帝国は踏み越えてはならない一線を越えた。
『帝国がミサイルを発射しただと……!?』
   一時間前、フェイが俺を別室に呼び寄せた。何かあったのかと思ったら、帝国が新トルコ共和国に向けてミサイルを発射したのだと言う。帝国内で発せられた高エネルギー反応を捉え、様子を窺っていたらしい。
『後程、共和国から連絡が入るだろう。それに合わせ、国際会議を招集するつもりだ』
『……高エネルギー反応を捉えたと言ったな?具体的な位置は特定出来ているのか?』
『帝都から少し北部に入った場所――としか解らん。お前は保有していることは知っていたのだろう?』
『莫迦なことを言うな。長距離弾道ミサイルなどを保有していたら、廃棄していたに決まっている』
『……知らなかった……のか……?』
   フェイはあの時、食い入るように俺を見つめて訝しげに言った。
   海軍部長官だった人間が知らぬ筈などあるまい――とでも言いたそうな表情だった。
『帝国軍は海軍部がミサイルを保有しているだけだ。国際法に違反しない程度のものをな。この国と同じもの――飛距離は少し帝国の方があるかもしれないが、長距離弾道ミサイルでは決してない。まして、陸軍部がそのようなものを保有している筈が無い。ヴァロワ卿が発注を命じる筈も無いからな』
『……では共和国に向けて放たれたミサイルは何処で手に入れたものだ?直前になって何処からか購入したというのか』

   違う――。
   購入――、確かに結果的には軍が購入する形を取ったのかもしれない。だが、帝国内で作られたものに違いない。
   あの男が――。
『フォン・シェリング家が用意した……いや、所有していたものだろう』
『……今の陸軍部長官か』
『フォン・シェリング家は軍事産業部門に投資を行っている。以前から危惧していたことだが、彼はかねてより宇宙開発部門に多額の投資を行っていた。あれはやはりミサイルを作っていたのだろう』
『……其処まで気付いていながら、何故事前に処罰することが出来なかった?如何に旧領主であっても個人レベルで武器を製造することは……』
『何度も調査した。その都度、死者を出してな。しかし、上手く偽装してあるようで、ミサイルの一片すらも把握出来なかった』
『今回、ミサイルが発射されたということは、皇帝がそれを認めたということになる。皇帝はフォン・シェリング家のミサイル所有を初めから知っていたのか?』
『さあな』


   フェイにはそう答えたものの――。
   おそらく皇帝は知っていたのだろう。少なくとも気付いていた。気付きながら、放任していたに違いない。
   もしかしたら、皇帝自身、万一の事態を考えて、フォン・シェリング家のミサイル所有を黙認していたのかもしれない。
   フォン・シェリング家から宇宙開発部門に流れる資金を、ルディはいつも気に掛けていた。資金額については公表されなくとも、旧領主間でそれとなく噂として流れてくる。フォン・シェリング家のそれは常に巨額だった。資金提供を受けた企業についてルディが調べようとしたこともある。だが、それはフォン・シェリング家によって阻まれた。
   そうした資金の流れを考えると、フォン・シェリング家が所有しているミサイルは一発二発どころではない。しかもこんな戦争の初期の段階でミサイルを使った。二発目もまた撃ってくる。


