その後、エミーリアは邸内を案内してくれた。ロートリンゲン家ほどではないが、広い邸で部屋数も多い。
「此処が私の部屋よ」
   二階の一番奥にある部屋にやって来ると、エミーリアはそう言った。入って良いのか――と問い掛けると、構わないわよ、といつもの様子で返す。
   エミーリアの部屋は――、女性の部屋だった。仄かな花の香りが流れており、棚には写真が何枚も飾ってある。小さな女の子を中心に男性と女性が映っていた。おそらく男性の方はバーゼルト卿で、女性の方はエミーリアの母君なのだろう。
「子供の頃の写真よ。これはお父様とお母様と三人で写した写真。此方は養育係のメイサと。此方の写真は学生時代のもので……」
   どの写真もエミーリアは笑っていた。作り笑顔ではなく、自然体での笑顔。それはとても彼女らしい表情で――。
   当時の彼女を知らないのに、何故か、ほっと安堵する。
   付き合って、まだ一年も経っていないが……。
   俺は確実に、エミーリアに癒されている。屈託の無いエミーリアの笑顔に。

   やはり、彼女しか居ない――と思える。
   エミーリアとなら、今後を一緒に生きたいと思える。たとえ苦難の道があっても、二人で笑い飛ばしていけそうな、そんな気がする。

「エミーリア」
   マリのことを忘れ去る訳ではない。
   ただ、俺が生きるために、マリのことを心の奥深くにしまい込もう。
「私と結婚してほしい」
   エミーリアは瞬く間に頬を赤らめた。彼女のこんな表情は初めて見たし、珍しいことに慌てていた。
   しかし、顔を真っ赤に染めながらも、俺を見つめて――。
   こくりと頷いてくれた。



   正式に婚約したのは、出会ってからちょうど半年が経った日のことだった。予想していた通り、マスコミは連日、ロートリンゲン家とバーゼルト家に押し寄せた。おめでとうございます――という祝福の言葉の後、マリのことを今はどう想っているのかと無神経なことを尋ねて来る者も居た。

「ハインリヒの性格からして、すんなり縁談に応じるように思えなかったが……」
   ヴァロワ卿に誘われ、今日は久々に二人で飲みに行った。本部の近くにある店で、マスコミの目を潜り抜けて、予約してあった個室でのんびりと語り合った。
「縁談を持ちかけられた時には気乗りがしなかったのですよ」
「ほう。会ってみたら気が合った、と?」
「そんなところです」
   スコッチを一口飲む。ヴァロワ卿は縁があったということなのだろうな――と言ってから、ジンを口に運んだ。
「夫人と一歳違いですから、結婚したら家族ぐるみで付き合えますよ」
「ありがたい申し出だが、フラウ・バーゼルトは深窓の御令嬢と聞いたぞ? 滅多に外出もしないと」
   妻とは釣り合わないだろう――と、ヴァロワ卿は笑いながら言う。
「会ったら驚きますよ。深窓の御令嬢の言葉が吹っ飛びます」
「……それはどういう意味だ……?」
「邸のなかに閉じこもっているタイプではないですよ。明るく快活で、ユーモアに富んでいます。夫人ともきっと話が合うでしょう」
「噂に聞いている話と大分違うが……」
   省内でもフラウ・バーゼルトのことはよく話に上るぞ――と言って、それらの噂を教えてくれた。
   それを噴き出しそうになるのを堪えながら聞いていた。エミーリアとは全く違うエミーリアが出来上がっている。
   警備上の問題もあって、エミーリアの写真や映像は殆ど出回っていない。元々エミーリアは社交界には参加していないから、学生時代のアルバムの写真が提供されるぐらいだった。おまけに今は変装して外出をするから、マスコミに一切気付かれていないと言っていた。
   そんな風だから、勝手な想像がまかり通るのだろうが――。
   ヴァロワ卿から聞いたエミーリア・ララ・バーゼルトは、外部との接触を断ち、父親のバーゼルト卿にずっと守られてきた女性――まとめるとこんな感じだった。
「ヴァロワ卿だからお話しますが、私が彼女と出会ったのは、縁談の食事会が初めてではないのですよ」
   馴れ初めの話をすると、ヴァロワ卿は驚いた顔をした。暫くして笑みを浮かべ、俺を見て言った。
「安堵した。もしかしたら義務的な結婚なのではないかと心配していたんだ。だが心配は無用だったようだな」
   おめでとう――ヴァロワ卿はそう言って、乾杯してくれた。





   年が明けて春がやって来た三月、結婚式を挙げた。父と母が式を挙げた教会で、俺達も同じように式を挙げた。ロートリンゲン家やバーゼルト家の関係者だけでなく、ヴァロワ卿をはじめ、ヘルダーリン卿や軍の将官達、それにフェイやレオンまでも式に駆けつけてくれた。
   そして、驚いたことに――。
   元皇妃からも祝福のメッセージが届いた。


   純白のドレスを纏ったエミーリアは、いつも以上に輝いて見えた。式が終わり、外に面した長い階段を、祝福を受けながら下りようとする間際、エミーリアはそっと囁いた。
「ロイ。こんなドレスでこの階段を下りたら、落ちてしまいそうね」
「ハイヒールで疾走出来るのだから、大丈夫だろう。今でも駆け下りたいのではないか?」
「あら、たとえ転んでも受け止めてくれないの?」
「転ぶ前に支えるさ」
   ロートリンゲン家の歴代当主が使用してきた教会で、厳かな式を終えて、皆の祝福を受けながら階段を下りようとする時に、こんな会話が為されていたとは誰も想像しなかっただろう。
   この日から、エミーリアと俺は正式に夫婦となった。


[2010.10.22]
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