「ヴァロワ卿! お久しぶりです」
   この日、昼食を摂りにラウンジに出たところ、ヴァロワ卿と出くわした。このところ、常備軍の会議も陸軍と海軍で分かれて開催されることが多く、ヴァロワ卿と顔を合わせることも少なくなっていた。こうして言葉を交わすのもひと月ぶりではないだろうか。
「今から食事ですか?」
「ああ。ハインリヒもか?」
「ええ、御一緒して構いませんか?」
   ヴァロワ卿は快く頷いてくれた。食事を受け取ってから空いているテーブルに腰を下ろす。
「先週末、フェルディナントに会った。恋人と一緒だったが……」
「二人と会ったんですか」
   驚いて思わず尋ね返すと、ヴァロワ卿は映画館でな、と付け加えた。
「妻に付き合って映画館に行って其処でな」
「そうでしたか。良い女性だったでしょう?」
   ヴァロワ卿は頷きつつも、驚いたと笑って言った。
   彼女のことについて話すと、ヴァロワ卿はさらに驚いたようだった。
「第2病院の医師だったのか……」
「加えて、フォン・メレンドルフ家の一人娘です。付き合いも順調のようですし、早ければ来年に結婚となるのではないかと家では言われていますよ」
「確かに良い雰囲気に見えた。そうか……。こう言っては何だが、医師ならばフェルディナントにちょうど良いな……」
「ええ。ですからミクラス夫人が絶賛しているんです。フリッツも何としても年内に婚約をとルディに迫っていますし」
「ハインリヒも会ったのか?」
「先月末に。明るく良い女性でした。話も弾みましたし……。あの二人の様子を見ると、本当に来年あたりには結婚しそうですよ」
「フォン・メレンドルフと聞いた時にも驚いたが、彼女の名前を聞いた時にも驚いた。母上の名前と同じだろう?」
   偶然の一致ではあるが、そのことにはフリッツやパトリックも驚いていた。しかも初めて出会った場所が美術館だという。父と母の出会いも美術館だったから、誰もが因縁めいたものを感じずにはいられなかった。
「初めは名前を呼ぶことに抵抗があったようですよ」
   ヴァロワ卿は笑ってそうだろうな――と言った。
「婚約したら教えてくれ。祝福したい」
「ありがとうございます」




   ルディとユリアの交際は順調だった。
   ユリアの予定を見計らっては、二人でよくデートに出掛けていた。マルセイユの別荘に行くこともあった。
   何よりもルディが彼女のことを気に入っていた。ルディにとって彼女は本当に大切な人なのだろうなと思う。
   もしかしたら結婚は本当に近いかもしれない――そんな風に思っていた矢先、ルディが本邸に戻って来た。本を取りに来て、明日また別邸に行くのだという。

   この日は、久々に一緒に夕食を摂り、食後の珈琲を飲みながら語り合った。
「先日、ヴァロワ卿に会った。ちょうどユリアと居た時だったのだが」
「そうらしいな。ヴァロワ卿から聞いた。良い雰囲気だったとヴァロワ卿も言っていたぞ」
   ルディは笑って、気恥ずかしいな――と言った。それから俺を見、実はと思い切った様子で切り出した。
「結婚を考えている。クリスマスにプロポーズするつもりだ」
   ついに――。
   ついにルディは思い切ったのか。
「お前には事前に話しておこうと思った」
「そうか……。いや、俺もきっと結婚するのだろうとは思っていた。では来年にはいよいよ、か」
「彼女の返事を聞いてからだが……。うまくいけば、家の者達にも伝えるし、準備も進めなければならない」
「気が早いが……、結婚後は住居をどうする?」
「本当に気が早いぞ、ロイ。……ユリアが仕事を続けるのなら、第2病院の近郊に邸を構えるつもりではいるが……」
「重要なことだろう。邸を建てるとなると時間もかかる。執事も必要となるだろうし……」
「婚約してからで構わないよ。慌てることではないだろう」
   ルディは暢気に構えているが、これはこっそりフリッツとパトリックに話して、邸の手配を進めておいた方が良いのではないか――と思った。それに元宰相でもあるルディの結婚式となると、あまり地味な式にも出来ない。来年結婚するといっても、色々な準備がある筈だ。だからフリッツが早めに知らせるようにと言っている訳で――。
「ロイ?」
「あ、いや。きっと彼女から色好い返事が来るだろう」
「そうだと良いが……」
「そうに決まっている」
   ルディは苦笑して、返事を貰ったら知らせる、と言った。


   翌日、ルディは別邸へと行った。ルディには内密にしておくように言われたものの、来年にも結婚を考えている以上、フリッツに黙っておくことも出来ないだろう。ユリアから拒絶されることもないだろうし――。

   この日、食事を済ませてから、フリッツをリビングルームに呼んだ。ルディのことを話すと、フリッツは嬉しそうに微笑んで、解りました、と言った。
「いずれルディから話があると思うが、先に耳にいれておいた方が良いと思ってな。いきなり来年ということになっても準備があるのだろう?」
「はい。御式は歴代の御当主と同じ教会となるでしょうから、そちらは宜しいのですが、御屋敷は流石に時間がかかります。御当主でないとはいえ、ロートリンゲン家の御長男ですから、それに相応しい邸をきちんと建て、使用人を揃えるよう亡き旦那様からも申しつけられておりました」
   父から財産を引き継いだ時、父からもその話を聞いていた。長男として恥ずかしくない邸を構えるようにと、父がよく言っていた。
「ルディはどうも自分のことになると暢気に構えすぎる……」
   呟くと、フリッツは私もそう思います――と言って笑った。
「御屋敷についてはパトリックとも話して、土地をいくつか候補に挙げておきます」
「そうしてくれ。それから私が話したこともまだルディには伏せておいてくれ」
「解りました」
   フリッツやパトリックは口が固いから信頼出来る。それにしてもルディが結婚となると、何だか不思議な気分にもなるものだった。

   ハインリヒ様、とフリッツが呼び掛ける。何だ、と顔を上げると、フリッツは真面目な表情をして言った。
「ハインリヒ様もそろそろ真剣にお考え下さい」
   ルディの話から今度は俺の話になるとは――。
「……それは……きちんと解っているが」
「マリ様のことをお忘れになれないお気持ちも解ります。このようなことを申し上げるのは私としても心苦しいのですが、どうか、お気持ちを割り切って、御結婚をお考え下さい」
「……私としても胸に痛い言葉だ。結婚しなければならないことは解っているのだが、正直に言うと、私は……自信が無い。妻となる女性を幸せに出来るのかどうかとな。ちょうどルディが結婚すると言っているのだから、後継者はルディの子供でも……とも考えないでもない」

「何を仰るのですか!?ハインリヒ様!」
   フリッツはすごい剣幕で怒った。現実的で良い案だと思っていたのに――。
「ハインリヒ様はハインリヒ様として、フェルディナント様はフェルディナント様として、御子孫を為さずにどうします……!? ハインツ家のように御子様がお出来にならないというのなら、それもまた考慮にいれるべきことでしょうが、まだお若いハインリヒ様が、況してや御結婚もなさっていない方がそのようなことを仰るものではありません」
   普段は物静かなフリッツがこんなにも怒ることも珍しい――否、初めてのことではないだろうか。
   済まない――と素直に謝った。軽い気持で言ったことだったのだが――。
   どうやら俺も結婚の呪縛から逃げることは出来ないようだった。


[2010.9.12]
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