「ロイ」
   司令室の側にある休憩室で佇んでいたところ、フェイが呼びに来た。共和国のムラト次官と話をしてきたと言う。
「来週、国際会議をこの連邦で開催する。このたびのミサイル攻撃で帝国を糾弾する声は大きい。風向きは此方にある」
「帝国に乗り込むのだろう?」
「ああ。前にも言った通り、お前は第6艦隊で待機していてくれ」
「フェイ。俺は陸軍部隊に組み入れてくれと頼んだ筈だ」
「それは長官にも反対された。お前は今回の戦いで重要な位置に居る。お前という存在が戦後の帝国の要となる。そのような人間を前線には連れて行けない。それに、今の長官がヴァロワ長官ではなくフォン・シェリング長官だと、共和国のアンドリオティスが言っていた。そうなると、帝国軍はお前の姿を見れば必ずお前の命を狙う」
「……フェイ。聞き入れてもらえずとも俺は単独で動くぞ」
「勝手な真似をされては困る」
「ならば俺を陸軍に組み入れろ」
「……宰相のことを助けに行くつもりか」
「兄のことは関係無い。この手で帝国の横暴を食い止めたいだけだ」
   フェイはあからさまに溜息を吐く。そして、フォン・シェリング大将の命を狙うつもりだな――と言った。
「別にそういう訳ではない」
「どうだか。……本当に俺が危惧しているのはそのことだ。お前の手で重要人物の命が奪われたとなると、また別の意味を生じることになる。旧領主層の子息が新たな君主となるために、皇帝を裏切った、とな」
「馬鹿馬鹿しい」
「お前を知る人間は馬鹿馬鹿しいと思うだろうが、お前を知らない人間――帝国の一般市民でさえそう考えるだろう。たとえ国外追放に処せられたとはいえ、お前はロートリンゲンという名を背負っている。だから皆は、次の皇統がロートリンゲンに移るのだろうと考える」
   それでは困る――とフェイは俺を見て言う。
「お前の名は戦後になって出てくれば良い。宰相のことは、あのアンドリオティス長官がどうにかしてくれる」
「兄のことは構わんと言った筈」
「お前は顔に出ると言っただろう」
「フェイ。どうあっても俺の足止めをするつもりか」
   いざとなれば戦争の混乱に乗じて、帝国に侵入するつもりだった。フェイが如何に止めようとも――。

「出来れば俺はそうしたい。……が、俺の眼の前に居る男は俺の手に余る頑固男で困っているところだ」
   上官命令だと言っても聞かないだろう――と、フェイは肩を少し持ち上げる。
「短慮を起こさず、俺に従ってくれるというのなら、戦略室の部隊に組み入れよう。……だが、解っていると思うが、帝国陸軍と戦うということはお前も懇意にしていたヴァロワ長官と一線交えることになるかもしれないということだ」
「……覚悟している」
「尤も、出来るだけ彼は生かしたいがな」
   フェイは呟くようにそう言ってから、腕時計に視線を落とした。司令室でこれから部隊編成に関する会議を行うという。俺もその会議に参加しなければならなかった。





   十日後、各国の要人達がアジア連邦にやって来た。勿論、そのなかには共和国のアンドリオティス長官も居た。俺はその国際会議に参加しなかったが、会議の様子を司令室のモニターで見ていた。
   フェイが中心となって、ミサイルを使用した帝国に対する制裁が話し合われる。明かな国際法の違反行為に及んだ帝国に味方する国は無かった。道義的な問題もあるだろうが、どの国も帝国という存在を快く思っていなかったから、今回が好機だと考えたのかもしれない。
   帝国への経済制裁は速やかに可決された。帝国が共和国の3つの要求を全て飲まなければ、経済制裁に踏み切ることになる。
   共和国は帝国に、シーラーズを返還すること、侵略行為を直ちに停止すること、国際協調を取ること、この3つをつきつけるのだという。
   もしルディが宰相であったなら、このような事態には至らなかっただろう。外交官の経験があって国際批判には敏感だったから、すぐにシーラーズから撤兵させたに違いない。
   否、もうルディに其処までの力は無かったか――。


   きっと帝国は滅ぶ。
   この戦争は帝国にまったく勝算が無い。帝国を存続させるには、共和国からの要求を飲むしかない。だが、きっと皇帝は了承しない。
   帝国が滅んだ時、ルディやヴァロワ卿はどうなるのだろうか。ロートリンゲン家は――。
   不意に考え込み、すぐにそれを追い払った。俺が考えたところで、どうなる話でもなかった。


[2010.3.4]