会議が終わると、早々にフォン・シェリング大将の一派が退出する。宰相は机の上の書類を纏めてから立ち上がった。
「ヴァロワ卿。お忙しいところ申し訳ないのですが、今から宰相室に来ていただけますか?」
   解った――と応えるヴァロワ大将はあまりに自然だった。付き合いが深いのだろう。だが馴れ合いともまた違うような――。
   ふと宰相が此方を見た。
「ウールマン大将ですね」
   声をかけられて驚いた。俺は彼に着任の挨拶すらしていない。必要最小限の――軍務省内部でしか挨拶していないのだが。
「先月付で参謀本部に配属となりましたリーンハルト・ウールマン大将です。宰相閣下」
「ラッカ支部でのご活躍は伺っています。是非貴卿の指揮を参謀本部で発揮して下さい」
   敬礼して応えると、宰相は穏和な笑みを浮かべて、あの時お会いした方ですね――と言った。あんなにもさりげないことだったのに憶えていたのか。
「その節はどうも……。まさか宰相閣下とは存じ上げず、失礼しました」
   気付けば会議室には、宰相とヴァロワ大将しか残っていなかった。
「面識が?」
「ええ。邸の近くで一度お会いしたことが。可愛らしい娘御殿とも」
「……お子さんがいらっしゃったのですか?」
   ヴァロワ大将は驚いて言った。この年だから子供が居てもおかしくないのだが、まったくそのことを失念していたかのようだった。
「ええ。娘が一人」
「それは……、申し訳無かった。あのような時期の辞令で、引っ越しも大変だったでしょう」
   意外だったが、ヴァロワ大将は本当に済まなさそうに詫びた。
   思うに、ヴァロワ大将という人物は、おそらく見たままの人間だ。裏表の無い、影で動くことのない、謂わばこの国では珍しい類の人間だ。
「大丈夫ですよ。まだ小さいので状況も解っていませんし、引越が嬉しかったようではしゃいでいました」
   そう応えるとヴァロワ大将は安堵したように笑み、宰相も微笑した。
「ヴァロワ卿は是非ともウールマン大将を参謀本部長に任命したいと、奔走してらしたのですよ。これ以上の適任者は居ないと言って。ですから私も一度お会いしてみたかったのです」

   宰相はどのような人物だろうか。まだ掴みきれないところがあるが――。
   ヴァロワ大将が慕う人物だということを考えれば、もしかしたら同じように誠実な人間なのかもしれない。だから真っ向からフォン・シェリング大将と張り合えるのか。
   彼の父親のロートリンゲン元帥も、厳しい人だったと噂で聞いたことがある。本当に実力が無ければ、昇級試験を受けさせてくれない――と。
「軍務省は今、色々と騒がしく、なかなか思い通りにならないことも多いかと思います。ウールマン大将、苦労をかけることになると思いますが、お力をお貸しください」
   宰相がこんなことを言うとは――。
   この人は本当に帝国を変えようとしているのだろう。ただ単に、宰相の座に座っている訳ではない。
「力を尽くさせていただきます」



