「そのように銃をつきつけ、恐怖心を煽ることの何が反省に繋がる?」

   アクィナス刑務所の刑吏官達は、少しでも気に入らないことがあると、囚人達に銃口を向ける。それは取るに足りないこと――たとえば、作業が遅いとか、整列の際の並び方が悪いとか――に起因する。アランやジルは刑吏官の機嫌が悪いと、銃口を向けるのだと言っていた。

   先日も、作業中に機材に躓いて転んだ老年の男に銃口を向けた。打ち所が悪かったのか、なかなか起き上がれない彼を、刑吏官が銃で脅し、あろうことか――、発砲した。幸いに彼の頬を掠めたに留まったが、彼は脅えて腰を抜かした。そんな彼に刑吏官達は暴行を加えた。
   囚人達は口々にまたか、と呟いた。誰も助けようとしなかった。私が向かおうとすると、アランは余計に酷い目に遭わされる――と言って制した。だが、刑吏官が一人でなく二人に増え、彼等が楽しそうに暴行を加えているのを見ると、黙っていられなくなって、アランの手を振り解き、彼の側に駆けつけた。

「5163番!また懲罰房に入りたいか!」

   あの時、私は老年の男を助けるために刑吏官二人の身体を薙ぎ払ったのだが、それは刑吏官への暴力にあたるとして、丸一日、懲罰房に入れられた。懲罰房は、天井も両壁もコンクリートで固められた人一人漸く入るぐらいの狭い部屋だった。其処では身体を横たえることも出来ず、水すら与えられない。おまけに手足もきつく縛りつけられていた。そんな状態で一日を過ごした。
   今日も、刑吏官が弱った老人を甚振ろうとしていたから、制止に入った。そして口論となった。刑吏官は少しでも自分の立場が悪くなると、懲罰房とか死といった言葉を口にして、囚人達に恐怖を与える。

「私は何か間違いを言ったか?暴力では何も解決しない――そんなことは子供でも知っていることだ」
「口答えをするな!死にたいか!」
   刑吏官が私に銃口を向ける。平然と立ちはだかった。
   死に急いでいるのではない。私は私の意見を述べているだけだ。何も間違ったことはしていない。
「元宰相だからと偉そうな態度を……!」
「私は意見を述べているまでだ」
「黙れ!」
   銃口の引き金が引かれるその一瞬前に、拳銃を蹴飛ばす。パン、という音が天井に響き渡る。少し離れたところにいた刑吏官が動くな、と私に向けて言った。
   ところが――。
「物騒なものは俺も嫌いでな」
   その刑吏官からアランが銃を奪い取る。取り返そうとする刑吏官と揉み合いになり、それをまた別の囚人が助ける。

   そうして5人の刑吏達が駆けつけるまでの10分間、刑吏と囚人達の小競り合いとなり、その結果、首謀者として私とアランが懲罰房行きを命じられた。
「黙って見ていれば良いものを……。刑期が延びるぞ」
   懲罰房に連れて行かれる前に、アランにそう告げると、アランは笑って言った。
「ルディに感化されたようだ。もし懲罰房で死んだら、お前の枕元に化けて出てやるからな」
「5163番!5150番!無駄口を叩かずに歩け!」
   懲罰房に入ると手首と足首を縛られる。壁に身体を凭れさせて休み、体力を温存させること――先日、此処に入ってそれに気付いた。真っ暗で何も見えないが、絶望を感じてはならない。何も考えず、ただ眼を閉じて休む。此処ではそれが一番だった。


   私も図太くなったものだ――。
   自分自身に苦笑した。アクィナス刑務所に入ってひと月が経つ。はじめのうちは体調不良と絶望で死を考えもしたが、今は全くそうした考えは無かった。何が何でも生きよう、生きてやろう――と思っている。必ず、生きて此処を出る。

