ヴァロワ卿はロイを推薦したいと言った。
「……ヴァロワ卿。私も若くして宰相となった身ですが、そのために様々な方を敵に回しました。ロイの能力を高く評価していただけるのは私としても嬉しいですが、まだロイは……」
「若いが、海軍のなかで長官に相応しい実績のある人間はハインリヒしかいない。ちょうど先月で大将となって5年が経っただろう。私はいずれ機会があれば、ハインリヒを推薦しようとずっと考えていた」
   時期がきたということだ――とヴァロワ卿は言う。
   ヴァロワ卿は馴れ合いでこんなことを言う人ではない。海軍内での適任者がロイしかいないというのは本当かもしれない。本部内の海軍大将を思い起こしても、職歴は足りるとはいえ、実績があまり無い。
「宰相室の人事データで、現在海軍大将にある者達の功績を一覧表にしてみると良い。ハインリヒが抜きん出ていることは明らかだ。特に本部内海軍大将はな。たとえ支部を含めたとしてもハインリヒが一番だろう」
「……ロイが海軍長官となると、ロートリンゲン家が他家を圧倒しているようにも見えてしまうのです。私達にその意図はなくとも……」
「上に立つに相応しい能力があるというだけのことだ。地位を利用して利益を得ている訳でもあるまい。堂々としていれば良いんだ」
   ヴァロワ卿はそう言ったが、私にはまだ躊躇があった。旧領主家のなかで1家のみが突出して権力を持つことは、皇帝も恐れていることではないだろうか。それに旧領主家との関係においても好ましいことではない。
「ディールス大将の辞職ということで、フォン・シェリング大将はもう動いているだろう。次の長官に誰を据えるかとな」
「ディールス大将は、まだ報せていないと仰っていました。辞職は誰に促されたでもなく、ディールス大将自身の意図で決めたことだと」
「そうか……。御自身は今後のことをどう考えていたのだろうな。それともまるで考えていなかったか」
「それが……、ロイを海軍長官にと。しかし表向きには推薦出来ないとも仰っていました」
「ならば宰相にハインリヒを指名するよう告げたも同然だろう」
   コンコンと扉が叩かれる。オスヴァルトが姿を現して、ヴァロワ卿に向かって言った。
「ヴァロワ長官、軍務省からお電話が入っていますよ」
「済まない。長居してしまったな。すぐに戻ると伝えてくれ。……と、宰相。この書類の件についても話をしたいのだが、私はこれから会議が入っている。済まないが、空いている時間を教えてくれないか?」
「今日はこれから陛下の許に行って、その後、財務長官と内務長官が来る予定です。5時頃であれば空いています」
「解った。その頃にもう一度来させてもらう」
   ヴァロワ卿は失礼したと言って、退室する。入れ替わりに、オスヴァルトが書類を携えて入室した。署名が欲しいという。書類に眼を通し、署名を施す。時計を見ると、そろそろ皇帝の執務室に行かなければならない時間となっていた。
「オスヴァルト。海軍大将の経歴を一覧表に出してもらえるか?」
「解りました。……何か人選でも?」
「海軍長官が辞表を提出した。急ぎ、後任人事を行う必要がある」
   これにはオスヴァルトも驚いた様子だった。
   皇帝にも海軍長官が辞職するということは伝えなくてはならない。


「イザークが辞職?」
   ディールス大将が辞職の意向を示しているということを伝えると、皇帝は些か驚いた様子で聞き返した。
「はい。つい先程、私の許に辞表提出をなさいました。引き止めたのですが、ディールス大将の意志は固いようです」
   皇帝はイザークがか、と呟いて、それから思案するような表情になった。
「仕方の無いことかもしれんな。イザークは人は好いがフリデリックに振り回されていた感がある。このところ陸軍が急進的な改革を行っているとのことで、フリデリックが余計にイザークを頼っていたのだろう」
   皇帝は人を見る眼がある。ただ黙って皇帝の座に居るだけでなく、人をよく観察している。余程のことがないかぎり人事に口出しをしないが、時に鋭い指摘をすることもある。
「それで、後任には誰を? まだ決めておらぬのか?」
「はい。出来れば今月中には決めたいと考えているのですが……」
「ハインリヒは? まだ大将となって5年が経たぬか?」
   皇帝は即座にロイの名を出した。そのことに驚いて見返すと、適任ではないか――と返される。
「しかし……、弟はまだ年若く、加えてロートリンゲン家から宰相と海軍長官を同時に輩出したとなれば、他家との協調を乱すことにもなりましょう」
「年若いと言ってもフェルディナント、お前が宰相となった時ほどではないぞ。それに他家との協調といっても、才能ある者がその地位に就くというだけだ。ロートリンゲン家は才溢れる者を二人も輩出出来た、それは事実ではないか」
「弟を評価していただけるのは私としても喜ばしいことです。ですが……」
「長官として一番適任と思える者を選びなさい。それが結果としてハインリヒだったとしたら、それはそれで良いではないか。私はおそらくそうなると思うぞ」
   結局、皇帝からもロイを推される形となった。


   長官に任命されるまでには、長官採用試験を突破しなくてはならない。宰相室で各省長官の監視する許、筆記試験を行い、その後、皇帝からの試問が課せられる。そのどちらにも私が立ち合うことになる。
   だがロイがその試験を受けることになるとしたら、公正を期すために、私以外の誰かに立ち合ってもらうしかない。しかしそれよりも先に、本当に適任者が居ないのか確認しなければ――。
「閣下。先程仰っていた一覧表を持って参りました」
「ありがとう」
   オスヴァルトからそれを受け取る。海軍部大将は現在20名。そして経歴をざっと見ると――。
「ロートリンゲン大将がどなたよりも抜きん出ていますよ」
   私の側でオスヴァルトがそう言った。その通りだ。ロイの経歴が鮮やかに並んでいる。
   その内容を見ても、ヴァロワ卿の言っていた通り、長官として相応しいもので――。
「これだけ見ると……、ロイということになるな。……このクリスト・ヘルダーリン大将も随分功績のある人物だが……」
「ロートリンゲン大将の次がヘルダーリン大将ですね。ですが、今は支部在籍ですから……。如何に支部長といえど、すぐに長官には任命出来ませんよ。まずは本部に戻っていただかないと……」
「それはそうだが……」
   海軍大将の経歴を丁寧に見ていく。客観的に見てもロイが適任であることは一目瞭然だった。それにしても、目立った功績の無い者が大将に任じられているような――そんな風に見える。
「オスヴァルト。陸軍大将の経歴も一覧にしてもらえるか?」
「……陸軍部から海軍長官を推薦するおつもりですか!?」
   いや、そうではない――と苦笑混じりに返す。流石に私でもそれは無謀だと解っている。オスヴァルトはそうですよね――と肩を竦めた。
「別件で少し気にかかることがある」
   陸軍部の大将は、それなりに功績の多い者が任命されていたように思う。それに比べると、海軍部の上層部は少し違うように思えた。


[2011.3.20]
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