   ヴァロワ大将と宰相は同じものを目指している。そしてそれは俺の考えと相容れないものではない。むしろ、彼等の理想には敬意を表する。彼等に少しでも尽力するならば、俺はまず、この参謀本部で確たる位置を示さなければならない。今はまだ、参謀本部内の飾り物に過ぎないのだから。
   参謀本部は、エリート集団が多く、加えてフォン・シェリング大将の息のかかった者が多い。だが元々はそうではなかった筈だ。此処は長年、ロートリンゲン元帥が本部長を務めていたところで、なかなか厳しい部署だったと聞いている。あの頃は、ロートリンゲン元帥が厳しく眼を光らせていたのだろう。それにあの当時のやり手の将官達は、それぞれ大将や中将として、別の部署に配属され、なかなかの実績を残している。
   ロートリンゲン元帥の退官以後、フォン・シェリング大将の一派が参謀本部を牛耳るようになった。其処へ、ヴァロワ大将が陸軍長官となり、大幅な人事異動を遂行した。支部に居た俺を、いきなり参謀本部長に抜擢したように。
   そのことは、当然ながら参謀本部でもすんなりとは受け入れられなかった。たとえ全員がフォン・シェリング派ではないとしても、俺自身の実力を彼等に見せなければ、此処では認められない。
   特に、俺は士官学校の幼年コース出身ではない。参謀本部長は代々、幼年コース出身者だったということも、部下達の不満を募らせているのだろう。
「今度の陛下の視察について、護衛の件だが」
   副官に問い掛けると、彼は既に整えてあります――と応えた。
「どのように? 計画書を持って来てくれ」
「計画書はまだ提出されていません。陛下護衛の件については、トニトゥルス隊に一任してあります」
「一任? このような重要事項をか?」
「トニトゥルス隊は勇猛果敢ですが、一方で此方が指揮権を持つことを嫌がります。何かあれば隊長に責任を負わせることにして、全てを任せているのです」
   つまり手に余っているということか。それを放任しておくということは、トニトゥルス隊は命じられたことは必ず成し遂げてきたのだろう。実力を認めざるを得なかったといったところか。
「ならば隊長を私の執務室に呼んでくれ」
「……手なずけることは出来ないと思いますが」
「計画の段取りぐらいは知っておきたい。今すぐ此方に呼んでくれ」
   副官の中将は少し呆れながら退室する。
   トニトゥルス隊については支部に居た頃も何度か耳にしたことがある。帝国が誇る特殊部隊、特務派のなかでも一番武に秀でた者達が集う部隊だが、数年前からは――具体的にはロートリンゲン元帥が退官してからは――、参謀本部からも孤立している、と。

   元々、トニトゥルス隊含む特務派をロートリンゲン元帥が兼任したことから、この隊は参謀本部直属となっている。きっとその当時は参謀長に指揮権があって、トニトゥルス隊を動かしていたのだろう。元帥の功績はトニトゥルス隊と共にある。したがって、元々は参謀本部長と密接に連携出来ていた。
   おそらくは前本部長と折り合いが悪かったのだろう。前本部長は無能ではないが、フォン・シェリング派で保守的な人だった。実力だけの栄転を嫌う人でもあったから――。

   扉がコンコンと叩かれる。どうぞ――と応えると、大柄の男が扉を開いて此方を見、敬礼した。
「特務派トニトゥルス隊隊長、エリク・カサル大佐です」
「先月付で本部長に就任したリーンハルト・ウールマン大将だ。宜しく頼む」
   挨拶を交わし合う。カサル大佐は此方を凝と見、何用でしょうか――と尋ねた。
「陛下の視察時の護衛の件だが。計画書を提出してもらいたい」
   カサル大佐は暫く無言で此方を見、それから応えた。
「我等トニトゥルス隊に課せられた任務は、本隊で完結するのが恒例となっています。護衛の件についても三ヶ月前に前本部長閣下から命令を受け、本隊内で任務を完結することになっています」
「陛下の護衛という重要任務にも関わらず、トニトゥルス隊を率いる参謀本部がその計画案さえ未だ知らないという状況は奇妙なことだ。以後、計画案は全て私に提出するように」
   カサル大佐は黙り込む。不服がありそうだ。
「……現場の状況も知らず、本部で命令のみ発動されても、部隊は混乱し無用の被害をもたらします。なかには計画案を変更せざるを得ない状況のこともあるのです」
「一理あるな。だが、上官が把握しておくべきこともある。現場を知らない人間にとやかく言われたくないのだろうが、あくまで指揮権は私にあることを失念しないでもらいたい」
   カサル大佐は貫くような眼で俺を見つめる。彼は言うなれば実働部隊のトップだ。それに相応しい眼をしている。
「……計画案を明日、提出するように。それから今回の任務には私も同行する」
   カサル大佐は大きく眼を見開いた。反論しかけるのを制して告げる。
「何、君等の足を引っ張ることはない。この本部に来る前までは、私自身も外に出て指揮を執っていた」
「本部長閣下がお出になる幕でもありますまい」
「トニトゥルス隊の力をこの眼で見てみたいという興味もある。ではカサル大佐、計画書の提出を頼むぞ」


[2011.3.15]
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