私は全てが吹っ切れてしまったのかもしれない。
   既に帝国では追われる身となっているというのに、心はとても落ち着いていた。不安は何ひとつなかった。むしろ、皇帝の意向が変わるのではないかと、あれやこれやと画策していた頃の方が、不安に駆られていた。

「ルディ。俺が見張っておくから、少し休んでくれ」
   車はオートモードだから、運転手が居なくても問題は無い。だが、いつ憲兵達が追いつくか解らない今は、見張りが必要だった。
「先に休んでくれ。私は後からで良い」
「俺はここ数日、充分に休んだから大丈夫だ。ルディの方が疲れ切っているようだ。顔色も少し蒼いぞ」
   レオンは先程、店で購入したブランケットを取り出して、私に手渡す。この数日は睡眠時間を充分に取ることが出来なかった。それに加えて、今日は随分動き回ったから、身体は少し疲労を感じていた。
   今、倒れる訳にはいかない。そのためには休める時に休んでおかなければ――。
「では先に休ませてもらう。何かあったら起こしてくれ。ああ、それからこの拳銃を……」
   胸の内側から拳銃を取り出し、レオンに手渡す。後部座席の下に剣もある、と告げるとレオンは拳銃を側に置いて、解ったと頷いた。ブランケットを身体にかけて、座席を少し後ろに倒す。自ずと溜息が漏れた。
「大丈夫か?少し車を停めて休もうか?」
「いや、大丈夫だ。……今日は動き回ったから少し疲れが出たようだ」

   こうして移動している最中に体調を崩したら、レオンに迷惑がかかる。私の身体のことは、レオンに伝えておくべきだろうか。
「ルディは随分身軽に動くけれど、入隊しようとは思わなかったのか? ロートリンゲン家は武門だというし、軍人となるよう勧められなかったのか?」
   どう伝えようか――考えていたところへ、レオンに問い掛けられて、思わず苦笑した。
   私の身体のことを知らなければ、レオンの質問は尤もなことだった。だが、今迄私はそうした質問を投げかけられたことは無かった。何故、軍務省に入らなかったのか――生まれつき身体が弱いという事実を知っていた者もいるが、そうでない者達も何らかの理由があるに違いないと考えて、私に気遣い何も聞いてこなかった。
「身体が丈夫ではないんだ。先天性虚弱――、身体が周囲の環境に敏感に反応してしまう」
「君……が……?」
「ああ。私は生まれた当初、成人出来るかどうか解らないとまで言われていた。幼い頃は一年の大半をベッドで過ごして、殆ど外に出ていない。学校も高校までは通っていなかった」
   レオンは驚いた顔で私を見つめた。そんな風には見えない、と言ってくれた。
「この病は地球環境に関係するということ以外、何が原因となっているのか解らず、根治方法も無い。病状も個人差が大きい。私は成長と共に少しずつ症状が治まってきて、両親に頼み込んで高校に通わせてもらった。士官学校は私のような身体では受験出来ない。だから父は、私ではなく弟に望みを託した。そして弟は、父の期待に応えて、中学卒業と同時に士官学校の幼年コースに進んだ」
「そうだったのか……。悪いことを聞いたな」
「マルセイユに居たのも療養のためだった。昨年、多忙が重なってついに倒れてしまって……。なかなか完治出来ず、医師と弟に勧められて空気の良いマルセイユの別荘に移った」
「……ではあまり無理のきく身体ではないのだろう。俺の周りにも先天的虚弱体質が何人か居る。少し環境が変わるだけで体調が悪くなる――と。大丈夫か?」
「此処もこれから向かう先も、帝都より空気が良いから大丈夫だと思う。……だが、レオンの足を引っ張ることになるかもしれない。その時は構わず置いていってくれ」
「馬鹿なことを。そのようなことが出来る筈が無いだろう」
   レオンは眉を顰めて言い返す。思えば、レオンはエスファハーンで、部下達と共に最後まで戦った人間だった。私は笑みを浮かべて、話を変えた。
「新環境法があるとはいえ、この体質の者が近年は増加傾向にあるというが、やはり共和国でも多いのだな」
「近所に住んでいた友人もそうだった。俺の祖父もあまり丈夫ではないのだが、今も元気に過ごしている」
「私は祖父母も両親も既に亡くなっているが、レオンの御家族はまだ健在なのか?」
「両親は俺が子供の頃、電車の脱線事故で亡くなったけど、祖父母は健在だよ。俺とテオは祖父母に育てられたんだ。あ、テオというのは俺の弟の名だ。今、軍部に所属している」

   レオンは自分の生い立ちを語ってくれた。レオンの両親はレオンが10歳の時に事故で亡くなったのだという。それもレオンと彼の弟のテオを庇うようにして亡くなったらしい。それからは祖父母の許で暮らしていた。今でも、時間のある時は祖父母の実家に帰るのだという。
「祖父は俺やテオが軍人になることに大反対したけどね。士官学校を受験して宿舎に入るまでの間は、それこそ一言も口を聞いてくれなかったな」
「今は仲直り出来たのか?」
「ああ。まあ、いつ軍人を辞めるのかといつも言われるが……。祖父は俺やテオのことを心配してそう言ってくれているのだと思う。無口で無愛想で、偶に喋ったかと思えば口が悪くて、どうしようもない人だけどね」
   レオンは笑いながらそう語る。口が悪いという言葉に、思わず父を思い出してしまった。
「私の父は厳しい人だった。それに私は身体が弱かったから、ロートリンゲン家にとってはお荷物のような存在で……。褒められたことも数えるほどしかない」
「……お荷物だと言われたのか?」
「面と向かってそう言われた訳ではないが、寝込むたびに呆れられ、私には期待をしていないと何度も言われてきた」

   普段は人前で父の話など出さないのに――。
   レオンと言葉を交わしていると、色々なことを語りたくなってしまう。
   父の話を受け、レオンは笑って、祖父と似ている、と言った。
「多分、ルディのことを嫌っていた訳ではないんだろう。むしろ愛されていたんじゃないか?」
「私が父に?まさか。使用人達でさえ、父は私に辛く当たっていると気付いていたぞ」
「祖父がちょうど君の父上と似ているよ。憎まれ口しか言わないんだ。俺は褒められたことなんか一度も無いぞ」
   子供の頃は怖くて寄りつかなかったよ、とレオンは笑いながら話してくれた。私には父が私を愛していたなど考えもつかないが――。
「……私が宰相の試験を受けようと思ったのも、そういう父に対する反抗もあったことだ」
   レオンを相手にすると話しやすい。此方の話を遮らずに聞いてくれ、自分の感じたことを率直に語ってくれる。そのためだろうか。
「そういえば……、ルディという名はミドルネームだろう?フェルディナントと呼んだ方が良いのか?」
「……ルディの方が落ち着く。そう呼ぶのはロイだけだったから……。今はロイも居ないから、ルディと呼ばれるのが何だか懐かしい……」

   猛烈に眠気が襲ってきて、眼を閉じた。レオンが何か話しかけてきたが、それに応えることも出来なかった。


[2010.2.3]