「……ッ!」
   左胸に締め付けられたような痛みを感じる。一瞬、息が詰まりそうになる。十日ほど前からだろうか、時折、こうした痛みに襲われている。尤も動けないほどではないから、気にしないことにした。
   此処に入れられた当初、あれだけ酷い熱を出したにも関わらず、薬も服用することなく熱が下がった。私は人よりも身体が弱いから自然治癒力も劣っていると思っていたが――それこそあの時はこのまま死んでしまうだろうと思っていたが――、苦しい状態は三日間だけで、それ以後、徐々に回復していった。自分自身もその快復力には驚いた。そして、生きることへの希望が湧いたのもその時だった。
   左肩を撃ち抜かれた傷跡は時折痛むが、動かせないほどではない。右手に比べると動作はまだ緩慢だが、麻痺するような感覚は少しずつ薄れている。時間はかかるかもしれないが、いずれ治るだろう。


   この日は懲罰房でゆっくり休み、作業での疲れを癒すことにした。そうして眼が覚める頃には刑吏官がやって来て、縄を解き、元の牢へと戻された。アランも牢に戻ってくると、身体を思い切り伸ばした。
「化けて出ずに済んだようだ」
   アランは私を見遣って笑って言う。
   私はこのアランが居たからこそ、こうして生きていられるのだと思う。あの体調を崩した日、アランに厳しい言葉を告げられなければ、私はあのまま死んでいたかもしれない。生きる気力を与えてくれたのは、間違いなくアランだった。
   そして、未だ作業の遅い私を影ながら支えてくれる。軽作業は何とか規定時間内に終えることが出来るようになったが、先日行った大きな機械を使った重労働はまるで要領を掴めなかった。その時もアランはこっそり手伝ってくれた。

   一日に三度の食事も決して美味いものではない。パンは乾燥しきって固く、スープは味気のないものだった。先日から数日に一度の割合で、ハムやソーセージ、それにミルクが添えられるようになった。皆は何があったのか、毒入りではないのか――と騒いだ。そうしたものが食事に出ることはまず無かったことらしい。食事の内容が少し改善された理由は誰も解らなかった。
   また、入浴には制限時間が設けられていた。牢を作業室に向けて進み、さらにその奥に浴室がある。囚人達は2グループに分けられる。そして交替で、10分間だけシャワーを浴びることが出来る。はじめは10分が酷く短く感じられたが、今ではそれにも慣れた。意外なことだったが、私にもこれだけの適応能力があるのだと初めて知った。



   刑務所での生活は慣れつつあったが、今のこの帝国の状況がどうなっているのか知りたかった。レオンを無事に帰したとはいえ、フォン・シェリング大将が共和国への侵攻を諦めるとも思えない。もしかして、今頃熾烈な戦争が行われているのではないか。
   戦争となった場合、共和国は同盟を駆使する。アジア連邦と北アメリカ合衆国、この三ヶ国を相手に、帝国はどう戦うつもりか。
   ヴァロワ卿ならば然るべき時に撤退を決断出来る。帝国への被害を最小限度に留めてくれる。だが、そのヴァロワ卿は今、指揮権を持っていない。私の助命嘆願のために、上級大将の階級どころか長官という職さえも投げ出したのだから――。
   海軍部のヘルダーリン卿では少し弱い。フォン・シェリング大将と互角には争えない。今の軍のなかで、フォン・シェリング大将と張り合えるような人間は居ない。


   皇帝は解っているのだろうか。
   このままでは帝国は滅ぶ。
   三ヶ国相手に――しかも、そのうちの一国は軍事力の強いアジア連邦だというのに、勝算があるというのか。
   状況はどう考えても不利だ。


「……ルディ、まだ寝ていなかったのか?」
   隣からアランが声をかけてくる。ブランケットにくるまったまま、壁に背を預けて考え事に耽っていた。もう休む――とアランに告げると、アランはまた眼を閉じる。

   せめてロイが居てくれたら――。
   この帝国にロイが居てくれたら、フォン・シェリング大将の暴走を食い止められる。
   だがそれは願っても叶わぬ願いか――。


[2010.3.5]