「フェルディナント様。とても良い方がいらっしゃいます。お美しく、そして気配りも良い方です。フェルディナント様より五つ年下で、年齢の釣り合いもちょうど良いかと思います。フェルディナント様さえ頷いて下されば、来週にでも食事の席を設けますので、どうかお考えなさって下さい」
   二ヶ月に一度はこういうことがあるのだが、ミクラス夫人はこのところ、頻りに私に縁談を持ちかけてくる。今回はアスタフェイ社の会長の娘との縁談を持って来た。よくこんなに頻繁に探し出せるものだと思うが――。
「……ミクラス夫人。もう少ししてから話そうと思ったのだが……」
「結婚する気が無いという意見は聞きたくありません。フェルディナント様ももう36歳。お年を召してもヴァロワ様のように素敵な方と巡り会えれば宜しいですが、ヴァロワ様のようなことは稀。確率にすると何万分の一のことです。これまで、黙って見て参りましたが、フェルディナント様もハインリヒ様もあまりに……」
「ミクラス夫人。話を聞いてくれ。私は今、付き合っている女性が居るんだ」
   ミクラス夫人の言葉を制してそう告げると、ミクラス夫人は訝しげに私を見た。もしかして縁談を断るための嘘だと思っているのだろうか。
「……本当で御座いますか?」
「ああ。以前、美術館で具合が悪くなった時、介抱してくれた女性が居たと言っていただろう? 彼女と書店で再会して、その後、付き合い始めたんだ。黙っていて済まなかったが、ミクラス夫人に話すと、事を焦って進められそうで……」
「何故、お早く話して下さらなかったのです!? 道理で、最近外出が増えたと思っておりましたよ。また図書館にでも入り浸っているのかと……」
「済まない。全て話すから、今の縁談は丁重に断ってもらえるか?」
   そういうことでしたら、とミクラス夫人は頷いた。
   山奥の別邸に戻ってきて、十日が過ぎた日のことだった。ミクラス夫人と二人で食事を済ませたところへ、夫人が縁談を持ちかけてきた。これ以上、黙っておく訳にはいかなくて、彼女のことを全て話すことに決めた。
「それで、その女性はどんな方なのです?」
「優しく気立ての良い女性だ。名はユリア・フォン・メレンドルフ」
   これにはミクラス夫人も眼を丸くした。暫くして、あらあらと苦笑する。
「お亡くなりになった奥様と同じ名前ですね。奇遇でしょうか」
「私も初めて聞いた時には驚いた。ミクラス夫人、フォン・メレンドルフ家を知っているか?」
「旧領主家のような御名前ですね」
「今は没落しているが、旧領主家のフォン・メレンドルフ家だ。其処の一人娘らしい。今年29歳で、第2病院で医師を勤めている」
「あらあら……。まあ……。フェルディナント様、良縁ではないですか」
   ミクラス夫人は眼を輝かせる。今度、此方にお連れになってください――と言う。
「じきに紹介するつもりだった。私も……、結婚を考えていない訳ではない。だが、事を急いて運びたくもない。暫くは静かに見守ってくれないか?」
「そういうことでしたら、解りました。……それにしても美術館で初めて出会った女性なんて……。旦那様と奥様の出会いとまるで一緒ですね」
「父上や母上もハンブルク美術館で初めて会ったらしいな」
「フェルディナント様もきっと上手くいきますよ」


   私達の付き合いは順調だった。
   彼女が休日の時には様々な場所に出掛けた。そして付き合い初めて三ヶ月が経った頃、閑静な住宅街にあるレストランで、ロイと引き合わせた。ロイも良い印象を受けたようで、私に彼女との結婚を頻りに勧めるようになった。
「フリッツが言っていたぞ。邸に早く連れてきてほしい、と。結婚式となったら準備があるから、早めに知らせてほしいとのことだ」
   フリッツも気が早い。まあ、私の年齢を考えると、気を急きたくもなるのかもしれない。





