風、そよぎて〜I



   参謀本部長に就任してひと月。
   毎日が目まぐるしく忙しかった。毎日持ち込まれる書類、それに合わせて過去の資料を読み返さなければならないことも多々ある。そのため帰宅がどうしても遅くなり、娘のルーツィアには嫌いとまで言い放たれてしまった。
   おまけに会議も多い。特に無駄に長いのが大将級会議だった。時間が惜しいのに、会議の開始時間を繰り上げる一派が居る。どうみてもそれはヴァロワ大将を愚弄した行為だった。大将のうち、ヴァロワ大将に味方するものが3分の1、今はまだ少数派で、ヴァロワ大将に敵対するフォン・シェリング派の勢いが強い。
   そんななかでも淡々と会議を進めるヴァロワ大将は、やはり大物なのだろう。どれだけ邪魔をされてもそれを牽制しつつ、冷静に物事を進める。そのヴァロワ大将を支えているのが若手の将官達――とくにロートリンゲン大将を中心とした将官達だった。

   今日もあと15分で会議開始時刻となる。そろそろ資料を纏めて会議室に向かわなければならない。またフォン・シェリング大将の一派は何やかやと理由をつけて開始を遅らせるつもりだろうか――。
   尤も、今日の会議は宰相も参加すると聞いている。あの若い宰相がどんな発言をするのか見物ではある。

   会議室に到着したのは、開始時刻の9時30分より5分早い9時25分だった。ロートリンゲン大将を中心とする将官達は、既にその場に来ていた。彼等に挨拶を交わしてから、陸軍側の将官が座る席に腰掛ける。ヴァロワ大将はまだ来ていないのだな――そう思っていたところへ、扉が開いて入室した。軽く目礼すると、ヴァロワ大将は目礼を返す。
「あと3分……。今回も集合が悪いな」
   ヴァロワ大将が時計を見ながら告げると、ロートリンゲン大将が言った。
「今回は余計にそうだと思いますよ。海軍長官が直前になって私に仕事を回してきました。そのまま机の上に放っておきましたが」
「ディールス大将にも困ったものだ。本意ではないのだろうが、頼まれたら断ることが出来ない」
   其処に5名の大将がやって来る。開始時刻二分前だった。彼等はヴァロワ大将に一礼してから着席する。これで何とか半数といったところか――。

   その直後だった。
   一度ノックの音が聞こえたと思ったら、あの若い宰相が入室した。全員が起立して敬礼する。
「遅れて申し訳ありません。陛下への謁見が長引いてしまいました」
   宰相はそう言ってヴァロワ大将の隣に向かう。遅れたといっても、開始時刻ぎりぎりで、大将達はまだ半数が来ていないが――。
「大丈夫ですよ、宰相。まだ開始していません」
   ヴァロワ大将が宰相を見て告げると、宰相は幾許か安堵した様子で微笑んだ。
   宰相とこうして顔を合わせるのは初めてだが、まさかあの日顔を合わせたことを覚えてはいまい。あの時は軍服を着ていなかったのだし――。
「ヴァロワ大将、空席が目立ちますが……」
「申し訳ありません。一部の大将が遅刻しております」
   宰相は大将の面々を確認するように席を見渡した。俺の方を見た時、傍と視線が止まったように感じたが、気のせいだろうか。
   その時、会議室の電話が鳴った。ヴァロワ大将の側に居た大将が電話を取る。通話を終えてから、ヴァロワ大将を見て言った。
「ディールス長官、フォン・シェリング大将以下、会議参加予定の大将8名が急用のため、遅れるそうです」
   何の急用なのだか――。
   これでまた開始が遅れるな――そう思っていたところ。

「では彼等抜きで会議を始めましょう」
   宰相はきっぱりと言った。そんなことをしたら、後でフォン・シェリング派からの仕返しがあるだろうに――。
   それに半数が不在となると、会議決定に支障が生じるのではないだろうか。
「宰相。会議参加者が半数であるため、決定が出来ません」
「今回の会議は重要な決定をするので、時間を空けておくようにと通達してある筈です。急用といっても取ってつけたような理由でしょう。今回はこの場にお集まり頂いた大将方の三分の二に賛同願えれば決定したと見なし、決定事項には私が責任を持ちます」
   若いのに、思い切ったことを言う人だ――。
   一見すると意見など言えないような柔な男に見えるのに、フォン・シェリング大将を真っ向から敵に回しても構わないという態度を取る。
   驚くべきことだ。あのフォン・シェリング大将に逆らえるとは。
   フォン・シェリング家に対抗できるロートリンゲン家の人間だからか。それとも、彼自身の持つひとつのカリスマ性か――。
「私がこのあと続けて会議があるのでやむを得なかったと、欠席者にはお伝え下さい」
「解りました」

