カサル大佐は翌日の朝、計画案を提出した。一覧したところ、綿密に計画が立てられていて非の打ち所がない。彼等がこれまで完璧に任務をこなしてきたことを表していた。
「閣下は本当に小官共と同行なさるおつもりですか?」
「ああ。もう時間は割いてある。不服か?」
   問い返すと、カサル大佐は否定はしなかった。不服だということだろう。
「失礼ですが、閣下は体技には自信がおありですか? それ次第では、閣下を護衛するために増員の必要も出て来ます」
「自分の身は自分で守れる。もし足手纏いだと感じたら、その場に見捨てていくと良い」
   そう返すと、カサル大佐は困ったような顔をした。このカサル大佐は、決して人の悪い男ではないのだろう。職務に忠実な男に違いない。この男の雰囲気は、ラッカ支部に居た頃の部下達に似ている――。
「心配せずとも大丈夫だ。これでも腕には自信がある」
   苦笑混じりにそう告げると、カサル大佐は失礼しましたと一礼する。当日の打ち合わせを済ませてから、彼を退室させた。


   皇帝陛下は時折、視察に出掛ける。
   街の様子を窺う程度のものだが、その際には厳重な警備網が敷かれる。それを指揮するのが参謀本部特務派所属トニトゥルス隊だった。
   当日にあたるこの日、彼等と初めて顔を合わせた。皆、それぞれに修羅場を潜り抜けてきたようで、本部内の雰囲気と少し違う。此方まで気の引き締まるような思いがする。
「閣下。私の側からお離れになりませんように」
   カサル大佐が念を押すように俺に告げる。どうやら私の腕を信用していないらしい。
   カサル大佐と俺は、陛下の側で護衛を務めることになっていた。皇帝陛下の姿は初めて見たが、柔な人間にも見えなかった。そしてこの日、陛下の側には宰相も控えていた。
   出立前に陛下の前で挨拶をする。跪くと、宰相の声が聞こえて来た。
「陛下。陸軍部の新しい参謀本部長、リーンハルト・ウールマン大将です」
「見かけぬ顔だと思っていたところだ。成程、そなたがウールマン大将か」
「お初にお目にかかります。今日一日、護衛を務めさせていただきます」
「宜しく頼むぞ。本部長自ら護衛の任に当たるとは、フランツ以来だ」
   フランツ……とは誰のことだろう。一瞬考えてすぐに思い当たった。ロートリンゲン元帥のことだ。そうなると、前任の本部長は護衛に付き添ったことが無いのだろう。
「知っておったか? フェルディナント」
「父から一度聞いたことがありました」
   宰相は陛下のお気に入りだと噂で聞いたことがある。確かにそれが窺えた。宰相は特に陛下をあげつらっている訳ではないが、陛下の問い掛けに言い淀むことなく応える。もしかしたら、陛下は宰相のそういう点を気に入っているのかもしれない。

   出立しても陛下は宰相とずっと語り合っていた。街中に入ると、車の速度を落とし、陛下は中から外の様子を見遣る。時折、手を振りながら沿道の人々に応える。
   皇帝陛下に付き添う俺やカサル大佐の他、沿道周辺にもトニトゥルス隊の隊員達を配置している。彼等からもたらされる情報からも、何も異常は無かった。
そして、あと少しで視察の行程が終わるというところで、不審者発見という報せが届いた。カサル大佐と顔を見合わせ、辺りを探る。陛下と宰相が公園前で市長と語り合っている最中のことだった。
   俺の視界に異様な男の姿が映った。此方を凝と見つめている。それは単なる観客の視線では無くて――。
「カサル大佐」
   あれはきっと武器を持っている――それを確信してから、カサル大佐に声をかけた。
「私の左手前方50メートル程先に、挙動不審な男が居る。黒いジャケットを着た銀髪の男だ。取り押さえてくれるか」
「了解しました」
   カサル大佐がそっと離れていく。陛下と市長はまだ話を続けていた。宰相には一言伝えておいた方が良いだろう。幸いにして今、陛下から一歩下がった場所に控えている。
「宰相閣下。不審者が数名居るようです。陛下には出来るだけお早く、車に戻られますよう」
   声を潜めて伝えると、宰相は解った、と短く応えた。陛下と市長の会話にさりげなく入り、陛下に時間が来たことを伝える。陛下は頷いて市長に別れを告げ、最後に握手を交わした。
   その時、カサル大佐から通信が入った。
「閣下。先程の不審者を確保しました。拳銃を所有しています」
「仲間は?」
「他の隊員達に周辺を探らせています」
「そうか。ならば高層ビルの内部も探ってくれ。カサル大佐、君が確保した犯人は見張り役か、それとも万が一失敗した時の代役に過ぎない。おそらく遠くから陛下を狙っている奴が居るだろう。この場所と沿道では高層ビル内部からの発砲が一番目立ちにくい」
「了解しました」
   カサル大佐との通信が切れる。細心の注意を払いながら、陛下と宰相を車に乗せる。同じ車に乗り込み、辺りを探っていると、カサル大佐から犯人を確保しました――と連絡が入った。
   俺の考えていた通りだった。高層ビルから銃口を此方に向けていたらしい。
「御苦労だった。引き続き警戒を」
「何かあったのか」
   背後から陛下が問い掛ける。不審者を数名、確保しました――と告げると、陛下はそうかと静かに頷いた。



「閣下。拳銃等武器を所持していた5名の身柄を確保、現在、警務官が尋問を行っております。その他の異常はありません」
   陛下が宮殿に戻り、漸く一段落したところで、本部長室に戻った。カサル大佐が直後に部屋にやって来て報告を行った。
「そうか。隊員達への被害は?」
「ありません」
「良かった。では明日にでも報告書を作成して提出してくれ」
「あの、閣下」
   カサル大佐は俺を見て、すっと背を伸ばし敬礼した。
「閣下のご慧眼に感服しました。トニトゥルス隊一同、以後、閣下の指揮に従います」
   どうやら、トニトゥルス隊には俺のことを認めてもらえたらしい。何か特別なことをした訳ではないが、足手纏いにはならないと判断してくれたのだろう。
「ありがとう。これからも宜しく頼む」
   立ち上がり、手を差し出す。カサル大佐はふと笑みを浮かべてから、手を出した。握手を交わし合う。



   一方、参謀本部室の方はまだ信頼を得られていない状況だった。それどころか、俺への風当たりは日増しに強くなっていく。どうやら、ヴァロワ大将に近しい人間としてレッテルを貼られ、フォン・シェリング派の将官達から嫌われているようだった。
   人員配置の変更届けをヴァロワ大将に申し出ることも出来るが――。
   そうしたところで、また新たな揉め事が起きるだけだろう。此方はもう少し静観する必要がありそうだ。

   それでも――。
   この軍務省が変わりつつあるのではないかとは、俺自身、肌で感じつつある。小さな、些細な変化かもしれないが、それが継続してくれることを祈りながら、俺自身、この状況下で出来ることを務めよう。
「此方の報告書をまだ受け取っていないが、担当は誰だ?」
   あからさまに報告書を提出しない部下も居る。しかしこんなことで怯んでもいられない。
   そう考えながら、参謀本部室で毎日格闘している――。

【End】


[2011.3.15]
Back>>3<<End
Galleryへ戻る