食事会は、郊外にある閑静な庭園付きのレストランで行われる。今回の縁談を膳立てしたミクラス夫人とフリッツが付き添うこととなった。
   その場所に到着してから解ったことだが、レストランの名に聞き覚えがあると思ったら、家族で出向いたことのあるレストランだった。懐かしい。少し庭園を散歩してみたいものだが――。
「約束の時間までまだ間があるな?」
   フリッツにそう問い掛けると、フリッツは時計を見て、ええ、と告げた。
「少しだけ散策してきて構わないか? 約束の時間には戻ってくる」
「ハインリヒ様。このような時に……」
   ミクラス夫人が苦言を呈したが、少しだけだ――と押し切って、食事会が開始される5分前に戻ってくることを約束して、庭に出た。


   此処は士官学校生の頃、誕生日の時に連れてきてもらったところだ。あの頃、誕生日には決まって、家族で外食した。誕生日になると、毎年、両親とルディが士官学校まで迎えに来てくれた。祝いの言葉と共に――。

   この庭は、以前、訪れた時と何も変わっていなかった。ルディと庭をぐるりと一周したものだった。木々が溢れ、少し先には泉がある。

   ルディは、今の俺の姿を見たら何と言うだろうか――。

   情けないと言われるかもしれないな、と思う。ルディだけではなく、父上や母上にも。俺自身がそう思っている。恋人すら満足に守りきれず、また想いを断ち切れず、新たな恋人を得ることさえも出来ない自分自身が情けない――と。

   泉までやってきた時、木陰に誰かが潜んでいるのが見えた。
   女性のようだった。潜んでいるというよりも、ぺたりと座り込んでいるようで――。
   具合でも悪いのだろうか……?
   側に歩み寄ると、女性が顔を上げて此方を見る。

   驚いた。先日、ひったくりの犯人を捕まえた女性ではないか――。

「何か……?」
   女性が俺を見て問う。どうやら、具合が悪い訳ではなさそうだった。
「あ、いや。具合が悪くて座り込んでいるのかと。……確か君、街でひったくり犯を……」
   女性は俺を見つめ、傍と気付いた様子で、あの時の――と呟いた。どうやら俺のことも憶えているようだ。
「何故早々と立ち去ったんだ?」
   興味をそそられて尋ねると、彼女は肩を竦めて、説明が面倒だもの――と言った。
「確かに調書を取られたり、事実確認をしたりで私も2時間拘束された」
「犯人を捕まえても、大した罪を問える訳ではないしょう? あんな時はいつも早々に立ち去ることにしているの」
「……その口振りだとあのようなことに出くわしたのは、一度二度ではなさそうだな」
「街を歩けばひったくり犯、電車に乗れば痴漢が居るわ。あの女性にしても、まずは自分で犯罪に巻き込まれないようにしないと。通路側に鞄を持つなんて取って下さいと言わんばかりの行為よ」
「正論だな」
   思わず笑いがこみ上げる。すると女性は、だから可愛げのない女だって言われるのよ――と苦笑した。
「女は犯罪に巻き込まれたら、きゃあきゃあ叫び声を上げて逃げた方が可愛げがあるって。大事な所を蹴るなんて論外だってよく言われるわ」
「強烈な一撃だった。だがそのおかげで、犯人も暴れることが出来なかったぞ。あのまま数十分、悶絶していたからな」
   思い出すと笑いがさらにこみ上げてくる。あの時は、駆け付けた警察官も失笑したほどだった。
「御礼を言うのを忘れていたわね。あの時はありがとう。あんな風に助けてもらったのは初めてよ」
   皆、ただ周囲で見ているだけだから――と彼女は苦笑しながら言った。確かにあの時、誰一人として彼女に加勢する人間はいなかった。

「ところで、何故こんなところに? もしかしてまた不審者でも居たのか?」
「あら。私がずっとあんなことをしているとでも?」
「そういう意味で言ったのではないが……。身を隠しているように見えたのでつい……」
「……食事に来たのだけど、気が進まなくて此処に隠れていたの。貴方は?」
「……同じようなものだな」
   そう応えると、彼女は微笑を浮かべて、では此処で一緒に隠れて話でもしましょうか――と言った。
「ありがたい申し出だが、約束を無下にすることも出来ないんだ」
「優等生の発言ね。きっと学生の頃は授業を抜け出したことも無いでしょう?」
「……それは経験が無いな」
「そんな人に見えるわ。私なんて詰まらない授業となると、いつも抜け出していたもの」
   からからと笑いながら、彼女は語る。

   面白い女性だった。自分を着飾ることもなく、ありのままで接していて、おまけに快活で。
   どうせなら――。
   こんな女性と付き合いたいものだ。深窓の令嬢よりも、溌剌とした元気溢れる女性の方が良い。
   尤もバーゼルト家との縁談の場が設けられている今、それを中止することは出来ないが……。

   五分前には行くと約束しておいたが、もう少し良いだろう――。
   そう考えて、彼女の隣に腰を下ろした。彼女は眼を大きく見開いて言った。
「もしかして、私に感化された?」
「そのようだ」
「感染力を強化した覚えはないのにね」
   ユーモアに富んだ会話に、自然と笑みが零れる。こんな風に笑うことも久々かもしれない。このところ悶々としていたから、余計にそう感じるのだろうか。
「……でも私ももう少ししたら行かなきゃ」
「気が進まないのではなかったのか?」
「気分はこのまま此処に隠れていたいけどね。……でも、出来ない時もあるの。今日は逃げられない。……だから、せめて思いきり嫌な顔をして、嫌がらせをしてやろうとは思っているのだけど」
「嫌がらせ?」
「そう。食事の前にこっそりグラスにミミズでも入れてやろうかと思って探しているのだけど、こういう時に限って見つからないものよ」
「……随分子供じみた嫌がらせだな」
   噴き出したいのを堪えながら言うと、彼女は頬を膨らめる。尤も、本気でミミズを探している訳ではなさそうだが。
「ミミズといえば……。子供の頃、家のなかに持ち込んでテーブルの上で這わせて遊んでいたら、酷く叱られたことがある」
「私、父のベッドに蛙を潜ませたことがあるわよ。叱られたけど」
「それは驚くな」
「はじめは気付かなかったのですって。ベッドに入ったら身体の下をもぞもぞ動くものがいるから何かと思ってみたら蛙だったって。すぐ私の悪戯だって気付かれたけど」
   笑うと、彼女は何故、ミミズを持ち込んだの――と問い掛けてきた。
「2匹並べて競争させようとしたんだ」
「面白そうね」
   こんなことを面白そうという女性はそう多くないだろう。あの時は、母にこっ酷く叱られた。そういう遊びは、庭かそれとも水槽のなかでやるように――と。
   おまけに、余分にもう1匹掴まえてあって、それが部屋のなかで行方不明になり、父が帰ってきてからその1匹が父の足下で見つかって、大目玉を食らった。今となっては懐かしい思い出だ。

   不意に胸の内の携帯電話が鳴った。きっとフリッツだろう。もう約束の時間だから――。
「解った。すぐ其方に行く」
   電話を受けて、そう応える。どうやら先方はもう待ち受けているようだった。
「では私はそろそろ戻ることにする」
「……私も一緒に戻るわ。こうしていても埒が明かないし」
   彼女は立ち上がり、土を払った。綺麗な服を着ているにもかかわらず、それが汚れることも気にかけないで、この場に座り込んでいたようだった。


[2010.10.16]
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