   会議は何事も無かったように始まった。財務担当の大将がまず報告をする。それを受けてヴァロワ大将が陸軍の状況を語る。海軍大臣のディールス長官の代わりに、軍務局司令官であるロートリンゲン大将が報告する。
   本部には有能な人材が多いことは確かだが、旧領主に取り入る者が出世する場でもあるから、有能といってもそれほどでもあるまいと高を括っていたのだが――。
   今此処に集っている大将達は、流石に頭の回転が速い。宰相からの質問に、資料を提示しながら滞りなくと答える。宰相も宰相で、次から次へとよくこんなに頭が回転するものだと感心する。
「海軍部における機密費が陸軍部の約2.9倍となっています。この使途と説明は?」
「使途について調査したところ、機密費の8割が武器製造費として計上され、残り2割が外交政策費を主とする交際費として計上されています」
   宰相の質問にロートリンゲン大将が答える。その企業は――との質問に、ロートリンゲン大将が答えようとした時、会議室の扉が開いた。
「遅れて失礼した」
   フォン・シェリング大将やディールス長官達が、ぞろぞろとやって来る。尤もディールス長官は額に汗をかきながら、おずおずとヴァロワ大将の隣に腰を下ろした。
「資料19ページを御覧頂きたい」
   ヴァロワ大将がそう告げ、ディールス長官はすぐにそのページを開く。何故もう始まっているのか――とフォン・シェリング大将が苦言を漏らした時、ヴァロワ大将が言った。
「今日はこの会議を最優先するよう通達した筈です。また、宰相もこの後、別件の会議があるとのことで先に始めました」
   フォン・シェリング大将がぎろりとヴァロワ大将を睨み付ける。ところがそのヴァロワ大将の平然たること。
「ロートリンゲン大将、報告を続けてくれ」
   ヴァロワ大将が促すと、ロートリンゲン大将ははいと返事をしてから言った。
「武器製造費として送金されている企業はデア社、ファティ社、グレードナー社、グーテンソン社、この4社です」
   フォン・シェリング大将の表情がぴくりと動いてロートリンゲン大将を見遣る。どう見ても悪人の顔だ。察するに、今名の挙がった企業はフォン・シェリング家と関係が深いのだろう。
「それぞれについての具体的な費用細目は? この点に関しては財務省からも質問が届いていますので、ディールス大将にお答え願いたいのですが」
   ディールス大将は一度宰相を見遣り、それから言葉を濁した。なかなか答えようとしない彼に、ヴァロワ大将が宰相の方を見て、発言を宜しいですか、と尋ねる。
「デア社、ファティ社、グレードナー社、グーテンソン社は費用細目に怪しい点がありましたので、陸軍では今年、機密費での歳出をカットしました。陸軍の2.9倍ということは、その分が海軍に計上されているのでは?」
   成程、フォン・シェリング大将がディールス長官にねじ込んだのだろう。未だ何も答えないディールス大将に向かって、宰相は言った。
「大きな戦争も無いのに、武器製造費ばかりがこの10年跳ねあがっています。海軍部から昨年度以上の計上を求められたと財務大臣から聞いていましたが、不明瞭な使途では計上は認められない。ディールス大将、貴方がお答え出来ないのならば、今回の機密費の計上は見送らせていただきます」
「如何に宰相とはいえ、機密費にまで難癖をつけるのは如何かと思いますぞ」
   この時、フォン・シェリング大将がはじめて発言した。宰相の言葉を難癖とは。
「国防上、表向きには伏せておくべき事項もある。他国との交渉においても機密事項は多々あったことは、外交官であった貴卿にもお解りでしょう」
「不正を糺すために、内部の会議においては機密費の細目を掲げるのが筋でしょう」
「陸軍には陸軍、海軍には海軍のやり方がある。双方が無闇に口出しするのは好ましくないと考えるが?」
「陸軍と海軍、連携を取ることこそ国防上の最重要事項です。何も競い合うために陸・海に分けた訳ではないのですから。……機密費の細目を掲げたものを後でご提出下さい、ディールス大将」
「……御意」
   ディールス長官が応える。このディールス長官は長官に相応しくない人物だった。人は良さそうだが――。

   その後も宰相は鋭い質問を浴びせ、フォン・シェリング大将の顔色がみるみるうちに変わっていくこともあった。
   こんなに面白い会議は初めてだった。


[2011.3.10]
1<<Next
Galleryへ戻る