動きたくないんだ。子供を育てるには良い環境だからな。当分このままで良い」
「……公私が見事に混同していますが」
「元帥のようなことを言うな。昇進の件はもう少しウィリーが大きくなったら考えることにしている」
   成程、元帥はザカ中将にも昇級の話を持ちかけたのだろう。ザカ中将こそ、大将となれば長官に近い人物となる。
「では私もザカ中将が本部に戻ってきたら、昇進を考えますよ」
   そう告げると、ザカ中将は苦笑した。

   本部に戻って来たのは、午後七時を過ぎてからだった。出張に出る前は机の上の書類を全て処理しておいたのだが、また未処理の書類が積み上がっている。面倒になった書類を此方に寄越してきたのだろう。
「まったく明日決裁のものもあるじゃないか」
   この杜撰さには辟易する。しかし文句を呟くよりも、早く処理を済ませておかなければならない。
   椅子に座り、明日決裁のものから処理を進めていく。それらを終えてから時計を見ると、午後八時だった。あと少し片付けてしまうか――。
   そうして処理を進め全ての書類を纏め終えた時のことだった。扉が開いた。もう午後九時を過ぎている。こんな時間に一体誰が――と顔を上げたところ。
「お疲れ様です、ヴァロワ卿。……今日は出張先からそのまま帰宅なさるのかと思ってました」
   ハインリヒが書類を持って現れた。まだ残っていたのか。
「処理を残した書類があってな。ハインリヒこそ、残業とは珍しいな」
「少し調べたいことがあって……。今迄資料室に居たら、九時を過ぎたからと言って追い出されてしまいました」
「開室が九時までだからな。資料室は5分前から退室を促される。調べごとは急ぎか?」
「いいえ。急ぎではないので、明日また行ってみます。ヴァロワ卿はまだ仕事が?」
「いや、これから帰る」
   ハインリヒも帰宅するとのことで、共に軍務局を出た。道すがら仕事の話をしたが、どうやら上手くやっているようだった。この様子ならもう心配無いだろう。軍務局で自分が何を為すべきなのか解ったようだった。きっと来年にはまた昇級出来るだろう。
「またあの時のように四人で担当する任務があったら良いのに……といつも思います」
   ハインリヒがあの時のことを語る。そうだな――と返した。私自身、失敗の出来ない仕事だと解りつつも、ある意味では気楽だった。無用な心配をせず、仕事に打ち込むことが出来た。
   また四人で――か。
   ハインリヒと別れ、そのことを思い返すと、笑みが零れた。

【End】



[2011.4.7]
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