「失礼します。閣下」
   病室の扉をノックする音が聞こえて誰かと思っていると、ザカ少将の声が聞こえた。フィリーネと子供達が来ていた時のことだった。
   仕事を終えて此方に足を運んだのだろう。ザカ少将はフィリーネと子供達に挨拶をし、それから突然の来訪、失礼します――と言った。
「いや。私も会いたかった。フィリーネ、以前話したことがあるのだが、私の先輩にあたる方の息子だ。今は海軍少将で軍務局に居る。名はウィリー・ザカ少将」
   フィリーネが挨拶を交わすと、側に居たミリィがウィリーと同じ名前、と呟いた。
「紹介する。私の息子のウィリーと娘のミリィだ。ウィリーは君と同じ名前だ」
「そうでしたか。初めまして」
   ザカ少将は背を屈めて、子供達と握手を交わす。フィリーネは子供達を促し、部屋を後にする。
   お子さんはまだお小さいのですね――とザカ少将は扉を見遣りながら言った。
「結婚が遅かったからな。君のお父さんにはよく言われていたよ。早く結婚しろ、と」
「父がそんなことを?」
   ザカ少将は笑いながら聞き返す。
「家族は良いものだと家族写真を見せつけられながらな。……あの頃は気儘に過ごしていたからそうは思わなかったが、今となってみると君のお父さんの言う通りだと思っている」
「あの……。ところで、閣下の奥様は軍に勤めてらっしゃったことが……?」
「妻か? いや?」
何故、そう思ったのだろう――。そんなことを考えていると、ザカ少将は言った。
「何処かで……、お会いしたことのあるような気がしましたので。もしかして軍の方かと」
   フィリーネに会ったことがある?
   フィリーネは何とも言っていなかったが――。
   ザカ少将は記憶力の良い男だから、見間違いをするということもあるまい。では一体何処で会ったのか――。

   フィリーネはリヨンの出身で、大学を卒業するまでは帝都に出て来ることも無かったと聞いている。アントン中将の許には頻繁に行っていたようだが――。

   ああ、そうか――。
   もしかしたら――。

「随分前に……、まだ君のお父さんが生きている頃だ。あの事件の少し前になる。その頃、ナポリに家族で行ったことがあると聞いているが……」
「あ、ええ。ちょうどその年、ナポリに家族三人で遊びに行きました。……あ……、え……? もしかして……」
「今から20年以上前のことだが、憶えているか? 君のお父さんが高齢の男性と会っただろう。その時……そうだな、14、5歳ぐらいか。側にそのくらいの女の子が居なかったか?」
「ええ。名前は忘れましたが……。その時の方によく似てらっしゃるように思います」
「本人だ。妻は上官の姪でね。当時、私の上官が君のお父さんに本部に戻るよう促したというから……」
   縁とは面白いものだ。
   まさか、ザカ少将がフィリーネと面識があったとは。
「驚きました……」
   本当に驚いた顔でザカ少将が呟く。私自身も驚いた。後でフィリーネに教えてやろう。
「私は妻の叔父のアントン中将の、君のお父さんはロートリンゲン大将の部隊だったんだ。アントン中将とロートリンゲン大将はまた仲が良くてね。尤もそのことを知ったのは、随分後だったのだが」
「そうでしたか……。あの、ところで閣下。軍をお辞めになるとは本当なのですか……?」
   ザカ少将は私を見つめて問うた。ああ、本当だ――と応えると、足がお悪いのですか、と尋ね返す。
「今迄のように激しい運動は出来なくなるだろう。長官は激務だから、それでは任務を全う出来ない。だから辞職を願い出たんだ」
「閣下……」
「長官を降りて一大将に戻れば、周囲が気を遣う。もう10年以上も長官の座に留まり続けた。長すぎる程だ」
「ですが……」
「人事委員会も漸く受理してくれた。今月いっぱいで私は軍籍を外れる」
「……私はいずれ陸軍に所属して、閣下のお側で働きたかったのに……」


   驚いたことに――。
   これまでに何度か、彼は陸軍への異動申請を行ってきたことを告げた。そんなことは初めて知ったことだった。
「ロートリンゲン大将閣下の許を去ってから、陸軍部への異動の申請をしましたが、ずっと却下されてきました」
「……ロートリンゲン大将が君を転属させたのは、君の将来のことを考えてのことだと聞いている。参謀本部に居続けても、ロートリンゲン大将が居る限りは本部長とはなれない。だから、軍務局への異動を命じたのだと」
「それはロートリンゲン大将閣下からも聞いています。ロートリンゲン大将閣下から命じられたので、軍務局には行きましたが、やはり私は閣下のいらっしゃる陸軍部に行きたくて……」

   ザカ少将とはそれほど話をしたことがない。序列を乱してはならないと、私から声をかけることもなかったが――。
   こんなに慕って貰えていたとは思わなかった。

「……私にとっては嬉しいことだが、君は海軍部内でも功績が高く、優秀だとの評判だ。このまま海軍部に居続けた方が良い」
「私は出世よりも……、父の友人だった閣下の許で働きたかったのです。……このようなことを申し上げては失礼ですが、閣下のお側に居ると、父の側に居るような気がして……」
   まだ幼い頃に父親を亡くしているから、また父親と同じ職に就いたから、余計にそう感じてしまうのかもしれない。ザカ少将はすみません、とぺこりと頭を下げた。
「いや。……本当のことをいえば、私はずっと君のことを気に掛けていた。亡くなった君の父親代わりといっては言い過ぎかもしれないが、何か出来ないかとね。……君のお父さん――ザカ中将も心残りだっただろうと思うと余計に……な。だが、長官という職にある以上、ただ一人を気に掛けることも出来なかった」
「閣下……」
「だが私が辞職すれば、その問題は解消する。自宅の連絡先を教えるから、偶には顔を出しなさい」
「ご迷惑ではありませんか……?」
「まさか。歓迎するよ。そうだ。君のお父さんも私の家に泊まったことがある。今も其処は客間だから、いつでも泊まりに来ると良い」
   棚の中にいれてある名刺の裏側に自宅の住所と電話番号、それに携帯電話の番号を書き付ける。それをザカ少将に手渡した。


   そういえば――。
   私も嘗て、ロートリンゲン元帥にこんなふうに連絡先を教えてもらった。あれは元帥が退官する日で――。
   期せずして、まったく同じことを私も……。
   面白いものだ――。


「……ありがとうございます。閣下」
   ザカ少将は嬉しそうに言って、それを大事に手にした。
「頑張りなさい。……ウィリー」
   ザカ少将、そう堅苦しく呼ぶ必要ももう無くなる。これも元帥やアントン中将と同じだ。二人とも退官してからは、私のことをジャンと名で呼んでくれた。
   ザカ少将は――、ウィリーは、本当に嬉しそうに笑んで、はい、と応えた。


[2010.12.15]
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