「ルディ。待たせてしまってごめんなさい」
「いや。私も今来たところだ」
   この日はカフェで待ち合わせた。二階席の眺めの良い席で待っていると、ユリアが店にやって来るのが見えた。ユリアは小柄な女性で、そのせいか年齢よりも若く見える。大きな眼に長い睫が彩られていて、健康的な血色の良い唇が白い肌と対照的で愛らしい。
「観たいと言っていたオペラのチケットが手に入ったが、休みを取れるか?」
「え? 席が取れたの!?」
「そうだと言いたいところだが、偶然手に入れたものでね。先日邸に戻ったら、招待状が届いていたんだ。弟は忙しくて行けないと言っていたから、貰ってきた」
   チケットを取ろうとしたら満席で、一度は諦めた。ところが、ロートリンゲン家がそのオペラを後援している会社の筆頭株主であることに気付き、招待状の束のなかを探してみたところ、思った通り招待状が届いていた。
「嬉しい。でも本当に良いの?」
「ああ。勿論」
   当日は迎えに行くことを約束する。ユリアは本当に嬉しそうに頷いた。それから傍と時計を見遣る。
「ところでルディ、今日は予定ある?」
「いや?」
「面白そうな映画が放映されているの。行かない?」
   映画は何年ぶりだろう。学生の頃は、観に行っていたが――。
「映画は久々だ。何処の映画館に行こうか?」
「このお店の裏を少し入ったところに大きな映画館があるの」
   店を出て、映画館に向けて歩いて行く。15分ぐらいのところに、大きな映画館があった。チケットを購入し、中に入って指定された席を探す。何だか懐かしさを感じる。最後に映画館に来たのは何年前だっただろう。
   映画は女性が好みそうな、恋愛をテーマにしたものだった。そうと明示されてはいなかったが、惑星衝突前の古い小説が現代風にアレンジされているようだった。あれは何という小説だっただろうか――。

   三時間に亘る映画を鑑賞し終え、席から立ち上がる。少し街を歩いてから食事に行こうか――と考えていたところ、視界に見知った影が映った。
   見間違いかと思ったが――、そんなことは無い。あの背格好は――。
「ヴァロワ卿……?」
   声をかけると、やはりその通りで、ヴァロワ卿が此方を振り返った。
「フェルディナント。こんな所で会うとは……」
   そう応えるヴァロワ卿の隣には、奥方の姿があった。成程、偶の休日を楽しんでいたのだろう。しかしウィリーの姿が見えないが――。
   奥方はこんにちは――と私を見て頭を下げた。
「お久しぶりです。ヴァロワ夫人」
   その時、ヴァロワ卿は私の隣に居たユリアに気付いたようだった。恋人か、と私にそっと問い掛ける。
「ええ。恋人のユリア・フォン・メレンドルフです。……ユリア、紹介するよ。陸軍のジャン・ヴァロワ大将だ」
「初めまして、閣下。ユリア・フォン・メレンドルフと申します」
   ユリアは卒のない挨拶をする。ヴァロワ卿は此方こそ初めまして――と、少し緊張気味に言った。いつも多くの将官を前に、てきぱきと命令を下すヴァロワ卿のそんな姿が、新鮮に見えた。
「フォン・メレンドルフと言うと……、もしかして御祖父が海軍中将でいらっしゃった?」
   ヴァロワ卿はすぐにそのことを思い当たったらしく、尋ねる。私はユリアから聞き知ったことだが、ユリアの祖父は50歳までは海軍中将として軍に所属していたらしい。その後、事業を始めようとして失敗したらしいが――。
「ところで、今日はウィリーは一緒ではないのですか?」
「実家の母が来ているんです。ウィリーは見ているから、偶には二人で出掛けて来なさいって」
   ヴァロワ夫人は嬉しそうにそう言った。ヴァロワ卿とは映画館の前で別れた。その後、私達は大通りをゆっくりと歩いて行った。
「ヴァロワ大将閣下って、確か右足を切断なさった方よね? すごいわね。そうと思えない歩き方じゃない」
「……君が感心するということは、普通はやはり不自然さが残るものなのか?」
「多少はね。医者ならちょっとした動作で解るものよ。……随分短期間で足を慣らしたとは噂で聞いていたけど、本当にすごいわ」
「医師のネットワークは見事だな。第7病院でのことが第2病院まで伝わるのか」
   ユリアはくすりと笑って、政府要人とか有名人の話はすぐに伝わってくるわよ――と言った。
「ところでヴァロワ卿の奥様は随分若いのね」
「ああ。君より少し若い。二年前に結婚して、今はウィリーという男の子が一人居るんだ」
   ユリアと会話を弾ませながら道を歩く。ユリアとのデートはいつもこんな感じだった。


[2010.9.9]
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