「面白いお嬢様でしたね」
   帰路の車中で、ミクラス夫人が微笑みながら話しかけてきた。
   俺自身、まさかあの時の女性と再会するとは夢にも思わなかった。それも縁談相手として。
「ああ。今日の場を設けてくれたミクラス夫人やフリッツにも礼を言わねばな」
「あんなに楽しそうなハインリヒ様を久々に拝見しました」
「本当に楽しかったんだ。彼女の話はユーモアに溢れているし、あんな女性は初めてで……」
「安心致しました」
   驚いたことに、ミクラス夫人は涙を浮かべていた。おめでたい時にすみません――と涙を拭い、微笑んだ。
   俺は、俺が思っていた以上にミクラス夫人やフリッツを困らせていたのだろう。バーゼルト卿がエミーリアを案じるのと同じほど、否、もしかしたらそれ以上に。
「……彼女となら、上手くやっていけそうだ」
   そう告げると、二人とも、否、運転手のケスラーも微笑んだ。



   エミーリアは印象通りの女性だった。
   はきはきと物を発言し、間違っていることは指摘する。不正に眼を逸らすことがない。
   納得すれば、きちんと相手を敬う。自分に過ちがあればすぐに謝る。必要があれば、淑女らしく振る舞ってくれる。それも非のない程に。
   バーゼルト卿が跳ねっ返りと言っていたが、俺にはそんな風には見えなかった。快活で明朗で……、豪快な女性とでも言おうか。


「閣下。名前で呼んでも良い?」
   初めてのデートの時、エミーリアはそう尋ねて来た。
「勿論」
「ファーストネームとミドルネーム、どちらで呼んだら良いの?」
「兄にはロイと呼ばれていた。ハインリヒよりその方が呼びやすいだろう。君にもミドルネームがあったな」
「私はララと呼ばれるより、エミーリアと呼ばれる方が気に入っているの。だからエミーリアで良いわ。……私はロイと呼んで良いのね?」
   頷き返すと、エミーリアは微笑んで、ロイと俺の名を呼んだ。

   俺達は何度もデートを重ね、互いをより知るようになっていった。
   そうするたび、ますますエミーリアという女性を気に入っていった。好きになっていった。
   エミーリアと一緒に居ると楽しく、時が経つのを忘れた。胸のなかにあった暗い気持ちが一掃されるようで――。



   エミーリアとの結婚を意識し始めたある日、バーゼルト邸に招かれた。バーゼルト家は帝都の西端に居を構えており、その邸は真新しく立派なものだった。門を潜ると庭園が広がっている。おそらくエミーリアは子供の頃、この庭で遊んだのだろう。
   玄関の前では、バーゼルト卿が待ち受けていた。その隣にはエミーリアが立っている。私を見て、手を挙げる。バーゼルト卿はそれを窘める。
   バーゼルト卿はエミーリアを淑女に育てたかったらしいことは、初めて会った時の様子やエミーリアの話からよく解る。だが、エミーリアはそうした保守的な父親に反発してきたのだろう。
「今日はお招きいただき、ありがとうございます」
   バーゼルト卿に一礼すると、バーゼルト卿は慌てふためいた。そのような御丁寧なことはなさらないで下さい――とひたすら恐縮する。
「どうぞ、入って。ロイ」
   一方のエミーリアは邸内に入るよう促す。きちんと御挨拶しないか――とバーゼルト卿が苦言を漏らす。
「閣下。私は不安でなりません。このような娘と付き合い、閣下の名に傷がつきましたら……」
   初めはバーゼルト卿のこうした言葉は謙遜のひとつかと思ったものだが、どうやら彼は本気でそう考えているらしい。私のことを信用していないのよ――とエミーリアが言うのも尤もなことだった。

   この日はバーゼルト家で共に食事をした。バーゼルト卿とエミーリアの仲は険悪なのかと思っていたが、こうした普段の生活では何の衝突も無い。それどころか、良い親子関係を結んでいることが解る。バーゼルト卿がエミーリアの言動を注意しなければ。
   食事を終えると、エミーリアが立ち上がり、珈琲を持って来るわね――と言って微笑した。エミーリアが居なくなると、バーゼルト卿はこれだけは我が家の恒例なのですよ――と嬉しそうに笑んだ。
「恒例?」
「食後にはエミーリアが珈琲を淹れてくれるのです。女らしいところはそのぐらいです」
「バーゼルト卿。エミーリアはとても素敵な女性ですよ」
   バーゼルト卿は恐縮しながら、ご遠慮なさらなくとも解っております――と前置いて言った。
「大雑把でがさつで、何の取り柄も無い娘です。そろそろ娘を嫁がせなければならないと解っていても、こんな跳ねっ返り娘を誰も相手にしないでしょうし、エミーリア自身、縁談をずっと断って来たのですよ」
「そうだったのですか……」
「ですから、お話を頂いた当初は受けるべきか否か悩みました。あのような性格ですので、閣下とお会いして何をしでかすか解りません。……気に入らぬことがあれば、包み隠さず発言するような娘です。悩みましたが、しかし、会いもせずに此方から断ることも畏れ多いこと。あの日もエミーリアに随分言い聞かせていたのですが……」
   バーゼルト卿は溜息を吐く。エミーリアのことを本当に悩んでいるように見えた。
「バーゼルト卿。エミーリアと付き合いはじめて間も無い私がこのようなことを言うのは憚られますが、バーゼルト卿が御心配しすぎでは?」
「閣下はお優しいのです。いつか閣下を困らせるのではないか――、私は不安で」
「私はエミーリアの明るさに救われています。家の者達からも最近、よく笑うようになったと言われますよ。エミーリアのおかげです」
「ありがたいお言葉ですが、エミーリアが聞いたら有頂天になりそうです」
   眼に浮かびます――とバーゼルト卿は苦虫を噛み潰したような顔をする。俺もエミーリアの得意げな顔が眼に浮かぶ。
「エミーリアが何か閣下のお気に障るようなことをしたら、すぐ私にお知らせ下さい。確り言い聞かせますので……」

「バーゼルト卿」
   もう言ってしまっても良いだろう。
   俺の意志を。
「私はエミーリアと結婚したいと考えています」
「閣下……」
   バーゼルト卿は心底驚いた顔をして、言葉を失った。
「勿論、エミーリアの返事を聞いてからですが、バーゼルト卿も御存知の通り、私の身辺は慌ただしい。結婚となるとマスコミも駆け付けてきますし、この邸の警備も強化する必要があるでしょう。ですから、バーゼルト卿にまずお許し頂きたいと思っています」
「……エミーリアで宜しいのですか?」
「エミーリアだからこそ、結婚を申し込みたいのです」
   暫くしてエミーリアが珈琲を運んできた。私と眼が合うとぱっと眼を逸らす。もしかしたら、話を聞いていたのだろうか……?


[2010.10.19]
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