ヴァロワ大将が帰ってから、アルゴン少将を呼び、事情を説明して昇級試験を受けるよう告げた。アルゴン少将はそういうことならばと了承して、今週末に昇級試験を受けることとなった。
「受かってもらわなければこの支部の全員が困ると、プレッシャーをかけておこう」
「そんなことを仰らないで下さいよ。只でさえ久々の昇級試験なのですから……」
「冗談だ。君の能力なら充分だと俺は思っている。君の昇級試験を終えたら、俺は本部に行く。俺から君に引き継ぐことは、この部屋と机の中身ぐらいだ。仕事は副官としてずっと見てきたから解るだろう」
「そのようなことはないですよ。至らないことが多いので、引き継ぎの時間をもう少し取っていただきたいのですが……」
「そうしたかったが参謀本部の引き継ぎがある。此方も着任を急がされているんだ。遅くとも来週の頭には本部に来るようにとな」
「……突然の人事でしたね。……ですが、閣下が参謀本部長に抜擢されたことは納得出来ます。そもそもこんな辺境の支部に居るべき方ではありませんから……」
「此方のほうが精神衛生上は良い環境だがな。本部所属のエリート達に打ちのめされないよう、せいぜい頑張るよ」

   そして週末にアルゴン少将は昇級試験を受けた。本部から試験官が派遣され、私と試験官の立ち会いのもので、試験は実施された。試験官がその場で採点し、その結果を本部へと持ち帰る。おそらく来週中には彼は中将となることが出来るだろう。





「慌ただしい引越だったわね」
   週末、妻と子を引き連れて帝都へ引っ越した。そろそろ家を建てようか――と妻と話していたところに、帝都への異動が決まり、慌てて親子三人で住める物件を探して契約したところだった。
   本部から少し離れているが、一戸建ての家を購入することになった。妻が一目見てこの物件に惚れ込んだからだった。荷物を全てこの日に運び入れ、何とか住める環境が整った。まだ皿やらグラスやら衣服やらが梱包されたままだが――。
「リィン。軍服と鞄だけ出しておいて。あとは私が少しずつ片付けるわ」
   妻のマルグリットが箱からカップを三つ取り出しながら言う。だがこれだけ多くの荷物を一人で片付けるとなると大変なことだ。
「出来るだけ今日中に済ませてしまおう」
「もう夕方だもの。これからお買い物にも行かないといけないし、ルーツィアが暇を持てあまして暴れる寸前よ」
   娘のルーツィアを見遣る。先程まで人形で遊んでいたのだが、それに厭きて、側にある玩具を彼方此方に放り投げているところだった。
「……そうだな。済まないが後は頼む」
「のんびり気長に片付けるわ。着替えてから、買い物に行きましょう」
   着替えを済ませてルーツィアを抱き上げ、家から外に出る。大分日が傾いていた。これまで南方に居たこともあるのだろう。帝都の風は少し冷たく感じる。

   家を出て15分程歩いたところにショッピングセンターがある。日用品やら食糧品を買い込んでから、近くにあるレストランに入った。其処で食事を済ませてから帰途に着く。今日は一日ずっと慌ただしかったが、明日からはもっと忙しくなるのだろうな――そんなことを考えていた。
「ねえ、リィン。あそこに大きな御邸が見えるけど、宮殿のひとつ?」
   マルグリットが興味津々の態で、向かい側の通りの大きな邸を指す。宮殿は別の方向だから違うが、確かに大きな邸だ。一体誰の邸なのだろう――。
「旧領主の誰かではないか? それにしても城のような邸だな」
「うちの家なんかきっとお庭にすっぽり入ってしまうわね。……ねえ、少しだけ遠回りして近付いてみない?」
   マルグリットは好奇心を丸出しにして促す。あまり近付きたくは無いが、一体誰の邸宅なのかは気にかかった。まるで宮殿のように大きく立派で。
   大通りを過ぎてひとつ筋を入る。其処からは人通りも少なくなってくる。閑静な住宅街とでも言おうか。邸宅はさらにその先にあって――。
   高い塀が邸を取り囲んでいる。入口は向こう側にあるようだ。それにしても大きな邸宅だ。庭だけで、うちの家が3軒分は入るだろう。
「すごい邸宅ね。お掃除も大変そうだけど」
   些か不自然なので入口は通らず、そのまま邸宅を過ぎていった。旧領主家の邸宅などこれまで見る機会も無かったが、誰もがあんなにも広大な敷地を持っているのだろうか。
「ルーツィア、歩く」
   片腕に抱いていたルーツィアがいきなり歩くと言い出した。車の通りも少ないから良いだろうと思い、下ろすと、ルーツィアはとことこと歩き出す。マルグリットが手を繋ごうと荷物を抱え直す。その荷物を引き受けようとしていると、ルーツィアはいきなり走り出した。
「ルーツィア。走っては駄目だ!」
   車が来ないとも限らない。庭ならまだしも、二歳の子供が一人歩きするには危険な場所だ。ルーツィア、と呼び掛けると、ルーツィアは何かに躓いて転んだ。走り出されるよりは安堵したが、今度は泣き始める。
   マルグリットが小走りに向かうより先に、前方から歩いて来ていた若い男が駆け寄って、ルーツィアを抱き起こした。すみません――とマルグリットが告げる。   若い男は微笑して、怪我が無くて良かった――と言った。幸い、ルーツィアには掠り傷ひとつなかった。マルグリットが宥めると、ルーツィアはすぐに泣き止む。
「すみません」
   軽く目礼して告げると、若い男は目礼を返してその場を去る。
   あの邸に向かっているようだった。
   若く、おまけに目鼻立ちの整った綺麗な男だった。旧領主家の子息なのかもしれないが、あんなに透けるような白い肌をしているということは、軍人ではないだろう。



