「ラッカ支部長リーンハルト・ウールマン大将です。お出迎えもせず、申し訳御座いません」
   応接室に入り、敬礼をして名乗る。
   こうして会うのは学生時代以来ではないだろうか。学生時代に会ったといっても、ちらちらと姿を見かける程度だが。
   ソファに腰掛けていたジャン・ヴァロワ大将は立ち上がり、敬礼した。随分、丁寧なことだ。年齢では此方が上でも、格は下なのに。
「このたび陸軍長官に就任しましたジャン・ヴァロワ大将です。突然の来訪、失礼しました」
「遅ればせながら、就任、おめでとうございます」
   まさか就任の挨拶回りということもあるまい。本部内でそういうことはあっても、そのために支部を回るとも考えにくい。それも新トルコ王国との国境であるこの辺境地域まで。
「ありがとうございます。今日は貴卿にお願いがあって参りました。少しお話したいのですが、お時間を割いて頂けますか?」
   思っていたより、丁寧な男だった。だからロートリンゲン元帥に気に入られたのか。
   ソファに腰掛けると、彼は辞令を見て頂けましたか――と問い掛けてくる。やはりあれは間違いでは無かったということだろう。
「何らかの間違いかと思っていました。このような辺境地域の一支部長に見合わない異動でしたので」
   少し言葉に刺があるだろうか。しかし、彼の本心を聞き出してみたかった。どんな人間か知りたい。
   ヴァロワ大将は俺を見つめ、私が独断で決めました――と言った。
   独断?
   あの人事を独断で決めた、だと?

「今の陸軍内で参謀本部長に一番相応しい人物は、ウールマン大将だと判断しました。二年前の南方域での有事の際、隊員の犠牲を最小限に留めながら、任務を完了なさった。五年前の有事の際も、大部隊を率いて国境から敵を下がらせた。しかもこの時は実質的には不戦だったと聞いています。このラッカで新トルコ王国の軍と衝突になりかけた時もありながら、平和的に交渉を続けたこともあると聞き及んでいます」
   この男――。
   二年前のことは俺の功績として勲章も貰ったが、五年前の時は上官の功績として俺の名は出なかったのに――。
   おまけに新トルコ王国との交渉のことは、この支部内の人間以外は知らない筈――。

   誰から情報を得ている?

「……五年前の有事のことは、当時の上官の功労と記憶しているが……」
「ウールマン大将が陣形を張ったのだろうことはすぐに解りました。……古い話ですが、士官学校時代にウールマン大将の指揮を拝見したことがありましたので。それに当時の上官の戦法とは異なっていますし」
   言葉が出なかった。
   ただ単に暗い男なのではなく、あの頃から全てを見ていたというのか。
「長官は、将官一人一人の戦法を全て頭に入れているとでも?」
「全員とは申しませんが大凡は。ウールマン大将がこのラッカを離れることは、ラッカにとって痛手でしょうが、どうか本部で本領を発揮して頂きたいと思っているのです」
   このたびの陸軍長官は、とんでもなく大物かもしれない。
   ロートリンゲン元帥が支援しているという噂もあったが、もしかしたら元帥は彼の有能さに気付いて支援したのではないだろうか。加えて、他の派閥との繋がりも無い。
「……私を説得するために、わざわざこの遠いラッカまでいらしたと?」
「是非とも首を縦に振ってほしく参りました。……先約をいれると、断られてしまうかとも案じましたので、連絡も入れませんでした。お忙しい時に申し訳ありません」
   確かに、こうして長官自ら就任を依頼に来たとなれば、すぐに断ることは出来ないではないか――。
   俺は此処での気儘な支部長生活が気に入っているのに。わざわざ派閥抗争の激しい本部で、骨を折れと?
「……私は支部での気儘な仕事が向いています。本部は色々と騒がしい」
「その点は重々承知しております。……私自身、支部に所属していた頃は気儘な日々を送っておりました。本部に在籍となった当初は、支部に戻りたいと何度も思いました」
「……興味があるのでお尋ねするが、私の印象では、卿は出世を望んでいるようには見えなかった。それが何故、長官の指名を? ……噂ではロートリンゲン元帥閣下が背後に居たと聞いているが……」
   此処まで尋ねられるのは年上の特権というものだろう。いや、それでもあまりに率直に尋ねすぎただろうか。
   まあ嫌われても良い。
   彼の回答次第では参謀本部長の話は断ろう。だがその一方で、もしかしたらこの男は何かとんでもないことをしでかしてくれるかもしれない――という期待感も抱いている。俺の期待に値する男なら、要請を受けても良い――。

