「大変な事態で御座いましたね」
   何とか無事に国葬を終えたこの日、漸く邸に戻ってきた。国葬が終わるまでの間、私は殆ど邸に戻らなかった。それはロイも同じで、ロイはまだ宮殿の護衛強化のために邸に戻っていなかった。
   ミクラス夫人は労いの言葉を告げながら、少し休むよう促した。私は心身共に疲れていた。ベッカーの件を除けば、皇帝が無謀な命令を下すことは無かったが、色々なことに気疲れしてしまっていた。考えなくてはならないことは山のようにある。今回のような皇帝の横暴な命令を阻止するために、皇帝の命令権を抑えることの出来る機関、もしくは法令を作る必要がある。しかしそのためには皇帝の許可が必要となる。今の皇帝はそれを許可してくれるだろうか。

   そしてもう一点、ロイのことが頭から放れない。ロイが皇女マリと結婚し、皇女マリが帝位を継いだ暁には、ロイは大きな権限を持つこととなる。無論、私よりも強い。この帝国において二番目の――そして実質一番目の――権力を持つ。

   私がこんなことを気に掛けているのはきっと気に入らないからだと思う。
   ロイが私より強い権限を持つことに。いつもロイは何をしなくとも、私の望むものを手に入れてきた。私は宰相となった時、漸くロイよりも上の立場になれたと内心で喜んだ。私はいつもロイに嫉妬していた。私はロイのような体力も無い。だから父はロイに期待した。ロイはいつも易々と父の期待に応えてみせた。軍に入り、将官となって軍人としては最高職の長官にまでのぼりつめた。

   私は、本当はロイのようになりたかった。しかしそれは無理で、だからこそロイより上の立場になってみたいと強く思うようになった。そしてそれは同時に父を見返すことでもあった。私が宰相となったのは、そうした私的な気持からだった。
   だから気に入らないのだろう。私は――。
   ロイが私以上の権力を有することになるということに。


「フェルディナント様?」
「済まない。少し一人にしてもらえるか?」
   先程から問い掛けてくるミクラス夫人の言葉を何も聞いていなかった。ミクラス夫人は頭を下げて、部屋を去っていく。
   国葬の式典でロイと顔を合わせたが、話もしなかった。勿論、そうした雰囲気でなかったからだが、ロイと話をしたい気分でもなかった。ロイも私の態度に疑問を抱いていることだろう。
   皇帝は皇女の逝去のことしか考えられない状態だった。皇女マリとロイのことについて、この一週間、話題に上ったこともなかった。
   しかし国葬も終えたのだから、明日からは通常の執務が待ち受けている。暫くは余計なことは考えず、執務に専念しなければならない。まずは皇女マリを第一皇位継承者と書き換えなければならない。明日にでもそれを行わなくては――。


   この日、食事を終えて書斎で考えているところへ、ロイが帰ってきた。ミクラス夫人が出迎えて、ロイはただいまといつもと変わらぬ様子で応えていた。その足音が階段を上り、此方に向かっているのが解った。
   書斎の扉が開く。ロイはただいまと告げた。
「御苦労様。毎日が忙しかったな」
「明日からは漸く日常に戻れそうだ。ルディもずっと宰相室に詰めていたのだろう?」
「ああ。私も今日やっと家に帰ってきたのだ。宰相室に書類は山積みだが、少し休みたいと思ってな」
「軍務省も同じだ」
   ロイはふと笑む。いつものロイだった。
   ずきりと胸が痛む。ロイは権力を欲している訳ではない。ただ私の望むものを、それと知らずに手に入れるだけだ。
   私がただ一人、ロイを妬んでいる――。
   そんな気持を持っては駄目だ。
「明日、マリ様を第一皇位継承者とする文書を作成する。これにより、現皇帝亡き後はマリ様が帝位に就かれる。ロイ、お前は皇帝となったマリ様を支える、それに次ぐ、否、実質的にこの帝国を担う権力を有することになる。その覚悟は出来ているか?」
「ああ……。俺では役者不足だろうが、俺はマリの側に居たい。マリが帝位に就くというのなら、俺は彼女を支える」
「……解った。ではこの家は私が守る。お前は何があろうとマリ様をお守りしろ。そしてひとつだけ頼みがある。まだ遠い先のことだろうが……」
「何だ?」
「絶大な権力を有しても、部下の話には耳を傾けてくれ。もしマリ様がそれを聞き届けないようなら、お前が諫めろ。そうしなくては、帝国は滅びてしまう」
「……ベッカーの件ならば俺も聞いた。陛下も残酷なことをなさるものだ。……お前の言うことは俺も正しいと思う。それにもし俺が間違った道を歩いたら、お前は必ず俺を正してくれるだろう」
「私にそれが可能ならば」
「ルディに逆らうと後が怖いからな。俺はルディに逆らったことは無いと思うが?」
「お前がマリ様と結婚すれば、立場は逆になる。私より強い権限を持つことになる」
「それでもルディは俺の兄。それは不変の事実だ」
   そうだ。ロイとはこういう男だった。ロイならば道を外すこともあるまい。この帝国の後先を任せても大丈夫だ――。
   私は己のことばかり考えてしまっていた。帝国のことを思うならば、皇女マリとロイの結婚は決して悪いことではないだろう。二人とも旧習に囚われない自由な発想の持ち主だ。
「……ベッカーの一件で、私は悩んでしまった。このままこの国は帝政を続けて良いのか、とな」
「誰もが戦々恐々としたさ。陛下の御不興を買ったら投獄される、とな」
「ベッカーに何の非も無い。彼は医師として出来る限りのことを務めた。私は陛下に思いとどまっていただくよう進言したが聞き入れてもらえなかった。それどころか、これ以上ベッカーを庇うなら私も同罪だと」
「気にするな。陛下も御心痛故に心にも無いことを言ったまでのことだ」
「ロイ。私はいつまでも帝政が続けられるとは思っていない。その証拠に世界は君主制を廃しつつある。もしこの国が帝政を続けようとするなら、いつか内部から崩れていくかもしれない」
「ルディ……」
「お前がこの国の長たろうと思うなら、そのことを少し心に留めておいてほしい」
「気が早い話だぞ、ルディ」
   ロイとの蟠りはこれで一段落した。
   蟠りといっても私が一方的に嫉妬していただけのことだった。一人で空回りしていた。今考えると愚かしいことだった。


[2009.9.22]