   翌朝、軍服を身につけ、宮殿に向かった。軍本部のある階へと向かい、参謀本部に入る前に長官室へと行く。ヴァロワ大将は既に長官室で待機していた。新たな職名章を受け取り、激励の言葉を受ける。参謀本部参謀本部長――今日からこれが俺の肩書きとなる。
   そしてヴァロワ大将じきじきに参謀本部に顔合わせに連れて行ってくれた。支部から招いた俺を気遣ってのことだろう。長官室の下の階に参謀本部はあった。
   廊下をまっすぐ歩いて行く。その時、出会った将官の何名かにヴァロワ大将は俺を紹介した。陸軍部軍務局軍務長官に海軍部長官、流石に本部内を歩いているだけで、そうそうたる人物と顔を合わせることになる。
   中央の階段に向けて歩いていたところ、二人の男が話しながら階段を上がってくるのが見えた。
   一人は昨日、ルーツィアを抱き起こしてくれた男だった。官吏だったのか――。
   もう一人は軍服を身に纏っている。
   其方も若い男だが、軍服から察するに、海軍部の大将のようだった。その海軍大将が昨日の男と別れてこの階にやって来る。彼は此方に気付いて、ヴァロワ卿、と呼び掛けた。
「ウールマン大将。もう一人紹介しておきましょう」
   昨日の若い男とよく似ている。尤も此方の男の方が精悍な顔つきをしているが――。
「おはようございます、ヴァロワ卿」
   旧領主家の人間であるにも関わらず礼儀正しくヴァロワ大将に挨拶をし、それから私を見て敬礼する。海軍部軍務局、それも軍務司令官の職名章が見える。敬礼を返してから傍と気付いた。
   海軍部の軍務司令官ということは、ロートリンゲン家の次男ということだ。では昨日、俺が出会ったのはまさか――。
   いや、しかし――。
「海軍部軍務局司令官のロートリンゲン大将です。此方は新しく陸軍参謀本部長に就任したウールマン大将」
「ハインリヒ・ロイ・ロートリンゲン大将です」
「本日付で陸軍参謀本部に配属となったリーンハルト・ウールマン大将です」
   ヴァロワ大将の紹介と共に挨拶をする。これが彼の有名なロートリンゲン元帥の次男なのか。想像していた人物とまるで違う。
   ロートリンゲン大将は軽くヴァロワ大将と言葉を交わしてから、軍務局へと向かって行く。階段を下りながら、先程の人物について尋ねてみることにした。
「長官。先程、ロートリンゲン大将と一緒にいらした方はもしかして……」
「ええ。彼の兄で、この国の宰相ですよ。通勤時はいつもロートリンゲン大将が護衛の任に当たっているので」
   しかし昨日は一人で歩いていたではないか――。
   数年前に宰相の死去に伴って、若い宰相が就任したことは知っていた。それがロートリンゲン家の長男であることも知っていたが――。
   想像していたのと違う――。もっと悪辣な人物を想像していたのに。

   もしかしたら本部は大分変わってきているのではないか――と思う。
   これは本当に面白いかもしれない――。
   参謀本部室に足を踏み入れる。全員が立ち上がって敬礼と共に出迎えてくれた。
   もしヴァロワ大将や今の宰相が新風を巻き起こしてくれるのなら、俺はそれを絶やさないよう力を尽くそう――。
   彼等を見ていると、自ずとそう思えてきた。

【End】


[2011.1.22]
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