   ヴァロワ大将は数秒俺を見つめ、それから平然とした様子で言った。
「貴卿のご指摘通り、私は出世を望んでいませんでした。将官となった時点で充分だと思っていました。何処か遠い支部で派閥抗争に加わるでもなく、のんびりと退職まで過ごそうとずっと考えていたのですが、ふとしたことから本部に転属が決まり、以後ずっと競争の激しい本部に籍を置いておりました。そんななかで仕事を進めていると、此方は意図せずとも同じ競争の土台に乗っていると思われます。そして一刻も早く進めなければならない仕事を邪魔される――。国の防衛を預かる場でありながら、ただ己の利益のためだけに動く人間が多すぎるのです。何よりも旧領主家の力が強すぎて、彼等の利害に応じ、方針を変えなくてはならない有様です」
   頷ける話だった。だから俺は本部に所属したくなかった。出来るだけ本部から遠い場所で、退職まで勤め上げれば――と。
「そうした状況のなか、彼等に追随するでもなく、ただのうのうと一将官であり続けようと考えていたところ、私の背を押してくれた人物が居ました。それが嘗て私の上官だったアントン中将と、ロートリンゲン元帥閣下です。お察しの通り、長官となれたのはロートリンゲン元帥閣下の推薦があってのことです。はじめは辞退を考えましたが、軍を変えるには任命を受けた方が良いと考え直しました。大幅な人事を行ったのも、第一に軍を変えたいと考えてのことです。ウールマン大将、私は是非、貴卿の力をお借りしたい」

   ああ――。
   この男はやはり俺が思っていた通りの――。
   ロートリンゲン元帥の支援を受けたといっても、今の帝国下では当然のことだ。旧領主の推薦なくば昇級さえままならないのだから――。
   ロートリンゲン元帥はこの男を高く評価したのだろう。暗い男だと思っていたが、明快に物を言う男だ。ただ単に机上の学問が優秀だというだけではない。この男は今迄静かに、内部の状況を見つめてきたのだろう――。
   眠れる獅子が目覚めたといったところか。
   この男の下で働くのなら、上等ではないか――。

「妙なことを尋ねて失礼した」
「いいえ。私も突然貴卿を指名したので、当然の質問だと思っています」
「思っていた以上の回答を得られ満足しています。ヴァロワ大将、参謀本部長就任の話、お引き受けしましょう。茨の道だが、軍人としての意義を持って取り組める仕事を得られそうだ」
   ヴァロワ大将はこの時、安堵した表情を浮かべて、ありがとうございます――と手を差し出した。握手を交わし合う。
   此処での日々は、俺のような人間にとっては気儘で満足出来るものだった。本部はきっと息苦しい場所だろう。エリート面をした人間が多い。まずは参謀本部内を取りまとめるために奔走しなければならないだろう。
「ヴァロワ大将。ただひとつだけ気にかかることがあるのです」
「何でしょう?」
「このラッカ支部のことです。私の後任のラッカ支部長はどなたなのでしょう?」
   後任人事に口出しすべきではないことなのだが、此処に残していく部下達のために気にかかることだった。右も左も解らない人物が着任したとしても仕方の無いことだが、部下達を敵に回すような人物は避けてもらいたい。
「そのことなのですが、貴卿の副官のアルゴン少将の経歴を見たところ、充分に中将たるに相応しい人物だと思い、昇級試験を受けるよう命令を下しました。彼がそれに受諾してくれれば、彼を中将に昇級させ、このラッカ支部の支部長に任命するつもりです。上層部で大幅な人事を行ったので、出来るだけ支部には運営に影響の出ないようにと考えてのことです」
「そうでしたか。実は昨年にも彼に昇級を促したことがありましてな。彼はこの支部に残りたいがために昇級試験を断ったのです。ですが、今のようなことを彼に伝えれば、彼も納得して試験を受けるでしょう」
   此方から再度勧めてみます――と告げると、ヴァロワ大将は穏やかな表情で礼を述べ、出来るだけ早く帝都に来るよう求めてから、本部へと戻っていった。


[2011.1.15]
Back>>2<<Next
Galleryへ戻る